第32話 呪われた令嬢
「この部屋って……」
セシルが連れて来られたのは、とある部屋の前だった。
館の二階、ロロネの部屋からやや離れた位置にある、扉の装飾などが他の部屋とは明らかに違う部屋。
常に鍵が掛けられている部屋で、セシルがまだ立ち入ったことのない場所の一つだった。
「ひょっとして、とは思いましたがやはりここでしたか」
アルベルトがウェンドリンに言う。
ウェンドリンは何故か寂しげな微笑みを浮かべた。
「色々考えたんですが、やっぱりもしものことを考えるとセシルにも事前に知っておいて貰った方が良いと思いまして。……それにさっき様子を確認したんですが、今日はあの子も調子がいいようでしたし」
「そうでしたか。ではセシルさんに全てお話するのですね」
「ええ」
何やら気になる会話だが、とりあえずこの中に誰かがいるらしい。
しかしセシルは内心首を傾げていた。
セシルがここへ来てから随分経つが、これまで知り合った怪異たち以外でこの館の関係者というとマリアンデールくらいしか見かけたことが無い。
他に誰かが生活しているような気配もまるで感じなかったのだが……。
セシルはウェンドリンに尋ねようとしたが、それより先にウェンドリンは扉のノブに手を振れた。
するとノブを中心に複数の魔法陣が出現し、それらがいくらか回転したかと思うと、ガチャリと音を立てて鍵が開いた。
セシルは目を丸くした。
「何だ今の」
「この部屋はマリアンデールの結界が張られているの。地下の扉ほど強力な物ではないけれど、解除方法を知らなければ簡単には入れないようになっているわ」
「へえ……」
随分と厳重な守りだが、中にいるのは一体誰なのだろう。
ウェンドリンとアルベルトが部屋に入って行く。
セシルもやや緊張を覚えながらそれに続いた。
そこはとても簡素というか、寂しい印象の部屋だった。
部屋自体は広いが家具はほとんど置かれていない。
そして、一見したところ室内には誰もいなかった。
留守とかではなく、そもそも誰かが生活しているような形跡がまるで無い。
定期的に掃除はされているようで清潔感はあったが、それが却って違和感を覚えさせた。
だが、この時のセシルはそれをおかしいとは感じなかった。
正確にはそんなことを考える余裕が無かった。
「これは……」
部屋を見回したセシルは、壁に掛けられた一枚の絵に目を奪われていた。
それは家族の肖像画だった。
幼い女の子が手前の椅子に座り、その後ろに父親と母親らしい男女が寄り添うように立っている。
ありふれた構図の、幸せな一家が描かれたごく普通の肖像画。
ただセシルの注意を引いたのは、女の子が大切そうに抱えていた人形だった。
赤いドレスで着飾られた小さな少女の人形。
緑の目にブラウンのショートヘアで、髪にはドレスと同じ赤いリボンが付けられている。
セシルはその人形に見覚えがあった。
忘れる訳がない。
現在の自分自身なのだから。
女の子が抱いているのは、間違いなく『人形のセシル』だった。
「じゃあ、この人たちが……」
「あら気付いたのね。この絵はここの最後の主だったベレンさんとその家族のものよ」
「………」
セシルは改めて肖像画を見上げた。
ベレンは娘を蘇らせるための魔術の儀式を行う際、セシルを供物の一つとして利用した。
生前の娘が大切にしていたというこの人形を。
頭では分かっていたつもりだったが、こうして当時の姿を見せられるとセシルは何とも言いようがない思いに襲われた。
自分とは直接関係ないはずなのに、気になって仕方がない。
この肖像画が描かれた頃は、この家族も自分たちにこんな未来が訪れるなど考えてもいなかったに違いない。
「――お嬢様、お久し振りです」
肖像画に釘付けになっていたセシルはアルベルトの声で我に返った。
そちらへ顔を向けると、ウェンドリンとアルベルトが部屋の隅に置かれた椅子の前に立っている。
そしてその椅子には誰かが座っているようだった。
はて、とセシルは思った。
先程はてっきり誰もいないとばかり思ったのだが、気付かなかっただけだろうか。
セシルは慌てて椅子のほうへ駆け寄って行った。
だが、椅子に腰掛けた人物が誰なのかわかると、思わず目を見張り足を止めた。
それは十五歳くらいの少女だった。
眠っているのか椅子の背もたれに身を預け、目を閉じたまま動かない。
目鼻立ちのはっきりした顔立ち。やや暗めの金髪で、前髪は長く片目が隠れてしまっている。肌は白く小柄で華奢な印象を受けるが、動きやすそうなシンプルな黒いドレスを着ているのを見ると意外とお転婆なのかもしれない。
セシルはその少女に会うのは初めてだったが、それが誰なのか一目でわかった。
何しろ、たった今見たばかりなのだから。
成長しているため多少は印象は変わっているが、間違いない。
「その子、まさか……」
セシルはポツリと呟いた。
するとウェンドリンが振り向いてゆっくりと頷く。
「この子はロレッタ・フォーレス。ベレンさんが蘇らせようとした彼の一人娘よ」
ロレッタ・フォーレス。
この館の主、ベレン・フォーレスの娘。
肖像画の中でセシルを抱いていた女の子。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。この子は流行り病で亡くなったんじゃなかったのか?」
そもそもベレンが狂い魔術に傾倒したのは娘の死が発端のはずだった。
というか、亡くなったのだってもう何百年も昔のことだろう。
その少女がどうしてここにいるのか。
状況が理解出来ないセシルに対し、アルベルトが言った。
