第61話 昔語りの魔女
「まさか本当にケテル枢機卿だったとは……」
ケテルが出て行ったあと、サミーが独り言のように言った。
余程緊張していたのだろう。どっと疲れた顔をして、しきりにハンカチで汗を拭っている。
「でも、あれはケテル様の意志だったのでしょうか。何だか様子がおかしかったようにも見えたのですが……」
オルレアがマリアンデールに顔を向ける。
確かに杖を突き付けられても顔色一つ変えないのはさすがに異様ではあった。
だがマリアンデールはケテルが出て行った扉に目を向けたまま言った。
「魔術で何かをされたという痕跡は無かったわ。信じ難いけれど、本当に自分の意志であいつに従っているみたいね」
「そうですか……」
「それで、レイミナってのは何者なんだ?」
セシルは聞いた。
マリアンデールは一瞬言葉に詰まったようだった。
あまり触れられたくない事柄だったのだろう。
しかし、すぐに肩をすくめると半ば諦めたように言った。
「そうね。私の都合でこんな所まで連れてきてしまったのだから、あなたたちには知るだけの資格はあるか」
マリアンデールはおもむろに壁に寄りかかった。
そして何か懐かしむような表情をしながら、窓の外へ目を向ける。
「レイミナというのは私の幼馴染で、とても仲の良かった子の名前よ。遠い遠い昔の、私がまだ人間だった頃の友人の一人」
「人間だった頃……?」
「セシルには前にちょっと話した事があったでしょう。私は魔王と契約して魔術を覚えて魔女になったって。それまでは私も普通の人間だったのよ」
そういえば、とセシルは思い出した。
以前セシルはマリアンデールに魔女とはどういう物なのかと尋ねた事があったのだ。
確か呪いの館のほうの封印の扉で異常が発見された時だっただろうか。
その時、マリアンデールはこの世界に魔王という存在がいる事や、その魔王と契約して魔術を覚え、以来何百年もの間ずっと命令に従っている事などを簡単に話してくれていた。
だからセシルはマリアンデールが言った言葉をすぐに飲み込むことが出来た。
だが、サミーとオルレアは唐突に現れた魔王という単語に随分困惑した様子だった。
「この世には魔王などという存在がいるのですか?」
「ええ。当の本人は神だと名乗ってるけれど、どちらにしても碌でも無いのがね。まあ魔王については後で触れるとして、まずはレイミナ……というより、私の昔の話を聞いて貰おうかしら。他人が聞いても退屈だと思うけど、前提から説明しないと分かり辛いだろうから」
「すると、マリアンデールさんが魔女になったのが関係するって事?」
セシルは尋ねた。
するとマリアンデールは数秒間押し黙った後、静かに答えた。
「その通りよ。私が魔女になったのはレイミナが切っ掛けだった。――私は、あの子を殺すために魔王と契約して魔術を教わったのよ。そして実際、この手であの子を殺したはずだった」
「え……」
「殺した……?」
セシルとオルレアが息を飲む。
マリアンデールはそういう反応が来るのを予測していたのだろう。
軽く溜め息をついて言った。
「その辺の説明がややこしいのよね。とりあえず順を追って話をするわ」
それからマリアンデールは淡々と語り始めた。
※ ※ ※
年号という概念自体が存在しなかったので具体的な年代は分からない。
とにかく今より遥かに昔の話だ。
マリアンデールは森の奥の辺境の地域にあった小さな集落で生まれ、ずっとそこで生活していた。
当時の集落には他にも子供がいたが、その中でもマリアンデールと特に気の合う女の子がいた。
それがレイミナだった。
直情的で好奇心旺盛だったマリアンデールに対し、どちらかと言えば引っ込み思案で大人しいタイプのレイミナ。性格はほとんど正反対だったが二人はいつも一緒だった。
現代に比べると生活水準も低く、食事は粗末な物ばかりだったし、娯楽も無い。
もちろん医療なども確立しておらず、ちょっとした病気や怪我で簡単に人が死んでしまう。
「今から振り返ってみれば、かなり酷い生活だったわね。でも、当時の私は全然気にしていなかった。そこが普通で、それが私の知る世界の全てだったから」
文字通り、貧しいながらも楽しい日々だった。
このままここで大人になって、誰かと結ばれて子供を生み、そして死んでいく。
自分はそんな風に人生を送るのだろう。マリアンデールは子供ながらに漠然とそう考えていた。
しかし、マリアンデールが十二歳を迎えた年の事だった。
マリアンデールの集落を、それまで誰も経験した事の無いような飢饉が襲った。
