第50話 教会本部の怪談話
マリアンデールは眉をひそめた。
「教会本部地下の封印の扉ですって……?」
この世界の封印の扉は一つだけではない。
呪いの館の主だったベレンのように中途半端に魔術を発動させて地獄の穴を開いてしまったケースはこれまでにも何度か起きており、その数だけ各地には地獄の穴とその蓋となる封印の扉が点在していた。
そしてその点在するうちの一箇所が、イリス神教の教会本部の地下だった。
どうしてそんな場所に地獄の穴が開いたのかと言えばそれなりの経緯もあるのだが、今は関係が無いし説明すると長くなるので割愛する。
とりあえず、教会の地下深くには呪いの館のものと同じような封印の扉が存在しているのである。
ただし、教会の関係者でそれを知るのはリディアの他はごく僅かな人間だけ。
ほとんどの者は教会に地下室があること自体を知らされていない。
「でも教会の封印の扉がどうかしたの? あそこは先日調べたけど特に異常は見当たらなかったわよ」
マリアンデールは言った。
以前呪いの館で起きた偽ベレンの一件のあと、マリアンデールは二度とあんなトラブルが起きないようにと各地の封印の扉の点検頻度を増やすようにしていた。
教会地下の扉についても数日前に確認したばかりで、何のおかしなところは無かったはずだ。
リディアはその反論に対して否定も肯定もせず、紅茶のカップを口元へ運んだ。
「ご相談したかったのは封印の扉自体の事では無いのです。……実は、教会本部に出入りする人々の間で奇妙な噂が広まっているという知らせが私の元へ届きまして」
「噂?」
「はい。どんな噂かというと『教会本部が建っている土地は実は呪われている。地下深くに悪霊が棲みつき、夜な夜な恐ろしい呻き声を上げているのだ』といったものだそうで」
「なにそれ。宗教施設のくせに怪談話なんかが流行ってるの?」
マリアンデールは首を傾げながら皿に盛られたクッキーに手を伸ばした。
前述の通り教会の地下にある封印の扉には何の異常も無かったのだ。
もちろん悪霊の類など現れるはずもない。
誰が言い出したのかは知らないが、ただの気のせいだろう。
「根も葉もない噂だろうし、放っておけばいいんじゃないの? 正直、あなたがそんな事を気にする意味が分からないのだけど」
そう言いながらマリアンデールはクッキーを口に放り込む。
しかしリディアは片手を頬に当て困ったように言った。
「それが、どうやらそういう訳にも行かないようなのです」
「というと?」
「話が前後してしまうのですが、どうも少し前から違和感がありまして。教会本部の周辺地域一帯に、私の洗脳の魔術と似たような魔力の反応を感じるのです」
「……何ですって?」
リディアの洗脳魔術は効果範囲は異様に広い代わりに個々への影響力は小さい。
ただ、浅く広く均等に効果を発揮するという性質のためか、一種のセンサーのような役割も果たしていた。
リディアの射程内で誰かが魔術を使えば、リディアはその魔術の大体の位置と強さを感知することが出来るのだ。
「それって、教会本部で誰かが魔術を使ってるって事よね?」
「そうです。それで気になって教会本部にいる知人に確認したところ、先程お話したような噂が広まってるという返事が来たという訳でして。教会は信仰心で成り立っているところが大きな組織ですから、そういった噂には常に神経を尖らせており、普通はすぐに対処されます。それが押さえ込めずに大きく広がっているというのは少々考えられない事態なのです」
「なるほど」
リディアの話を信じるなら、『教会本部の地下に悪霊がいる』という怪談話は意図的に広められた可能性が高い。
何者かが洗脳の魔術を使い、教会本部やその周辺の人間たちが怪談話を信じ込みやすくなる下地を作ったのだ。
普通の人間には魔術など使えないし、他の魔女からはそんな事をするなんて連絡も受けていない。
一体何者だろう、とマリアンデールは考えた。
リディアは続けた。
「教会の役職を持った方々は今のところ噂に惑わされてはいないようですが、一般の信者の方々の間では既にかなり動揺が広まってしまっているそうでして。まだごく僅かですが寄付金や訪問者数などにも影響が出始めており、事態を重く見た教会幹部の中からは『噂を払拭するために教会の床を掘って悪霊など存在しないということを証明するべきだ』などという意見まで出始めているそうで」
マリアンデールもようやく事情が飲み込めてきた。
「つまりあなたは、怪談話を広めた奴の狙いは『人間たちに封印の扉を発見させること』なのではと考えているのか」
「そうですね」
悪霊がいると不安を煽りたいだけならわざわざ『地下深くに』なんて言葉を付ける必要は無い。
床に穴を開けるなんて事はさすがにしないだろうが、さらに騒ぎが大きくなれば何かしらの調査はされることになるだろう。
