第37話 踊る人形
『ベレン』の鞭のような両腕が廊下の狭い空間の中を暴れ回った。
床は砕け、壁にヒビが入る。
一撃でも当たったらひとたまりもない。
しかしセシルはそんな攻撃をスイスイかわしていた。
まるで踊っているかのような余裕のある動きだった。
アルベルトの特訓が無ければこんな芸当は出来なかっただろう。
『ベレン』は苦々しげに呻いた。
「おのれ、ちょこまかと……」
「ほらほら、こっちだ。当てれるもんなら当ててみろよ」
セシルは挑発するように笑い声を上げながら『ベレン』の周囲を絶えず移動し続けた。
『ベレン』は攻撃するたびに反動で傷口から泥を吹き出し、焦りの表情が濃くなっていく。
やはりセシルの読み通り消耗が激しいのだろう。
このままこうして攻撃を避け続ければ戦闘不能にさせることも出来るかもしれない。
可能な限り時間を稼げればいいつもりだったが、セシルはそこに勝機を見出し始めていた。
だがその矢先、ベレンは突然攻撃の手を止めた。
そして伸ばしていた腕を元の長さまで収縮させる。
セシルはその場に立ち止まり声を掛けた。
「どうした? 降参するのか?」
「まさか。そんな訳ないだろう」
「じゃあ何だ」
セシルの問い掛けに対して『ベレン』は答えなかった。
その場を動こうともせず、観察でもするようにセシルをじっと見つめる。
諦めや戦意喪失は感じられない。何か碌でも無いことでも閃いたような顔だった。
何か仕掛けてくるつもりか?
セシルは警戒し、いつでも動けるよう身構えた。
ところが『ベレン』は身体の力を抜くと、先程のベレンを装っていた時のように穏やかに言った。
「先程から君に避けさせてばかりなのは悪いと思ってね。ここはフェアに攻守交替と行こうじゃないか」
「……なんだと?」
「私がここまで一方的に攻めた分、今度は君の攻撃の機会を与えてあげようというのさ。さあ、かかって来るがいい」
『ベレン』は余裕を誇示するかのように両手を広げてみせる。
だがセシルはその場から動かなかった。
すると『ベレン』は口元に笑みを浮かべた。
「何故攻撃して来ないんだい? ……ひょっとして、君には攻撃手段が無いのかな」
「………」
セシルは答えなかった。
顔には出さないように堪えていたが、内心かなり焦りを覚えていた。
……まさか、この短時間で気付かれるとは。
それは既にアルベルトからも指摘されていたことだった。
セシルは膨大な魔力を取り込んで発光することで高速で移動することが出来る。
だが動きが早くなるだけで攻撃面はほとんどと言っていいほど変化しないのだ。
もちろんそれはセシルだって自覚していたので対策は考えていた。
一応、攻撃手段を用意してはいるのだ。
ただしそれは完全な付け焼刃。アルベルトからは使わないほうがいいと言われていたし、そもそも『ベレン』相手に通用するかはわからない。
どうする? 一か八か使うべきか?
セシルは迷った。
そんなセシルの様子を見て、『ベレン』は自分の推測を確信したようだった。
「やはり、お前は避けることしか出来ないようだな。ならいちいち相手にする必要も無かったか」
見下したようにそう言うと、『ベレン』はセシルからロレッタの部屋の扉へと視線を移した。
セシルが顔色を変える。
「何をする気だ」
「決まっているだろう。封印を壊すのさ。お前はそこで指を咥えて見ているがいい」
『ベレン』は右腕を振りかぶった。
再び高速の鞭と化した右腕が扉に襲い掛かる。
あんなものが直撃したら封印も扉も恐らくただでは済まない。
「くそっ!」
セシルは弾けるように駆け出すと飛び上がって右腕に体当たりした。
右腕の軌道が僅かに逸れ、天井に突き刺さる。
だがセシルも弾かれて空中に投げ出された。
「ほう、よく守ったな。だが終わりだ。死ね!」
嘲笑うような叫び声が聞こえた。
見れば、セシルに向かって今度は左腕が迫ってきていた。
右腕はセシルを無防備にさせるための囮で、最初からこれが狙いだったのだろう。
空中のセシルは身動きが取れない。
このままでは間違いなく直撃する。
「こりゃもう迷ってる暇ないな」
セシルは歯を食いしばった。
それから自分のスカートを思い切り捲り上げると、太腿に紐で結んでいた『ある物』を手に取って身構える。
次の瞬間、『ベレン』の左腕がセシルの身体を貫いた。
……かのように思われたのだが。
『ベレン』は目を見張った。
「なっ……!?」
「危ない危ない。間一髪だったな」
セシルはホッとした様子で呟いた。
『ベレン』の左腕は間違いなくセシルを捉えていた。
しかしその攻撃は届いていなかった。
というか、まるで手応えが無い。
セシルを貫くはずだった左腕の先端部が、セシルが取り出した『それ』の中に吸い込まれてしまっているのだ。
「な……一体何だそれは」
「何って見りゃわかるだろ。ちり取りだよ、ちり取り」
セシルが取り出したのは小さなちり取りだった。
