第49話 司教補佐
「その様子だと私が来るのは予想していたみたいね」
「もちろんです。その為にサミーさんとオルレアさんのお二人に呪いの館へ行って頂いたのですから」
「すると、私が森に仕掛けておいた魔術をあの二人があっさり突破したのもやっぱりあなたの仕業って事か」
マリアンデールはじろりとリディアを睨んだ。
しかしリディアのほうはまるで悪びれる様子もない。
「その通りです。そうすればきっと天使様は私の元へ来て下さると信じていましたもの」
「だから天使様は止めてというのに。……それで、どういうつもりであんな事をしたの? あなた、自分の役割を忘れた訳ではないわよね?」
マリアンデールは問いただしたが、リディアのほうはクルリと背を向けてしまった。
「まあまあ、久々にお会いできたのですしそんなに急がなくてもいいではありませんか。……そうだ、ちょうど先日いい茶葉が手に入ったのです。すぐに用意いたしますから少しお待ち下さい」
そう言って鼻歌を口ずさみながら棚を開けお茶菓子の用意を始める。
この様子では付き合わなければ何も情報を寄越さないだろう。
やっぱり苦手だわ、この女……。
マリアンデールは苦い顔をしながらソファに腰を下ろした。
このリディアと現在名乗っている女はマリアンデールと同じく元人間の魔女だった。
外見的な見た目は三十代くらいだが実年齢は人間の寿命など遥か昔に通り過ぎている。
ただし魔女としてのキャリアはまだ短く、立場としてはマリアンデールのほうが先輩に当たる。
リディアは人間だった頃ある宗教の敬虔な信者だったのだそうだ。
そして昔リディアがマリアンデールに語ったところでは、彼女が魔女になったのはその宗教の消滅が関係していたらしい。
その名残りなのか、彼女はマリアンデールら自分以外の魔女を『天使』と呼び、魔女を使役する魔王を『神』と崇めていた。
と言っても別に気が触れている訳でもなく、ふざけている訳でもない。
むしろ根っこは自分などよりも余程冷静に物事を見ているだろう、とマリアンデールは評していた。
この女は今はもはや神の存在など信じてはいない。
にも拘らず敬虔な信者であるかのようなわざとらしい演技を続けている。
まるで仮面を付けた道化のようで本心がまるでわからない。
だからマリアンデールはリディアの事が苦手だった。
「――確かに良い香りがするわね」
マリアンデールは差し出されたティーカップを手に取って呟いた。
同じく両手でカップを持ち上げたリディアがホッとしたように言う。
「気に入って頂けて嬉しいですわ。宜しければお土産に茶葉をお分けしましょうか?」
「結構よ。それよりもいい加減本題に入りたいのだけど」
「そうですか。見たところお疲れのようですし、もう少しリラックスして頂きたかったのですが……」
リディアが残念そうに肩をすくめる。
マリアンデールは構わず話を続けた。
「あなたが寄越したサミーから、呪いの館の森を切り開いて交易路にする話が持ち上がっていると聞いたわ。どういう事か説明して貰えるかしら。あなたが人間として生活しているのはそういった事態が起こらないようにする為だってこと、忘れた訳では無いわよね?」
「ええ、もちろんですとも」
「それならどうして阻止するどころか協力するような真似をしたの?」
マリアンデールが何よりも確かめたかったのはこの事だった。
その為に何よりも優先してここへやって来たのだ。
マリアンデールは一通りの魔術を扱えるが、中でも空間を操る魔術を得意としている。
それに対してリディアは洗脳や幻術といった人を惑わす類の魔術に長けていた。
人を惑わす、と言ってもそこまで強力なものではない。
ほんの少しだけ意識に影響を与え、物忘れを酷くしたり、寝ている間に見る夢の傾向を変えてしまったりする程度。
感情や思考を改変して意のままに行動させるといった事まではできなかった。
ただし、影響力が少ない代わりにその魔術の有効範囲は広い。