そうなればまず間違いなく地下室は見つかるし、封印の扉の存在も表沙汰になってしまう。
ただ……そうだとしても目的がよく分からない。
やり方がどうも回りくどく感じるし、そもそも封印の扉を人間たちに見つけさせたとしてそれが何だというのか。
人間たちはあの扉が存在する理由など分からないだろう。
なんなら傷一つ付けることも出来ないはずだ。
見つけられるのは困ったことではあるが、致命的というほどの影響でも無いのである。
まあ、あの扉の周囲を人間がうろつくようになれば保守管理担当のマリアンデールとしては相当に面倒臭いことになりそうではあるが……。
「他には変わったことは起きていないの?」
「無いようですね。ですから私としても判断に迷ってしまいまして。それで天使様にご相談したかったのです」
「うーん……」
マリアンデールは唸った。
情報が少なすぎる。
ただ、何かしら手は打たないといけないだろう、とマリアンデールは思った。
ここまでの話を聞いていてある考えが浮かんでいたのだ。
――ひょっとすると今回の怪談話を広めている黒幕は、呪いの館で偽ベレンに入れ知恵をしていた奴と同一人物、またはその仲間なのではないだろうか。
魔術の知識があり、自分は表に出ないように立ち回り、封印の扉を狙う。
似たようなことがこの短期間で連続して起きているのに無関係とは思えない。
もちろんこれはただの直感で何か根拠がある訳ではない。
全くの的外れな可能性もある。
しかしそれならそれでいい。
何もせずに放っておいて取り返しの付かないことになるよりは余程ましだろう。
そうは思うのだが……。
「問題は、動ける人間がいないことね」
現状でこちらが取れる有効な手段としては、教会本部に張り付いて見張りをすることだろう。
そして魔術の使用者なり噂の大元なりを突き止めればいい。
だが生憎、マリアンデールには余裕が無い。
例によって山のように仕事を抱えているし、仕事の合間の時間でこの間回収した偽ベレンの残骸の解析も進めなければならない。さらに、各地の封印の扉の巡回頻度も上げているのだ。
一箇所に付きっ切りで待機する余裕など無い。
そしてそれは人間として生活しているリディアも同様だろう。
第三支部の司教補佐という立場の人間が理由も無く教会本部に長期滞在出来る訳もない。
マリアンデールは頭を抱えた。
するとリディアが言った。
「それであれば、私から提案があるのですが」
「何か考えがあるの?」
「はい。あの二人に調べて頂いてどうかと」
「あの二人って?」
「サミーさんとオルレアさんです」
マリアンデールは目を丸くした。
「本気?」
「もちろんです。あの二人を呪いの館へ向かわせたのはそういう理由もあったのですから。天使様もあのお二人と顔を合わせたのでしょう? どうでしたか?」
「どうって……まあ確かに、信用出来そうではあったけれど」
マリアンデールは曖昧に頷いた。
少し言葉を交わした程度ではあったが、受け答えはまともだったと思った。
そもそもマリアンデールや怪異たちを前に正気を保てていた時点で及第点ではあるだろう。
「でも洗脳魔術はどうするの?」
リディアの使う洗脳の魔術は解除されない限り発動した範囲内で作用し続ける。
怪談話を広めている黒幕の魔術の術式も同じようなものだとしたら、教会本部に向かわせたところでミイラ取りがミイラになるだけだろう。
洗脳の魔術をマリアンデールが消してしまえばそんな心配も無くなるが、そんな事をすれば間違いなく術者に気付かれて逃げられる。それでは人を送る意味がない。
しかしリディアはあっさりと言った。
「実を言いますと、あの二人には私の洗脳魔術は効かないのです。ですから教会本部に行っても恐らく問題無いかと」
「そうなの?」
「はい。これまで色々な手段を試して従わせようと思ったのですが、まるで効果がありませんでした。まあお二人とも職務は真面目にこなして下さいますし問題を起こすようなタイプでも無かったので困ることも無かったのですが」
洗脳魔術は意志の強い者には通用しない。
リディアがここまで言うのなら信じていいのだろう。
であれば、今回の件を任せるのは有りかもしれない。
だが、マリアンデールは首を振った。
「悪いけどちょっと難しいわね」
リディアが怪訝な顔をする。
「何故です?」
「実はね、館のほうでトラブルがあって……」
マリアンデールはセシルの『魂の交換』によって身体が入れ替わってしまったことを話して聞かせた。
「――だから少なくともオルレアさんのほうを行かせるのはちょっと無理ね」
リディアはしばらく考え込んでいたが、やがて言った。
「いえ。それは逆に使えるかもしれません」
「使えるって、何が?」
「せっかくですし、怪談には怪談をぶつけてみてはどうか、という事です」
そう言ってリディアはニコリと笑った。