マリアンデールの魔術のお陰で見た目以上に大容量な魔法のちり取り。
セシルが普段から掃除に使っていたあれである。
『この世ならざる者』に対しては普通の武器では効果がない。
怪異やそれに近いものでなければ攻撃が通らない。
アルベルトはそう言っていた。
それならば、マリアンデールの魔術が掛かったこのちり取りなら使えるんじゃないか、とセシルは考えた。
攻撃するのは難しいかもしれないが盾代わりにはなるだろう。
それにこれはいわば収納道具。
上手く使えば中に入ったものを封じ込めることだってできるはず。
『ベレン』が戸惑った隙を見逃さず、セシルは相手の腕を支えにぐるりと素早く回転した。
ブチッと何かが千切れる音がして、『ベレン』が悲鳴を上げた。
「ぎゃあああ!」
『ベレン』は慌てて腕を引き戻した。
しかしその腕は二の腕の途中から先が無くなっていた。
ちり取りに突っ込んでいた部分がそのまま捻じ切られたのだ。
「貴様……」
ベレンは泥がボタボタと滴る左腕を押さえながらセシルを睨んだ。
セシルはちり取りを構えながら不敵に笑った。
「へえ、元が泥みたいな身体だっただけあって思った以上に脆いんだな」
それからチラリとちり取りに目をやる。
ちり取りの中の左腕が外へ出てくる様子はない。
これなら十分武器として使えそうだ。
容量的には『ベレン』を丸ごと収納することも可能なはず。
「さっき攻守交替とか言ってたよな。なら遠慮なく行かせてもらうぞ」
セシルはそう言うなり体勢を低くして前進した。
『ベレン』は一瞬怯えたような表情を浮かべたあと、苛立たし気に後退しながら両腕を伸ばしてセシルに差し向けた。
しかしやはりちり取りの存在を相当警戒しているらしい。直接セシルを狙おうとはせず、上や横から殴り付けるような攻撃ばかりを繰り返した。
攻撃が先程より単調になったため当然セシルには当たらない。
セシルは縦横無尽に駆け回りながらあっという間に『ベレン』との距離を詰めた。
もらった!
セシルはちり取りを構えると『ベレン』に飛び掛かろうとした。
だがその寸前、『ベレン』が大きく息を吸い込み頬を膨らませた。
「!?」
危険を察知したセシルが反射的に距離を取る。
するとその直後、『ベレン』は口から無数の黒い針のような泥を吹き出した。
「わっ!」
自分へ向かってくる針をちり取りで受けながらセシルはさらに飛びすさった。
当たらなかった針はそのまま床に突き刺さる。
どうやら腕以外にも攻撃手段があるらしい。
これでは下手に近寄れない。
しかし攻めあぐねているのは『ベレン』も同じようだった。
距離を取ったセシルに対して再び腕の鞭を繰り出してきたが、それに針攻撃を組み合わせたりはしてこない。
恐らくあの攻撃は身体の一部を飛ばしているのだろう。だから無闇には使えないのだ。
状況はセシルにかなり有利に思えた。
ちり取りの脅威がある以上あちらは攻撃し続けなければならないし攻撃するたびに消耗する。
それに対し、こちらは機会を窺いながら回避に徹していればいいのだから。
何度かヒヤリとさせられたが、これならどうにかなるかもしれない。
セシルはそう考えた。
そしてその考えが油断に繋がった。
「おわっ!?」
腕の鞭をかわして床を滑ったセシルは不意に足を掴まれてバランスを崩した。
見れば、先程『ベレン』が放った針が蔓のようになってセシルの足に絡みついている。
しまった、と思った。
どうやら先程の攻撃の真の狙いはこれだったらしい。
セシルの機動力を奪うためのものだったのだ。
急いで振りほどこうとしたが、予想外に粘ついて離れない。
「ようやくかかったな。手こずらせてくれたものだ」
『ベレン』が吐き捨てるように言い、腕の鞭を振り下ろす。
まずい。
これは避けられない。
セシルは逃げるのを諦め、両腕を構えると死を覚悟でそれを受け止めようとした。
だがその時セシルと『ベレン』の間を何かが素早く通り過ぎた。
同時に振り下ろされていた『ベレン』の腕がバラバラになって床に散らばる。
そして何が起きたのかと思ったのも束の間、今度は四方から紐が伸びてベレンの身体を拘束した。
突然の出来事にベレンが混乱しながら喚く。
「な、なんだこれは!? 一体何が起きた!」
セシルも茫然と『ベレン』を見上げていた。
『ベレン』を縛り付けている紐には見覚えがあった。
それに、たった今『ベレン』の腕を切り裂いた、あの目にも止まらぬ斬撃。
あんなことが出来るのは……。
そう考えた矢先、セシルは背後から伸びてきた手に抱き上げられた。
むにゅ、と柔らかい感触が背中と後頭部を包む。
「まったく、危ないことはしないでって言ったのに……。でもよく頑張ったわね」
「ええ、お手柄です。よくぞ今まで持ちこたえて下さいました」
「……二人とも無事だったのか」
セシルは振り返った。
そこには安堵した様子のウェンドリンとアルベルトの顔があった。




