第26話 特定の個体とは
「扉の封印をどうするか、ねえ……」
セシルは自室に戻って来ると、ソファにゴロンと横になって天井を見上げた。
この二ヶ月でこの執務室もすっかり様変わりしている。
蜘蛛の巣だらけだった天井も蜘蛛の巣どころか染み一つ残っていない……のだが、とりあえず今はその辺のことはどうでもいい。
セシルは寝ころんだまま、マリアンデールから聞いた話についてぼんやりと考えていた。
マリアンデールが帰ったあと、食事会は間もなくお開きとなった。
といっても、別にマリアンデールの話のせいで何かがあったとかではない。
食べ終わったらすぐに解散なのは毎度のこと。ダイニングに集まるのは単にまとめて料理をして謎肉を効率的に消費するのが目的なので、むしろ長居されるほうが困るのだ。
そもそも話したい事があるなら食事会など無くても好きな時に話せるのだから。
ただ、全く影響が無かったかと言えばそんな事も無かった。
マリアンデールがいなくなったあとのダイニングはどことなくぎこちない雰囲気が漂っていた。
そしてそんな空気の中、一番に食事を終わらせたリンゲンがダイニングを出て行く際にこう言った。
「わしが言うまでもないと思うが、封印をどうするかについては各自考えておいてくれ」
「………」
特定の誰かに向けられた言葉では無かったためか誰も返事をしなかった。
その後しばらくして一人、さらに一人……と席を立ち、セシルも何人目かでダイニングを後にした。
そして現在、自室でこうして天井を見上げながら物思いに耽っていた。
「考えておけと言われてもな……」
まだまだ新参者のセシルとしては正直なところ良くわからない。
個人的な考えとしては、現在の封印の扉が痛んでいるというのならさっさと新しい封印に差し替えるべきなんじゃないか、とは思う。
それによってあの泥みたいな黒い人間――『この世ならざる者』が現れる機会を減らせるというなら尚更だろう。
経験上、こういうのは先延ばしにしたところで何も良いことは無い。
ただ気になるのはやはり、アルベルトの言っていた特定の個体とやらのことだった。
相当に手強いらしいし、それが本当に現れた場合どうなるか。
マリアンデールの言い方からすると勝算はあるようだが……。
だが、その個体の実際の脅威度以上に気になるのは……マリアンデールの話を聞いていた時の皆の反応だった。
あくまでもセシルの印象だが、どうも皆が封印の一時解除を躊躇っていたのは「特定の個体が強くてまた被害が出るかもしれないから」というような理由ではないように思えた。
そういったこととは全く別の理由で、その個体の相手をしたくない何らかの事情がある。
そんな風に見えたのだ。
しかしその事情とは一体何かと言われるとセシルにはまるで見当が付かない。
そこがはっきりしないなら封印をどうするかについても判断のしようがない。
この館のことについて、セシルはまだまだ知らないことが多すぎる。
「……このままこうやって考えていても時間の無駄だな」
セシルは起き上がるとソファから飛び降りた。
今回の件はセシルにも関係があるし、考えろと言ったのは向こうのほうだ。
答えてくれるかはともかく質問するくらいの権利はあるだろう。
セシルは背伸びをしてドアノブを回すと執務室から出て行った。
※ ※ ※
工房の扉をノックすると中から声がした。
「誰だ」
「セシルだけど、ちょっといいかな」
「かまわん。鍵は開いてるからさっさと入れ」
扉を開けるとリンゲンが作業台の上で何かを書いていた。
セシルも作業台によじ登ってみると、どうやら図面を引き直していたらしい。
「これ燻製室のやつだよね」
「そうだ。思いついたことがあったから改良しようと思ってな」
「へえ」
どんな案だろう、とセシルは気になった。
だが、今回は別の用事できたのだ。
燻製室の件は後でまた尋ねることにして、セシルはさっさと本題に入った。
「実は聞きたいことがあるんだけど……」
「マリアンデールの話のことか?」
リンゲンは図面に目を向けたまま言った。
セシルは僅かに驚いた。
「なんでわかったんだ」
「そりゃ、さっき全然話に付いていけないって顔をしとったからな。まあその日の内に聞きに来るとは思わんかったが」
どうやら図面の引き直しは終わったらしい。
リンゲンは道具を脇にやるとセシルに顔を向けた。
「で、何が知りたいんだ?」
「教えてくれるのか?」
「聞きに来たのはお前のほうだろう」
「だって、ダイニングではあれ以上質問できる空気じゃなかったし……」
仲間の死に関係することのようなのだ。軽々しく聞けるものではない。
だからセシルは断られても仕方ないと思いながらここへ来た。
それがこんなにあっさり承諾されたのだから聞き返したくもなる。
リンゲンはそんなセシルを見て溜息をついた。
「まあわしらにとっては思い出したくもない類の話なのは確かだ。だが、だからといっていつまでも顔を背けている訳にもいかんからな。これもちょうど良い機会なのかもしれん」
「じゃあリンゲンさんはあの提案に賛成なのか」
「そうなるな。……ただ、死んだロロネと特に仲の良かったウェンドリンや、例の個体と真っ先に対峙することになるであろうアルベルト殿がどう思っているかはわからんが」
「その例の個体だけど、一体どんな奴なんだ?」
セシルは尋ねた。
リンゲンの言い方からするとやはりその特定の個体が現れること自体が問題であるように聞こえる。
一体どんな因縁があるというのか。
「………」
リンゲンは少し考え事をするように髭を弄っていたが、やがて言葉を選ぶようにゆっくりと話し始めた。
「あの個体は単純な戦闘力でいえばそこまででは無かったんだ。強いことは強かったが、わしらが束になっても敵わないという程でもなかった。奴の厄介な部分はそれ以外のところでな」
「というと?」
「奴は普通の『この世ならざる者』のような泥人形ではなく、わしらがよく知る人物の姿をしていたんだ。だから皆動揺した挙句、隙を突かれて犠牲者を一人出してしまった」
「リンゲンさんたちがよく知る人って……」
セシルは怪訝な顔をした。
この館の怪異であるリンゲンたちが動揺するような人物とは一体何者なのか。
そして、その人物の姿をした奴がどうして地獄から出てくるのか。
リンゲンは軽く息を吐いてから言った。
「その方の名はベレン・フォーレスといってな。この館のかつての主にして、あの地獄への入り口を開けた張本人だ」




