第40話 イリス神教
呪いの館を訪ねてきたこの二人組は、怪異たちの見立て通りどちらも聖職者だった。
この館が建っている土地の所有者、ルシベーラ公国の国教である『イリス神教』に属する者たちである。
男のほうは名をサミー・セラヴァンといった。
三十六歳。小太りで背が低く、神経質そうな顔で落ち着きなくエントランス内を見回している。
やや頼りない感じのする男だが、これでも教会内では司祭というそれなりの地位にいる人物ではあった。
そして少女のほうはオルレア。
こちらはまだ入信して間もない見習いである。
年齢は十五。丸い目と長い髪が印象的なスラリとした美少女で、せわしないサミーとは対照的に落ち着いている様子だった。
だがやはり怖くない訳ではないらしい。心なしか表情が硬く、館へ入ってきてからずっと口元をきゅっと結んでいる。
本来であれば彼らは教会の施設とその近郊を主な活動場所としており、こんな人里離れた辺鄙な場所へやって来ることなど無いはずだった。
ではどうしてそんな二人がここを訪れたのか。
それを説明するには、現在から少しばかり時間を巻き戻す必要がある。
※ ※ ※
およそ二週間ほど前、ルシベーラ公国北東部にあるイリス神教の第三支部。
サミーが執務室で日課の事務仕事を消化していたところ、ドアをノックする音が聞こえた。
「はい」
「リディアです。少しお時間宜しいかしら」
落ち着いた感じの優しい声だったが、それを聞いたサミーは思わず顔をしかめた。
サミーにとってその声の主はあまり顔を合わせたい相手ではなかったからだ。
とはいえ、サミーが司祭なのに対して向こうは司教補佐。
序列としては向こうが上なので無下にする訳にもいかない。
サミーは机上の書類を片付けて返事をした。
「どうぞ」
「お忙しいのにごめんなさいね。どうしても話しておきたいことがあったものですから」
現れたのは三十代前半くらいに見える背の高い痩せた女性だった。
年季の入った修道服をまとい、サミーに微笑みながら会釈をする。
サミーもぎこちない愛想笑いを作りながら頭を下げた。
「いえ、構いませんよ」
「そう言って頂けるとありがたいですわ」
この女性の名前はリディア・イノーガルといった。
長い間この支部で司教補佐を務めてきた女性で、三十代に見えるが正確な年齢は誰も知らない。
サミーがこの支部に配属された二十年近く前から外見がまるで変わっていないから最低でも五十は疾うに過ぎているだろう。
一体どうやってその見た目を維持しているのか。
それはこの支部における七不思議の一つとして挙げられるほどの謎となっていた。
「それで、お話というのは何でしょう」
サミーは尋ねた。
するとリディアはソファに腰を下ろし、それからゆっくりと言った。
「大した話ではないのですけれど、サミーさんは『呪いの館』の噂はご存じかしら」
「呪いの館というと、うちの地区の外れの森にあるという例の廃墟の事ですな。それでしたらまあ一通りは知っているつもりですが。というか、この辺りの人間ならば知らない者はいないでしょう」
そう答えながらサミーは内心顔をしかめた。
リディアが本題にすぐ入らずに世間話から始める場合というのは、大抵厄介な用件なのだ。
関係のなさそうな世間話をしながらこちらが気付かないうちに外堀をじわじわ埋めていき、気付いたときには断れない状況を作り出す。
この女は無害そうな顔をしてそういう搦め手を平気で使っているのである。
しかも立場上、こちらにはそれを拒絶する術はない。
誰に対しても慈愛を持った丁寧な対応するリディアは、支部内の者たちはもちろん地域住民たちからも広い支持を受けていた。
だが、その本質はどう考えても計算高く人心掌握に長けた人間だった。
それをおくびにも出さず、さも自分はただの敬虔な使徒でございますとばかりに絶えずニコニコしている。
だからサミーはこの女性が苦手だった。
リディアはいつも通り感情の読めない笑顔を浮かべたまま、脈絡のない話を続けた。
近頃司教様の体調が優れないだとか、酒場のマスターから聞いた話では最近また向こう見ずな冒険者グループが呪いの館に出掛けて行って案の定青い顔で逃げ帰って来たらしいとか、この間貧民街へ慰問に出掛けたところまた浮浪児が増えていて心を痛めている、などなど。
それらの情報のほとんどは既にサミーの耳にも入っているものだった。
リディアだってそれは把握しているはずなのに、どうしてそれをわざわざここで繰り返しているのか。
サミーは慎重に受け答えしながら疑問に思った。
そんな矢先、リディアは突然サミーに問いかけた。
「それにしても、館の呪いというのは本物なのでしょうかね。食器が飛び回るだとか人形が動くだとか、とても不思議な出来事に思えますが。サミーさんはどう思いますか?」
サミーは渋面で首を振った。
「馬鹿馬鹿しい。どうせそんなもの、ただの見間違いか何かですよ」
「館から帰っていらした方々が口を揃えてそう証言しているのに?」
「だからこそです。そういった証言が頭にあったから自分もそんなものを見たのだと錯覚をしたのでしょう。呪いとか怪奇現象なんてものは迷信です。そんなもの実際にある訳がありません」
「随分はっきりと言い切るのですね」
「ご存じかと思いますが私は現実主義者ですからね。自分の目で見たもの以外は信用しておらんのです」
呪いの館の怪異とやらもただの見間違いか、そうでなければ何者かによる悪質なイタズラだろう。
サミーはそんな風に考えていた。
するとリディアは探るような視線をサミーに向けた。
「ご自分の目で見なければ信じないのですか?」
「そうですね、それが確実ですから」
「では、神の事も信じていないのかしら?」
「………」
サミーは言葉に詰まった。
率直な事を言ってしまえばサミーは神の存在などまるで信じてはいなかった。
自身が聖職者の道を選んだのは純粋に神父という職の社会的な地位に魅力を感じたのと、万が一この国が戦争に巻き込まれても神職の者ならば徴兵を免れることができるという特権のため。
あくまでも現実の利を見た結果なのだ。
しかしまさかそんな事を口に出す訳にはいかない。
サミーは少し黙ったあと、リディアをジロリを見返した。
「……そういった問いを口にするのは、それだけで神への冒涜に繋がるのではありませんでしたか。確かこれは大昔に司教補佐ご自身から教えて頂いたことのはずですが」
「そうでしたわね。申し訳ありません、失言でした。どうか忘れて下さい」
リディアは眉尻を下げ深々と頭を下げた。
サミーは厳しい顔を崩さなかったが内心安堵していた。
恐らく今の質問で優位に立ちこちらに厄介事を押し付けるつもりだったのだろう。
だがむしろ現状はこちらの方が強く出られる状態になった。
これで余計な仕事を増やされる心配もない。
そう思ったのだが、リディアはニコリと笑った。
「しかし、やはりサミーさんの信心深さは本物ですね。しかも悪魔に打ち勝てる強い精神も持ち合わせているようです。これならば私も安心して任せられます」
「は?」
「実は教会本部のほうから少々困った用件を持ち掛けられてしまいましてね。適任の方が見付からなくて困っていたのです。ですがサミーさんであればきっとやり遂げて下さることでしょう」
何だか知らないがリディアのお眼鏡に適ってしまったらしい。
いや、適うように誘導された、と言うべきか。
「あの……私に何をさせるつもりなのですか?」
サミーは恐る恐る尋ねた。
リディアはそれまでと変わらぬ微笑を浮かべて言った。
「呪いの館にのさばる悪霊どもをサミーさんの手で祓って頂きたいのです」




