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第31話 干し肉の魔女と修行の依頼

「それじゃセシル、他の子たちにも外の結界変えたこと伝えておいてね」


 マリアンデールがそう言いながら杖を振ると例によって周囲の空間が水面のようにうねり始める。

 どうやらもう次の現場とやらへ移動するらしい。

 セシルはそれを見送っていたが、ふと思い出した様子で声を上げた。


「あ、ちょっと待った」

「どうかしたの?」

「悪いんだけどまだ行かないでくれないか。渡そうと思ってたものがあるんだ」

「え?」


 マリアンデールが呼び止める前にセシルはどこかへ走って行ってしまった。

 そのまま出発するわけにもいかないのでマリアンデールは空間転移の魔術を解除する。

 しばらく待っていると、セシルは何やら袋を抱えて走って来た。


「はいこれ」

「何それ」

「干し肉」

「干し肉?」


 マリアンデールが受け取って開いてみると、確かに干し肉が袋一杯に入っている。

 どうやら謎肉を加工して作ったらしい。


「良かったら貰ってくれ。疲れてるなら多少は助けになると思うし」

「でもいいの、こんなに」

「ああ。実を言うとさ、作ったは良いんだけど魔力回復の効果がありすぎてほとんど消費できてないんだ。オレなんか一枚食べただけで魔力量振り切っちゃうし」

「要するに在庫処分に協力しろと」

「身も蓋もない言い方をするとそうだな。でも味は保証するよ」


 セシルは悪びれる様子もなく言う。

 マリアンデールは苦笑しながら試しに小さな欠片を摘まみ上げると口に放り込んだ。

 あの謎肉のステーキは美味しかったし、ここまで自信満々に勧めるのならそれなりに出来はいいのだろう。

 何にせよ、口に入れる物があれば確かに疲労は紛れるかもしれない。

 ありがたく頂こう。

 そんな風に思ったのだが……。


「………」


 干し肉を口に入れた途端、マリアンデールは真顔になった。

 不味かったのではない。

 期待していたよりも遥かに美味しかったのだ。


 干し肉は程よい塩加減で柔らか過ぎず硬過ぎず、油と肉のバランスも絶妙。噛めば噛むほど旨味が口の中に広がり、自然と笑みがこぼれてしまう。

 今まで好き好んで食べていなかったというのもあるのだろうが、マリアンデールが今まで食べてきた中では間違いなく一番美味しい干し肉だった。


 そして味以上に驚いたのはその魔力の回復効果。

 魔力の元である瘴気から生み出した肉をさらに干して濃縮したためだろうか。

 たったひと切れ食べただけだというのに、マリアンデールは体内の魔力が一気に膨れ上がるのを感じた。

 さらに副次効果なのか分からないが、疲れや眠気がすっかり吹き飛び気分が高揚してくる。


「凄いわねこれ。良い物を貰ったわ。これさえあれば一週間くらい眠らなくても頑張れそう」


 マリアンデールは目を丸くしながら歓声を上げた。

 それを聞いたセシルが思わず眉尻を下げる。


「いや、ちゃんと休みは取ってくれよ。確かに何か気分は良くなるけど本当に疲れが取れる訳じゃないし、無理をしろって意味で渡したんじゃないんだから」

「冗談よ。じゃあとりあえず早めに戻って来るつもりだからその間のことはよろしくね」


 マリアンデールは干し肉の袋を軽く持ち上げた。

 すると袋が音もなく縮みながら手の平の中へ消えていく。

 魔法のちり取りと同じ収納魔術だろうか。


 それからマリアンデールは杖を振った。

 すると再び周囲の空間が波立ち、マリアンデールはセシルに軽く手を振りながら溶けるように消えていった。


「大丈夫かな……」


 静まり返ったエントランスでセシルは不安げに呟いた。



 ※ ※ ※



 それから二日ほど平穏な日々が続いた。

 正確にはセシルにとっては平穏な日々だった。

 平穏というより、退屈と表現したほうががいいかもしれない。


 マリアンデールが館の外の結界を作り替えたので外から人間の侵入者がやって来ることはない。

 そしてセシルには戦闘能力がないため、地下の封印の見張りの交代要員からも外されている。

 さらに、何かが起きた時にすぐ対応できない恐れがあるということで中庭での農作業や空き部屋の燻製室改装などの大掛かりな工事も封印の件が解決するまで中止。


 結果、セシルは時間を大分持て余していた。

 地下の見張りをしている他の怪異に聞かれたら気分を悪くされそうだが、退屈なものは退屈なのだから仕方ない。

 見張り役のために謎肉を焼いて差し入れたり館の掃除をしたりとやる事が全く無い訳ではないのだが、それらは大体これまでも他の作業の片手間でやっていた事なのですぐに終わってしまう。


