第60話 従者
「あら、サミーさんもいらっしゃったのね。あなたの所へも後で訪ねるつもりだったから丁度良かったわ」
部屋に入って来たケテルはサミーを見て嬉しそうに言った。
彼女が悪霊の噂を広めていた犯人だと聞いたばかりだが、その表情からは噂を台無しにされた苛立ちやセシルたちに対する敵意などは一切感じられない。
以前会った時と変わらぬ人当りの良さそうな笑みを浮かべていた。
セシルたちに気付かれたとはまだ気付いていない、という事だろうか。
しかしそうだとすると何の目的で現れたのだろう。
「私の元へも来て下さるつもりだったというと……どのようなご用件でしょうか」
サミーがおずおずと尋ねる。
するとケテルは眉を上げ、驚いたように言った。
「あら、決まっているではありませんか」
「と、言いますと……?」
「地下の悪霊の噂の件です。皆さんの顔を見るに、あれを広めていたのが私だという事はもうご存じなのでしょう?」
ケテルはそれまでとまるで変わらぬ態度で言った。
だがそれを聞いた三人は思わず息を飲む。
ケテルはセシルたちの反応を見て楽し気に笑った。
「あら、そんなに驚くような事だったかしら」
セシルにはケテルが何を考えているのか全く分からなかった。
あらためて慎重に様子を窺うが、やはり敵意などは感じられない。
むしろこちらが露骨に警戒しているにもかかわらず好意や慈愛のようなものを向けられているようにすら思える。
目障りになったセシルたちへ妨害や口封じをしに来た、という訳では無いらしい。
しかしそれなら何故自分から正体をばらしに来るような行動に出たのか。
どう対応するべきかセシルは迷った。
疑問はいくつも沸いていたが何から尋ねれば良いのか分からなかった。
あまりに唐突過ぎて情報が足りなすぎる。
サミーとオルレアも同様のようでケテルを見つめたまま何も言おうとしない。
すると助け舟でも出すようにケテルが両手を広げてこちらに見せながら言った。
「そんなに警戒しなくても大丈夫よ。私は何の力も無いただの人間だし、あなたたちに危害を加えるつもりなんて全くないから」
仮にも枢機卿が何の力も無いは無いだろう、とセシルは思った。
しかし、ケテルが言いたいのは「自分には魔術は使えないし、武器になるような物も持っていない」という事だろう、というのは分かった。
つまりケテルは魔術の存在は知っている。
間違いなくマリアンデールが言っていた犯人ではあるのだ。
「どういう事なんだ?」
セシルは尋ねた。
ケテルはやや困った顔で首を傾げる。
「どういう、とは何に対してかしら。私がここへやってきた目的? 噂を広めた犯人だと白状した理由? それとも悪霊の騒動を起こした動機かしら」
「全部だ」
「それはちょっと話すのに時間が掛かるわねえ。私もお話をするのは嫌いでは無いのだけど。……答えてあげても良いけれど、先に私のお願いを聞いて貰えるかしら」
「お願い……? それがケテル様がこちらにいらした理由なのですか?」
オルレアが戸惑ったように言う。
ケテルは頷いた。
「ええ。というか何だかこの子よりあなたの方が礼儀正しいのね。面白いわ。――まあそれはともかく、私がここへ来た目的は伝言をお願いしたいからなの」
「伝言?」
「そう、伝言。サミーさんが噂の事を探っていたのと同じように、実は私の方でもあなたたちの事を調べさせて貰っていたの。そしてようやく確証が持てた。私が求めていた方々だったとね。だから伝言を頼みたくて」
「一体誰に……」
「マリアンデール様に」
「……は?」
予想外の名前を出されてセシルは思わず声を漏らした。
どうしてケテルがマリアンデールの事を知っているのか。
セシルが知らなかっただけで元から面識があったのかとも思ったが、恐らくそうでは無いだろう、とすぐに考え直した。
封印の扉を狙われ、ひょっとしたら一刻を争うかもしれない、という状況なのだ。教会本部内に知り合いがいたのならマリアンデールがそれを言わないはずがない。
どういう事かは分からないが、ケテルのほうが一方的にマリアンデールを知っているのだろう。
ケテルは相変わらず優しそうな微笑をたたえている。
だがセシルはその笑顔に得体の知れない不気味さを感じた。
ここからどうするべきだろう、とセシルは考えた。
相手の伝言と言うのを聞いてみるか、いっその事マリアンデールをここへ呼ぶか、それとも全く別の手段に出るか。
だがその判断をする前に、聞き覚えのある声が室内に響いた。
『伝言の必要は無いわよ。直接聞いてあげる』
「この声って……」
オルレアが驚いた様子で部屋を見上げる。
視線の先の空間が静かに波打ち始めた。
波紋は次第に激しくなり、やがて現れたのは……。
「マリアンデール!」
赤い宝石の杖を携えた黒いドレスと銀髪の魔女、マリアンデールである。
マリアンデールはふわりと床に降り立つとオルレアを片手で抱き上げた。
「久し振り。三人とも元気そうね」
「でも、どうして? まだ呼べてなかったのに……」
セシルは戸惑いがちに言った。
ついさっきマリアンデールに連絡を取ろうとはしていたが、丁度ケテルが来たので道具を取り出したものの呼べてはいなかったのだ。
ちなみに道具というのは手のひら大くらいの小さな笛。
吹いても音はしないがマリアンデールには連絡が行く、という代物だった。
「悪いわね。実はあの笛、手で触れただけで私に分かるようになってるのよ」
「そんな仕様だったのか」
