第27話 呼び声
「地獄の入り口を生み出した張本人って……」
セシルは思わず息を飲んだ。
そしてアルベルトから聞いた話を思い出した。
不完全な魔術の発動によって地獄へと繋がる穴が生み出された瞬間、魔術を発動させた領主は地獄に引きずり込まれた。
アルベルトは確かそう言っていたはずだ。
「それじゃあその領主は――ベレンって人は生きていたのか?」
その問いに対しリンゲンは静かに首を横に振った。
「いいや。この目で見たから断言できるがあれはベレン殿本人ではない。そもそも普通の人間は瘴気が充満しているあの扉の向こう側では数秒と持たんからな。生きているはずがないんだ」
「それなら誰なんだ?」
「比喩ではなく、言葉の通り本人の皮を被った偽物さ。地獄に引きずり込まれたベレン殿は『この世ならざる者』に肉体も魂も喰い尽くされ、全てを奪われてしまったのだろうとマリアンデールは言っていた」
「喰われた……?」
「あちら側へ生身の人間が飛び込んだケースなど今まで無かったそうだから、マリアンデールとしても推測の域は出ないようだったがな」
「………」
あの黒い泥のようなものが身体に潜り込み内部からじわじわ侵食していく。
そんな光景を想像してセシルは思わず身震いした。
リンゲンは続ける。
「あの個体が現れた時、それが本物のベレン殿でないのは皆すぐに気が付いた。だが情けないことに、偽物だと頭ではわかっていても普段のように動くことが出来なかった。奴は本物のベレン殿ではなかったが、まるで本人のように振る舞ってみせた。あの方と同じ姿で、あの方と同じ声で、あの方と同じようにわしらに話しかけてきたんだ」
「喋った? あの黒い奴が?」
「そうだ。単に姿を模倣したのではなく喰って取り込んだのだろうとマリアンデールが推測した根拠もそれが理由だった。ベレン殿が地獄に引き込まれた後で生み出されたわしらはあの方と直接話をしたことなどもちろん無い。しかし皆、元は長年この館で使われた縁のある物ばかりだったからな。そのせいで惑わされ不覚を取ったのだ」
リンゲンのその言葉には悔恨が滲んでいた。
セシルはダイニングで怪異たちが何故思い迷っていたのか分かった気がした。
親しみを感じていた人物の変わり果てた姿。
しかもそれを利用して仲間を殺した相手。
そんな個体がまた現れるかもしれないとなれば、二の足を踏みたくのも無理はない。
ただ、セシルは同時に疑問も浮かんだ。
「でも……そもそもどうしてそんな奴が現れたんだ? 厄介な個体という意味はわかったけど、アルベルトさんの話だとそいつは本来あの封印の扉を突破できないんだろ?」
するとリンゲンは口元に自嘲するような弱々しい笑みを浮かべた。
「奴のことは、わしらが招き入れてしまったのさ」
「え?」
「先程わしらがマリアンデールに良い返事が出来なかったのもそのためだ。また判断を誤って取り返しの付かないことになるんじゃないか。情けない話だが皆それを恐れたんだ」
「……一体何があったのか聞いてもいいか?」
セシルは慎重に尋ねた。
リンゲンは静かに頷き、再び口を開いた。
「あの日、最初に異変に気が付いたのはアルベルト殿だった。彼はわしらの元へやって来ると、封印の扉の向こうから声が聞こえる、と言ってきた」
「アルベルトさんが……」
「あの人は趣味の悪い冗談など言う男ではないし、そうでなくともあの時は普段からは考えられないほど取り乱した様子だった。だからわしらも余程のことが起きたに違いないと考え、急いで地下の広間へ向かったんだ」
と言っても――と、リンゲンは続けた。
そのとき地下へ向かった怪異は全員ではなかった。
アルベルトとリンゲンの他にはウェンドリン、ロロネの計四人。
ポルターガイストの三兄弟は前日に人間の侵入者の相手をしていたため就寝中だったし、セシルは部屋に引き籠ったまま出て来ない。謎肉にはこの手の相談事には不向きなので放っておいた。
四人が封印の扉の前までやって来ると、扉からは確かに声が聞こえていた。
『誰かいないのか。開けてくれ。私だ、ここから出してくれ……』
こちらへ向けて必死に助けを求める悲痛な声。
それは注意深く耳を澄まさなければいけないほど微かな声だったが、はっきりと言葉として聞き取れた。
「……アルベルト殿、これが聞こえてきたのはいつからです」
「つい先程、突然聞こえ始めたのです」
アルベルトの顔には困惑と焦燥がありありと浮かんでいた。
しかしそれはリンゲンたちも同じだった。
戸惑わないはずがない。
こんなことは初めてだったし、何よりその声はリンゲンたちの記憶に深く刻み込まれた自分たちの主――ベレンのものだったのだから。
瘴気の中では人間は生きられない。
第一、この館の主であったベレンが地獄に引きずり込まれてからこの時点で既に百年以上もの月日が流れていた。
この声の主がベレン本人であるはずはないのだ。
それでは、この声は一体何なのか。
「とにかく、マリアンデールに連絡を取りましょう。それまでは迂闊に手を出さないほうがいいわ」
ウェンドリンが言い、他の三人も頷いた。
だが、その矢先だった。
『ま、待て、何だお前は! く、来るな! ……おい、早く開けてくれ! 助けてくれ! このままでは――ぎゃあああぁぁぁ!!』
一時的に静かになっていた扉から、不意にほとんど悲鳴に近い叫び声が響いた。
突然の事に、四人は思わずその声に反応して主の名を呼び掛けてしまった。
その結果、封印の扉は僅かに開いた。
「――扉が開いたって、なんで?」
セシルは思わず口を挟んだ。
リンゲンは言った。
「あの封印の扉の仕様の一つでな、あの扉は向こう側からは何をしても開かないようになっているが、こちら側からであれば封印をある程度まで緩めることができるようになっているんだ。そしてその封印を緩める方法の一つが、向こう側からの呼び掛けにこちらが反応することなのさ」
「どうしてそんな仕様が?」
「マリアンデールによるとあの手の封印には基本的に備わっている仕様らしい。こちらが許可を出したものだけを招き入れられるというのは色々と都合が良いそうでな。……まあ、わしらの場合はその仕様の裏を掻かれた訳だが」
招き入れてしまったというのはそういう意味か、とセシルは思った。
わざとらしい悲鳴を上げて驚かせ、反応させて扉を開かせる。
子供のイタズラのような下らない手だが、その時のリンゲンたちに対しては効果てきめんだったことだろう。
ただ、セシルはそれを聞いて不思議に思った。
「でもどうしてそいつはその封印の仕様を知っていたんだ?」
「それはわしらにもわからん。マリアンデールも不思議がっていたよ。喋れる奴なのだから捕まえていれば聞き出せたかもしれないが、あの時はそんな余裕は無かったからな」
疑問ではあるが今は知りようも無いらしい。
セシルは話を戻すことにした。
「じゃあその辺のことは置いておくとして……扉が開いた後はどうなったんだ?」
「その後はアルベルト殿がダイニングで話した通りさ。ベレン殿に瓜二つの姿をした『この世ならざる者』が現れた。そして、隙を突かれたロロネが命を落としたんだ」
仲間の死が絡む部分だったせいもあるだろう。
以降のリンゲンの話は簡約的なもので、特筆するような情報も無かった。