 そんな訳で、現在セシルは館の中をうろうろと当てもなく歩き回っていた。

 天井を見上げながら、オレにも戦う力があったらいいのになあ、などと考える。

 別に戦いたいのではない。

 何もせずにただ守られているだけ、というのが性分的にどうも合わないのだ。

 そして、そんな時のことだった。


「あれ、アルベルトさん」

「おやこれはセシルさん」


 廊下の曲がり角でセシルはアルベルトに出くわした。

 アルベルトはいつも地下にいる印象なのでなんだかこんな所で見かけるのは新鮮な感じがする。


「珍しいねアルベルトさんがこんな所にいるなんて。何してるの?」


 セシルが尋ねるとアルベルトは少しきまりが悪そうに微笑んだ。


「いや、特に何もしていません」

「そうなの? じゃあ何でこんな所に」

「お恥ずかしい話ですが、ずっと地下で過ごしていたため休みを貰っても不慣れというか、少々手持無沙汰でして。何かすることはないかと探していたのです」


 これまで地下の封印はアルベルトがメインで見張り役を果たしていたのだが、その役を二人に増やすということになってからはセシルを除いた全員による完全交代制になっていた。

 当然ながらアルベルトが地下に待機しなくてよい時間帯も出てくる。

 現在見張りをしているのは確かリンゲンと三兄弟が当番のはずだ(三兄弟は三人で一人扱い)。


 セシルも見張りの当番表を見せてもらったが、アルベルトが見張りに付かない時間がかなり多めに設定されていた。

 他の怪異たちからすればこれまで頑張ってくれたことに対する親切心というか、アルベルト一人にずっと任せっきりにしていた負い目のようなものがあったのだろう。

 だが、アルベルト本人にとってはずっと続けていた役割を唐突に取り上げられたようなものだから返って戸惑いがあるのかもしれない。

 せっかく休みを貰ったのだから気負わずのんびりしていればいいのに……とセシルは思ったが、考えたらセシルも立場は違うが同じく暇だという理由で廊下を徘徊していたことと思い出した。


「何かすることはないかと探していた、か……」


 セシルは何気なく呟いた。

 そしてふと閃いた。


「アルベルトさん、だったらオレに稽古を付けてくれないかな」

「修行ですか?」

「ああ。万が一に備えて、発光状態でも思い通りに動けるようになりたいんだ」


 謎肉を一定量以上摂取したセシルは赤く光って飛躍的な運動能力を発揮することができる。

 だがそのスピードに対して感覚が付いて行けず、走るとか跳ぶとか単純な行動以外の動作は未だに思うように出来ない状態のままだった。

 リンゲンやウェンドリンなどはそもそも戦いに向いていない怪異なのだから気にしなくていいと言ってくれるが、今のままではいつか後悔することになる気がする。


 例えば、仮に『この世ならざる者』と対峙するような羽目になった場合でも現状のままでは逃げの一手しか選べない。

 逃げたら他の仲間を置き去りにすることになるとか、逃げたら不味いとはっきり分かる状況でもサポートにすら回れず逃げるという選択肢しか取れないのだ。

 そんなのは嫌だった。


 戦闘に特化した怪異であり、平時でも高速で動けるアルベルトに稽古を付けてもらえれば、何か現状を打開するヒントが得られるものもあるかもしれない。

 セシルはそう考えた。


「ふむ……」


 セシルから事情を聞いたアルベルトは探るような目でセシルを見た。

 それから少し時間を置いてから言った。


「確かにお気持ちは分かります。皆の役に立ちたいと望まれるのは立派なことだと思いますし、私がその手助けをするのもやぶさかではありません」

「いいの?」

「ただし」


 喜びかけたセシルに対してアルベルトは言った。


「マリアンデール様が戻られるまでもう時間がありません。中途半端な訓練で生兵法になってしまうくらいなら現状のままのほうがまだマシでしょう。……もし教えを乞うというのであれば相当に厳しく教えさせていただくことになりますが、その覚悟はおありですか?」


 アルベルトの口調と表情はそれまで通りの穏やかなものだったが、それが逆に凄みを感じさせた。

 冗談ではなく死ぬほど厳しい訓練になるのだろう。

 だがセシルは迷わず頷いた。


「もちろん。無茶なお願いをしてるのはこっちも承知の上だからね。やれる事があるのなら何だろうがやっておきたい」

「分かりました。ではお引き受けしましょう」


 アルベルトは深々とお辞儀をした。

 セシルも教わる側なので同じように頭を下げる。


「さて、それでは時間も惜しいですし早速始めたいのですが……ここでは備品などが壊れる恐れがありますね。どこか気兼ねなく動ける場所があればいいのですが」

「それなら一階の物置みたいになってた部屋をこの間片付けたから、そこで――」


 セシルたちが打ち合わせをしていると、背後から声を掛けられた。


「あらセシル、こんな所にいたのね。探したわ」


 振り返るとウェンドリンだった。

 どこか緊張した面持ちをしている。

 セシルは不安を覚えた。


「どうしたんだ。まさか、地下の封印で何かあったとか……」

「そうじゃないわ。私そんなに怖い顔してたかしら、ごめんなさい」


 ウェンドリンは軽く手を振りながら笑った。

 セシルは怪訝な顔をした。


「それなら一体……」

「実はあなたに会わせたい人がいてね。ちょっと付き合ってもらいたいのよ」

「へ?」


 会わせたい人?

 セシルは目をぱちくりさせた。

 一体誰だろう。

 今、この館には誰も入って来れないはずなのだが……。

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