この微弱な洗脳の魔術はリディアがいる場所を中心に展開されるのだが、その射程はルシベーラ公国を含む大陸全土を覆い尽くすほど。
ごく希に耐性を持つ者も存在するが、この国にいる人間のほとんどはリディアの魔術の影響を受けるのである。
加えて、リディアは人心を掌握し意に沿った行動をさせる対話術も持ち合わせている。
そんな彼女が普通の人間として人間に混じって生活しているのは、この大陸の人間たちの意識と行動を制限するためだった。
具体的には、人間たちの注意が特定の場所へ向かないように仕向けること。
特定の場所というのは例えば呪いの館のように魔女たちが管理している場所のことだ。
そういった場所へ人間を近寄らせず、余計な面倒事が増えないようにすることが彼女の第一の役割だった。
もちろん、意識にほんの少しの影響を与えるだけの魔術だから十分な効き目を与えられない人間もいる。
元から好奇心や欲望が大きい人間を止めることはできないので、そういう輩が呪いの館へやって来るのはまあ仕方がない。
だが、今回の交易路開拓のような大きな話であればいくらでも妨害はできたはずだった。
それに対して何もせず、あまつさえそれを引き受けて自分の部下の人間を差し向けてくるというのは職務放棄どころの話ではない。
これは魔女を生み出し使役する魔王の意向に対する反逆とさえ捉えられかねない所業で、返答によってはマリアンデールはこの場でリディアを『処理』するつもりでいた。
そうしなければマリアンデールも魔王に同類と見なされる恐れがあるためだ。
マリアンデールはカップを持ったままじっとリディアの答えを待った。
しかし、リディアのほうは呑気に紅茶を啜り、お茶受けのクッキーを一つ摘まみながら言った。
「交易路の件でしたら御心配には及びません。もう片付きましたから」
「へ?」
「なんでも、聞いたところによると国へ要望を出していた商人の方々は毎晩のように悪夢にうなされて体調を崩されてしまったそうなのです。都市のほうでは呪いの館に手を出そうとしたせいではないかと民衆たちが浮き足立ち、結局計画も白紙になってしまったそうで。しばらくは国の偉い方々の間で呪いの館が話題に上ることも無いでしょう」
他人事のように言っているが、商人たちが悪夢を見続けたというのはリディアの仕業だろう。
どうやら既に手は打っていたらしい。
マリアンデールは一気に気が抜けるのを感じた。
「そ、そうなの……。でもそれならどうしてわざわざあの二人を呪いの館へ来させたのよ」
「国からの頼みで教会側が手を煩わせた、という事実を作っておきたかったのです。そうすれば今後の駆け引きで私も多少は動きやすくなりますから」
とすると、サミーとオルレアの二人はその事実作りとやらの為だけに無駄な出張をさせられたのか。
しかもオルレアに至っては『魂の交換』にまで巻き込まれてしまった。
さすがにちょっと同情する。
マリアンデールはそんな事を考えながらようやくティーカップに口を付けた。
……あ、これおいしい。
そういえば紅茶なんてしばらく飲んでいなかった。
前に飲んだのは呪いの館でアルベルトに淹れて貰って以来か。
マリアンデールは湯気の立つカップを眺め、再びそれを口へ持っていった。
リディアはそんなマリアンデールを満足げに見つめていたがが、やがて静かにカップを置いた。
「あの二人を向かわせたのはもちろんそれだけではありません。先程も申した通り、天使様とこうしてお話がしたかったからなのです」
「……話?」
天使様という呼び方については言っても無駄だと悟ったのでマリアンデールはそれにはもう触れないことにした。
ただ、リディアが今『お茶会がしたかった』ではなく『お話がしたかった』と言ったのが気になった。
何か別の用件があるということだろうか。
「実は、教会本部の事でご相談がありまして」
「教会本部、というとイリス神教の?」
「はい。イリス神教総本山、教会本部の地下にある『封印の扉』についてです」




