第69話 見落とし
「さて、これで数の優位も無くなったわね」
マリアンデールは言った。
それに対し『レイミナ』は何も言わず、苦虫を噛んだような顔をしている。
だが表情とは裏腹にマリアンデールには余裕は全く無かった。
地獄の穴を開けられても蓋が出来るし、出現した『この世ならざる者』を気にする必要は無い。
それでも結局『レイミナ』に自分の攻撃が届かないという問題は何も解決していないのだ。
『レイミナ』の身体を包んでいる封印の扉と同じ性質を持つ膜。
あれをどうにかできなければマリアンデールに勝機はない。
こうして会話を続けながら破り方を考えていたが、未だに妙案は思いつけていなかった。
そして……そんな焦りも手伝ってか、マリアンデールはもう一つ、大きな見落としをしてしまっていた。
『レイミナ』がわざとらしく肩を落とし、残念そうに呟いた。
「仕方ない。こうなったら本気でやるしかないか」
「……は?」
『レイミナ』はくるりと振り返った。
その視線の先には相変わらず微笑したままのケテルが控えていた。
この時になってマリアンデールはようやくおかしいと気付いた。
この室内は既に瘴気が充満してしまっている。
普通の人間ならとっくに絶命してしまっているはずなのだ。
それなのに、何故ケテルは平気な顔をしているのか。
「出番だ、戻って来い」
『レイミナ』はパチンと指を鳴らした。
するとケテルの身体がドロリと溶けた。
顔も身体も衣装も全てが崩れて混ざり合い、黒い泥の山に変わってしまった。
マリアンデールが唖然としているとその泥の山は跳ね上がり『レイミナ』に覆い被さる。
泥は『レイミナ』に染み込んで行き、間もなく影も形も無くなった。
その代わり、『レイミナ』から感じられる魔力量と威圧感がさらに膨れ上がったように感じられる。
「……一体何をしたの?」
マリアンデールは尋ねた。
『レイミナ』が何をしたのか分からなかった。
ただ、どうやら先程までこの部屋にいたケテルはケテルではなかったらしい、という事だけはわかった。
あれは地獄の泥だ。
しかも取り込んだ『レイミナ』の強化のされ方を見るにかなり特殊な個体だろう。
問題は何故そんなものが『レイミナ』の後ろでケテルに偽装して突っ立っていたのか、という事だった。
マリアンデールの問いに対し『レイミナ』は余裕ぶった表情で答えた。
「今のはアタシの身体の半分を使って作った人形さ。本物そっくりに良く出来てただろ?
「なんでそんな事をしていたの?」
「なに、お前へのハンデのつもりだったのさ。だがこっちの策をいくつも潰されちまったからな。悪いがここからは完全体で相手をさせてもらう」
どうも理解し難いが、『レイミナ』はどうやら今まで勝手に弱体化してくれていたらしい。
いや、理解し難いだけでどうしてそんな真似をしていたかについては相手の性格を考えればある程度は想像がつく。
恐らくマリアンデールを倒した後で自分が手加減していた事をばらし、悔しがる顔を拝むつもりだったとかそんな下らない理由だろう。
ただ気になるのは、分離していた泥をどうしてわざわざケテルに偽装させていたのか。
マリアンデールは嫌な予感がした。
「本物のケテルはどこにいるの?」
「さあ? アタシは知らないよ。あいつとの関係はもう切れたからね」
「関係が切れた?」
マリアンデールは訝し気に『レイミナ』を見る。
『レイミナ』はニヤニヤ笑みを浮かべている。
まだ何か隠している様子だった。
「いやあ、人間って面白いな」
『レイミナ』が唐突に言った。
マリアンデールは不審に思いながらも尋ねた。
「面白いというのは……ケテルの事?」
「そう。あいつとはこの部屋で初めて出会ったんだよ。アタシがこの封印の術式を完成させて扉から初めて出た時にばったり鉢合わせてね。面倒だから殺そうと思ったんだけど、あいつアタシを見て何て言ったと思う? 『どうか私に地獄に落ちる方法を教えて下さい』って言ったのさ」
『レイミナ』はさも可笑しそうに言う。
マリアンデールはニコリともしなかった。
「何故そんな事を?」
「さあね。でも面白そうだったから取引をしてやる事にしたんだ」
「取引?」
「ああ。アタシの計画に協力してくれるなら確実に地獄へ行ける方法を教えてやるってね」
「確実に地獄に落ちる方法って、まさか――」
マリアンデールは目を見張る。
『レイミナ』は満足そうに口端を上げた。
「察しがいいな。そうさ。素人にも出来る魔術の簡単な暴走のさせ方を教えてやったんだよ」
マリアンデールは悪寒が走るのを覚えた。
つまり『レイミナ』以外にも地獄の穴を意図的に開けられる者がいるという事だ。
室内に笑い声が反響する。
「いいねいいね、その顔。そういう顔を見せて欲しかったんだ。さあどうする? さっきから時間稼ぎをしたがっていたようだが、こんな話聞いたらそうも言ってられないよな? 早くケテルを止めないとどこで地獄の穴が開くかわからないんだから。そうだろ?」
『レイミナ』の言う通りだった。
マリアンデールは杖を強く握り締めた。
「そうね。方針を変更する。さっさとあなたを倒してケテルを止めに行くわ」
「そう来なくっちゃ。いい加減喋るのも飽きて来たし勝負を始めようぜ。動けなくなるまで存分にいたぶってやった後、たっぷりとアタシの泥を飲ませてやるよ!」
『レイミナ』はカッと目を見開いた。
するとマリアンデールが立っていた場所に激しい炎の渦が巻き起こる。
生前のレイミナが得意としていた炎の魔術だ。
だが、火柱が立ったとき既にその中に人影はなかった。
「相変わらず怖いわね、その炎」
「!?」
『レイミナ』が驚いて振り返るとすぐ後ろに両手で杖を振り上げたマリアンデールが立っていた。
空間転移の魔術で瞬時に移動したのだ。
マリアンデールは『レイミナ』が防御行動に移る前に杖を思い切り振り下ろす。
だが、それは『レイミナ』には届かず、乾いた音とともに封印の膜にあっさり弾かれた。
「予想はしてたけどやっぱり力技もダメか」
ぼやきを残してマリアンデールの姿が消え、『レイミナ』から離れた位置に再び現れる。
「怖い怖い。まさか天下の魔女様が直接殴って来るとは思わなかったな」
「そう? どんな事でも自分で実際に試してみるというのは大切な事よ?」
マリアンデールは軽口を返したが、いよいよ不味いな、と思った。
魔法は無効化され、物理は通らない。
こりゃ中々骨が折れそうだ。
「そっちの攻撃が終わったから今度はまたこっちの番だな。ほらほら、二つ目の地獄の穴だ!」
『レイミナ』は拳を振り下ろし、再び空間を叩き割る。
完全体になったという言葉は嘘ではないらしく、先程よりも亀裂のが広がる範囲が広い。
「くそっ、少しは休ませなさいよ!」
マリアンデールは歯を食いしばると杖を一回転させ、封印の蓋を作り出した。
短時間で組み上げられるというだけで魔力の消耗は激しいのだがそんな事は言ってられない。
マリアンデールは生成した蓋を新たな穴へ全体重をかけて叩き付けた。
※ ※ ※
足元からの激しい振動で周囲が揺れ、天井の隙間からパラパラと塵が降って来る。
セシルは倒れないようにバランスを取りながら呟いた。
「崩れたりしないだろうな、ここ」
「頑丈な作りのようですから大丈夫だとは思いますが……」
教会本部の廊下。
右手にランタン、左手にオルレアを抱えたセシルは、小走りに進みながら一つ一つの部屋を覗いて回っていた。
避難せず残っている人間がいないか最後の確認をするためだ。
夜間で視界は悪いが、これまで毎晩のように見回りをしていたのでどこに何があるかは大体把握できている。
床下からは先程から断続的に地鳴りが響いて来ていた。
マリアンデールと『レイミナ』の戦いが始まったのだろう。
そろそろ自分たちも避難しないと危ないかもしれない。
「マリアンデール様は大丈夫でしょうか」
「心配いらないよ。あの人は強いから」
不安そうに顔を上げたオルレアに対しセシルは即答した。
オルレアは少し驚いたように言う。
「信頼されているのですね」
「ああ。あの人の仕事ぶりは見てきたからね。少なくとも敵が昔の知り合いの姿をしているからって怖気づくような人じゃないよ。冷たい奴だっていう意味ではないけどね」
「ええ、わかっています。あの方は表には出しませんが思いやりのあるお優しい方のようですから」
「それ本人に直接言ったら怒りそうだな」
セシルは苦笑しながら次の部屋の扉を開ける。
軽く室内を見回し、物陰にランタンをかざして覗き込む。
そして、良し、と一呼吸置くと部屋を出て再び廊下を進んで行った。
すると再び建物が揺れる。先程よりも揺れが大きい。
「……こりゃ本格的に急いだほうが良さそうだな」
「そうですね」
その後、粗方の場所を探し終えたが人の気配は一切なし。
どうやらちゃんと全員命令通りに避難したらしい。
用事が終わったセシルは建物から出るため面会室や食堂など複数の部屋を小走りに突っ切って行った。
廊下を進むよりこちらの方が早いのだ。
そうやって進むうち、やがて一階にある第一礼拝堂に辿り着いた。
教会本部にある礼拝堂の中でも一番広い場所で、重要な式典などは大抵ここで行われるらしい。
ステージにはイリス神教の崇拝対象を模した巨大な女神像が祭られ、壁一面にステンドグラスが張られている
そしてそれを囲うようにして並んだ、数百名は収容できるだろうという大量の長椅子。
この宗教がどれだけの力を持っているかを表すような場所だった。
ここを通り抜ければ正門はすぐそこだ。
セシルはステージを横切り、出口へ向けて長椅子の間の通路を駆けて行った。
だが、その時不意に声が聞こえた。
「あらあら、誰かと思ったらあなたたちだったの」
聞き覚えのある声だった。
セシルは思わず立ち止まり、ゆっくりと振り返った。
「あ、あんたは……」
「ケテル様……」
「良かったわ、知っている人がいて。教会の中に誰もいないから何かあったのかと心配していたの」
女神像の足元に立っていたケテルはニコリと微笑んだ。