いや、正確にはマリアンデールのいた集落だけでなく、大陸全土が二年ものあいだ異常気象に見舞われたのだ。
農作物は枯れ果て、狩りをしようにも獲物も見当たらない。
備蓄は見る見るうちに枯渇し、人々は飢えた。
地域によっては伝染病が広まったりもしていたらしい。
マリアンデールの集落もそれなりに影響は大きかったが、辺境に位置していたため伝染病の被害を受ける事も無く、また森が近かったので味を気にしなければ食べる物もどうにか確保できた。
そういう意味では運が良かったのだろう。
来年はきっとこれまでのように狩りも畑も元通りになって腹いっぱい食べられる日々に戻れるはずだ。
だから今は頑張って乗り切ろう。
集落の皆でそう励まし合い、実際乗り切れるはずだった。
だが、そうはならなかった。
飢饉が始まってから二年が過ぎたある晴れた日のこと。
その日、マリアンデールはレイミナとともに森の奥へ食べ物を探しに出かけた。
そして二人は向かった先で運よく食べられる木の実や野草などを見つけ、大喜びしながら持ってきた籠に集め始めたのだ。
その時までは何の変哲も無いいつも通りの日常だった。
しかしやがて、レイミナがまず異常に気付いた。
集落の方から不自然な黒い煙が上がっているのが見えたのだ。
胸騒ぎを感じ、二人は籠をそのままにすると急いで集落へ戻った。
だが、マリアンデールたちは集落へは辿り着けなかった。
途中の高台へ上がった時に集落で何が起きているのかを理解し、その場から動けなくなってしまったのだ。
信じられない光景だった。
出掛ける前はいつもと変わらなかったはずの集落が炎に包まれていた。
逃げ惑う人間たちの――自分が知っている人たちの悲鳴が聞こえた。
目を凝らすと、鉄の武具で身を固めた大勢の兵士たちが集落の人々を追い回し、捕らえ、そして――口に出すのもはばかるような残虐な行為を行っていた。
マリアンデールたちにはどうする事も出来なかった。
どうしてこんな事が起きているのか理解できず、ただ狼狽えて……ふと兵士の一人がこちらに気付いたような気がして、慌てて森の奥へ駆け出した。
家族や友達、集落の仲間を見捨てて逃げたのだ。
※ ※ ※
オルレアが口元に両手を当てながら尋ねた。
「一体何があったんですか?」
「後から調べたところによると、魔女狩りの標的にされたらしいわ」
「魔女狩り?」
「そう、魔女狩り」
マリアンデールの語り口はあくまでも物静かだった。
といって、こんな話を何も感じずに話せるはずもない。
あくまでも説明役に徹しているのだろう。
「今は滅んじゃって影も形も残っていないんだけど、当時この大陸はある大国が覇権を握っていたの。そしてその大国は領地が広かっただけに被害も他の国や地域の比じゃなくてね。食料や治療を求める民衆による暴動が頻発して、国が崩壊しそうなほどに荒れていたのよ」
その大国には民衆に行き渡らせられるほどの食料や薬を確保する術は無かった。
しかし民衆をどうにかして鎮める必要があった。
それで思い付いたのが魔女狩りだったらしい。
――今回の飢饉と伝染病は悪魔を崇拝する邪教徒どもによって意図的に引き起こされたものだと判明した。
我々を苦しめ、滅ぼさんと企てたのだ。
奴らは悪だ。
我々は何よりもまず、邪教徒どもに鉄槌を与えなければならない。
そんな風に捏造した情報を流して民衆を煽り、まんまと怒りの矛先を変えた。
そして元凶として名指しされたのがマリアンデールの集落だった。
言うまでも無いがその時はマリアンデールはまだ魔女などでは無かったし、集落の人々も全員魔術など使えない普通の人間だった。
だが、辺境で暮らしていて他の地域との交流もほとんど無く、武力では劣っていたので反撃を受ける心配もない。
スケープゴートにするのにはぴったりだったのだろう。
サミーが青ざめながら呟いた。
「なんという愚かな事を……」
「と言っても、そんなに珍しくは無いですよ。私は魔女になってから似たような事は何度も見てきたし」
マリアンデールは無表情で言った。
そして続ける。
「ただ、あの国の人間たちが愚かだったというのは事実ね。あの国での飢饉や伝染病は、私たちの集落を襲ったところで結局何も解決はしなかった。そしてそれ以上に愚かだったのは……魔女狩りを行ったせいで、彼らは逆に本物の魔女を生み出してしまったの」
「……それが原因でマリアンデールさんは魔女になった、という事?」
セシルは言った。
ところがマリアンデールは首を横に振った。
「いいえ、私じゃ無いわ。レイミナよ。――その時のショックのせいで、レイミナが魔術に目覚めてしまったの」