「ベレン様が発動させた魔術は地獄への入り口を開くという最悪の結果を招きました。しかしそれだけではなかったのです。さらに悪いことに、本来のベレン様の願いが不完全な形で叶えられてしまっていたのですよ」
「どういうことだ?」
「見ていればわかるわ」
ウェンドリンがロレッタへ目を向けるように促す。
セシルが戸惑いながらも見つめていると、ロレッタの姿が次第に透き通っていき完全に消えてしまった。
驚いてあっと口を開けたが、セシルが声を上げる前にロレッタは再びゆっくりと姿を現した。
「……どうなってるんだ、これ」
「この子には呪いが掛かっているの。不具合、と言う方が正確らしいけどね。今日はまだ良い方で、酷い時は何週間も姿を見せてくれないこともあるのよ」
ウェンドリンはロレッタの頭を優しく撫でた。
「ベレンさんはこの子を蘇らせるため、魔術でこの子の魂をこの世へ呼び戻そうとした。そしてその願いは中途半端に叶ってしまった。今のこの子はこの世のことわりから完全に外れてしまっている状態なのよ」
「この世のことわり?」
「私たちも死後の世界や魂については知らないから詳しく説明出来ないけれど、マリアンデールがそう言ってたわ。『この世とあの世に片足ずつ突っ込んで身動きが取れなくなってしまった状態だ』って」
「そうなのか……」
セシルにはどう言うものなのかはっきりとは理解出来なかったが、それが好ましくない状態だということだけはわかった。
あのマリアンデールが何も手を打っていないとは思えないし、相当厄介なものなのだろう。
「その子、話とかは出来るのか?」
「出来ないわ。この子は生きることも死ぬことも出来ない状態でずっと眠り続けている。さっき透明になったのを見たと思うけど、存在自体が不安定なの。……だからこそ、『この世ならざる者』に狙われている」
「え?」
思いがけない言葉にセシルは目を見張った。
アルベルトが引き取って続ける。
「地下のあの穴から『この世ならざる者』が現れるのはお嬢様が目的なのです。地獄の穴と深い関わりがあり、自分たちと同じく存在が不安定なお嬢様を自分たちの世界へ引きずり込むため。そのために地下の封印を強引に突破してまでこちら側へ出てくるのですよ」
「……確かなのか?」
「間違いありません。過去に現れた例のベレン様の姿をした個体も言っていましたからね。『娘を迎えに来た』などというふざけたことを」
「そんなことは絶対にさせないけどね」
ウェンドリンが独り言のように呟いた。
「………」
つまりマリアンデールがこの館の怪異を生み出したのは、『この世ならざる者』への対抗手段というより、この少女を守るため。
セシルは愕然としていた。
考えてみれば、セシルはこれまで『この世ならざる者』がどうして現れるのか、その理由についてあまり気にしていなかった。
物語に出てくる怪物のようにこの世を滅ぼそうとしているのだろうとか、そんな風に漠然と考えていたのだ。
しかしそうではなかった。
あの連中には明確な目的があったらしい。
もしもロレッタがあの連中に地獄へ引きずり込まれたら一体どんな目に遭わされるのか。
ベレンの末路からすると考えたくもない。
セシルは肖像画に目をやった。
ただの人形だった頃のセシルはロレッタに大切にされていたらしいが、現在のセシルにはロレッタとの思い出など無いし、たった今会ったばかりなので特別な感情や義理も感じてはいなかった。
にもかかわらずセシルは自分の中に怒りにも似た感情が沸き上がってくるのを覚えた。
それは義憤なのか、それともこの人形の身体がそうさせるのか。
どちらにしても、この少女をあの連中には絶対に奪わせる訳にはいかない。
地下の封印の差し替えは必ず成功させる。
そのためには今よりも強くならなければ。
セシルはこれまでよりも一層決意を固めた。
※ ※ ※
それから数日間、セシルはアルベルトに移動制御の稽古を付けて貰った。
稽古は想像していた以上に厳しいものだったが、その甲斐もあってセシルは発光時でもある程度は思い通りに動けるようになった。
「見違えるほど動きが良くなりましたね。もう並みの個体相手であれば後れを取ることもないでしょう」
「ようやく太鼓判押して貰えたか」
セシルがゼーゼーと肩を上下させながら二ッと笑う。
対してアルベルトは息一つ乱す様子もなくしげしげとセシルを眺めた。
「しかし勿体ないですね」
「というと?」
「それだけ動けるというのに攻撃手段が無いとは。相手が『この世ならざる者』でさえなければ今のセシルさんなら十分戦力として数えてもいいと思えるのですが」
アルベルトは本心から残念そうに言った。
稽古を付けて貰ってわかったが、アルベルトはその温厚そうな外見や言葉遣いとは裏腹に戦闘狂めいた一面があるようだった。
元からそういう性格だったのか、それともずっと地下で戦い続けた影響なのかはわからない。
セシルは乱れた髪を手櫛で軽く整えながら言った。
「その事なんだけど……実は前から考えている策があるんだ。実際に使う機会は来ないと思うんだけど、ちょっと意見を聞かせて貰ってもいいかな」
「ほう。伺いましょう」
アルベルトの目が興味深げに輝いた。
それからさらにセシルとアルベルトは時間を惜しんで稽古を続けた。
その間、マリアンデールが懸念していたような予想外のトラブルなども特に起こることは無かった。
そして、さらに数日後の夜。
他所での用事を済ませたマリアンデールが館に戻り、ついに地下の封印の強化作戦が実行に移されることになった。