「ええ。前に別の子に渡した事があったんだけど、私に気を遣っちゃって中々呼ばずに対応が遅れちゃったって事があってね。それで改造したの」
「それじゃひょっとして、随分前から様子見てたのか?」
「そうね。この部屋での会話内容は把握しているわ」
マリアンデールは抱えていたオルレアをセシルに預け、それからケテルに目を向けた。
ケテルは何も無い所から現れたマリアンデールに驚く様子もなく、両手を握り合わせて嬉しそうに言った。
「あなたがマリアンデール様ですか。お会いできて光栄です」
だがマリアンデールの方は冷ややかな視線を向ける。
ケテル本人は普通の人間のようだが、その背後には間違いなく普通では無い何者かが控えているのだ。
油断はできないし、逃がすつもりも無いのだろう。
「あなたは一体何者? 私はあなたのような人間は知らないはずだけど、どうして私の名を知っているのかしら」
「そんな些細な事などどうでもよろしいでしょう。それよりもお伝えしたい事があるのですが」
「質問に答えて」
マリアンデールは手にした杖をケテルへ向けた。
空間に穴を開けたり、地獄の穴から現れた化け物を一撃で葬り去るような魔術を発動させる杖である。
どんな魔術であれ、人間が受ければひとたまりもない。
思わずサミーとオルレアが顔を強張らせた。
しかし当のケテルは変わらず涼しい顔のままだった。
「あらあら、これでは答えない訳にはいきませんね。私はケテルと申しまして、イリス神教の枢機卿の一人を務めております。マリアンデール様の名を存じているのは、さる御方からあなた様への伝言を託されたからです」
「へえ。その御方とやらのお名前は?」
「レイミナ様です」
その名を聞いてマリアンデールは目を見張った。
ミシ……と室内のあちこちで空間が軋んだ音を立てる。
「……レイミナ、ですって?」
「はい。私はあなたが良くご存じのレイミナ様の指示で動いているのです」
突然、杖の先端に巨大な魔法陣が広がった。
マリアンデールの顔にははっきりと怒りの色が浮かんでいる。
セシルはマリアンデールがここまで冷静さを失っているのを初めて見た。
このままでは脅しどころか本当にケテルを殺してしまう。
「マリアンデールさん!」
セシルが声を掛けるとマリアンデールはハッと我に返った様子だった。
展開していた魔法陣を消去し、杖を下ろすと軽く息を吐く。
それからケテルに言った。
「やはり生きてたのね、あの子」
「はい」
「そう。……でもそれでようやく納得が行ったわ。今回の悪霊騒ぎは私をおびき寄せるための餌だったって事なのね」
「その通りです」
マリアンデールは納得したという風に頷く。
だがセシルたちには何が何なのか分からない。
「ええと……どういう事なんだ?」
「呪いの館で今回の噂の事について説明した時、黒幕の目的が良く分からないって話したでしょう?」
「そういえば言ってたな。やり方が回りくどいとか、人間に封印の扉を見つけられたところで別に致命的な事にならないから意図が分からないとか」
「そ。封印の扉の破壊が目的ならもっと効果的なやり方はいくらでもあるのよ。他の魔女にあっさり感付かれるような広域の洗脳魔術なんか使わなくて済む目立たないやり方もね。だからおかしいとは思っていたの」
サミーが言った。
「つまり……悪霊の噂を広めた目的の本命は封印の扉ではなく、調査に動くであろうマリアンデールさんだった、と……」
「そういう事ですね」
ケテルは相変わらず微笑んでいる。
先程マリアンデールに魔法陣を展開された時もまるで動じていなかった。
どういう胆力してるんだこの女、とセシルは思った。
それにしても……マリアンデールが激昂した『レイミナ』というのは何者なのだろう。
反応から考えると友好的な間柄では無いようだが……。
「それで、あの子の伝言というのは?」
「はい。マリアンデール様とお話をする席を設けたいとの事で、ご都合の良い日時を教えて欲しいと」
「……話がしたいって、そんな事のためにこんな迷惑な回り道をしたの? 話をしたければ直接連絡して来れば良いものを」
「直接のご連絡ではお互いに冷静さを欠いてしまう恐れがあると仰いまして」
「それはそうかもしれないけれど……まあ、あの子らしいと言えばあの子らしいか。分かったわ。突っぱねたらまた妙な嫌がらせされそうだし、私の方は別にいつでも構わないからそれで調整して」
「では今日の夜、ここの地下の封印の扉の部屋ではいかがでしょう」
えらい急だな、とセシルは思った。
しかも、封印の扉の部屋。
マリアンデールの言い方からすると碌でもない相手のようだし、何かの罠のような気がする。
だがマリアンデールは迷う素振りも見せず頷いた。
「分かったわ。じゃあ今夜出向いてあげる」
「ありがとうございます。ではそのようにお伝えしておきますので」
ケテルは恭しく頭を下げると部屋を出て行こうとする。
だがドアノブに手を掛けたところでマリアンデールが言った。
「一応言っておくけど、弱みでも握られているのでなければレイミナなんかに従うのはお勧めしないわよ。あんなのに付きあったら最後は死ぬより酷い末路を迎える事になるわ」
「ご忠告ありがとうございます。ですがそれは十分に承知の上です。……というより、むしろそれが私の望みですから」
ケテルはこちらに顔を向けず、そのまま部屋を出て行った。
今回で書き溜めのストックが無くなりました。
次回以降の更新は毎日ではなく二~三日に一度になる予定です。
申し訳ありませんがご了承ください。




