第18話 真・撃退チュートリアル
「この世ならざる者?」
「ええ。怪異である我々がそう呼ぶのはおかしな話ではあるのですがね。あの方々についてはそうとしか呼びようがないもので」
アルベルトは謎肉を口へ運びながら言う。
その時、黒い人間が体勢を低くしたかと思うと雄叫びを上げてリンゲンに飛び掛かった。
セシルは思わずあっと声を上げる。
しかしアルベルトのほうは動じる様子もなく、落ち着いた口調で言った。
「心配ありませんよ。あのお二方は大変お強いですから」
アルベルトの言う通りだった。
リンゲンは黒い人間の突進をあっさりと避けた。
動きを読んでいた、というよりむしろリンゲンのほうが誘い込んでいたらしい。リンゲンは一気に巨大化すると黒い人間をそのまま踏み潰しにかかった。
黒い人間は逃げようとしたが、周囲の床から紐が伸びて身体に絡みつく。
「動いちゃダメよ」
言うまでもなくウェンドリンの紐だ。
黒い人間は必死にもがくが、脱出に間に合わずそのまま巨大な足に踏み潰された。
トマトが潰れるような音とともに黒い水が辺りに飛び散る。
しかしそれで決着ではないらしく、飛び散った黒い水は再び一ヶ所に集まるとまたしてもボコボコと膨らみ人間の姿に変化していく。
「ふむ、手応えはあったんだがな。一撃では仕留められんかったか」
「もっと消耗させる必要があるみたいね。本当に厄介だわ」
リンゲンは興味深げに髭を撫で、ウェンドリンは面倒そうに溜め息をついた。
それから二人は同時に黒い人間との距離を詰めていく。
二人とも黒い人間よりもかなり優位に立ちまわっているし、余裕も感じられた。
ただ、だからといってセシルが安心できるかというとそんなことはなかった。
二人が後れを取る心配は無さそうだが、セシルが先程感じた凄まじい悪寒の正体は間違いなくあいつだった。
そもそもセシルにはあの黒い人間が何なのかわからない。
「あの黒いのは何なんだ? あの扉から出てきたみたいだけど、そもそもなんでこの館にはあんなものがあるんだ?」
セシルはアルベルトに尋ねた。
するとアルベルトは意外そうにセシルを見た。
「お二人からは聞いていないのですか?」
「ああ、この館のことをもっと知ってから教えるからって言われてて。……まあ確かにあんなもの、言葉だけで説明されても信じられなかったと思うけど」
「ふむ……」
アルベルトは少しの間黙り込み、何か考える様子でセシルを見た。
それから戦っている二人のほうへ目を向ける。
「そうでしたか。少し意外でしたが、恐らくあのお二人なりに何かお考えがあるんでしょうな。では……私からは当たり障りのない範囲でよければお話ししましょう。それでもよろしいですか?」
「うん」
セシルは頷いた。
当たり障りのない範囲、というのがやや引っかかったが、とにかく知ることができるなら今はそれで構わない。
ちょうどそのタイミングで皿の謎肉が空になったため、アルベルトはバスケットから追加の肉をよそい始めた。
そして山盛りにすると、それを食べながら語り始める。
食べながら喋っているのに普通に喋るのとまるで変わりないし、下品さや行儀の悪さも感じない。
なんとも不思議なミイラである。
「まず、今お二人が戦っている『この世ならざる者』……あの黒い人間のような存在は、名前の通りこの世の者ではありません」
それはセシルもなんとなく予想できていた。
なにしろ『地獄への入り口』から染み出して来たのを自分の目で見たのだから。
「じゃああいつは扉の向こうにある地獄……あの世から来たってこと?」
「正確なことは私も知りません。あの世なのか、それともまるで別の世界なのか。はっきりしているのは、奴が本来この世に現れてはいけない存在だということだけです」
アルベルトはそれまでよりやや強い口調で言った。
セシルは怪訝な顔をする。
「確かに気味は悪いけどそんなに悪い奴なのか?」
「ええ。あれは存在するだけで周囲に瘴気を撒き散らすのですよ」
「瘴気を?」
セシルはそれを聞いてふと思い出した。
謎肉――今アルベルトが食べている肉のことではなく、怪異のほう――が食糧庫から出られなくなるほど大きくなったのは館の瘴気の濃度が上がったからだ、とウェンドリンは言っていた。
「それじゃあアルベルトさんが寝不足なのも謎肉があんな状態なのもあいつのせいなのか」
「そういうことです。すぐに対処できれば問題ないのですが、あの通りなかなかしぶといので」
アルベルトの視線の先ではリンゲンが黒い人間に拳を叩きつけていた。
黒い人間は先程同様に潰れて弾け飛ぶが、やはりすぐに破片が一ヶ所に集まり元通りになってしまう。
「……あれ、倒せるものなの?」
「あの調子であと数回潰せば消滅します」
アルベルトは平然と言った。
セシルはそれを聞いただけでげっそりした。
リンゲンたちがピンチになる様子も無いのでセシルのほうも心理的に余裕が出てきている。
「アルベルトさん、あんなのをずっと一人で相手してたのか。凄いな……」
「ありがとうございます。とはいえ、あれを一体でも逃がせば大変なことになる以上、やらない訳にもいきませんでしたからね」
「大変って、逃がしたらどうなるんだ?」
アルベルトは頷いた。
「瘴気は我々怪異にとってはそこまで影響はありません。多少濃度が上がったところでせいぜい不快感を覚える程度でしょう。ですが、人間や動植物にとって瘴気は猛毒になのです。だから絶対に館の外へ出す訳にはいかないのですよ」
「そうだったのか。あれ? でもそうすると……」
セシルはてっきり、この館には何か重要な秘密が隠されていて、それを知られないために外からやって来た人間を脅して叩き出しているのだと思っていた。
しかしその秘密というのがあの扉や黒い人間、そして瘴気のことなのだとすると、事情がまるで違う物に見えてくる。
「……ひょっとして、この館の怪異が人間を脅かして叩き出すのはそいつを助けるためなのか?」
人間にとって危険なものがあるから不用意に近寄らないよう物騒な噂を流す。
それでも忍び込んできた人間は二度と来ないように脅した上で瘴気に侵される前に叩き出す。
そんな動機に思えてくる。
セシルの推測を聞くとアルベルトは少し驚いた顔をした。
それから愉快そうに笑みを浮かべる。
「ほほう、今回のセシルさんはなかなか頭の回る方のようですね」
「じゃあ本当にそうなのか」
「ええ。といっても、人間だけを守ろうとしている訳ではありませんがね。我々は人間に対してそこまで思い入れはありませんし」
それはなんとなくわかった。
この館の怪異の最優先の任務はあの黒い人間――『この世ならざる者』を止めることなのだろう。
外から忍び込んで来た人間を追い払うのは、その任務の邪魔にならないようにするため。それが結果的にその人間を守ることになっているだけなのだ。
もちろん、これはここまでに出た話からセシルが考えた推測だ。
わざわざ「当たり障りのない範囲で」とアルベルトが前置きしたのを考えると、この館には他にもまだ何かあるのだろう。
ただ、セシルには今の段階でも一つだけ聞いておきたいことがあった。
「あの扉、一体何なんだ?」
『この世ならざる者』はあの扉――地獄への入り口から現れた。
だがそもそも、あの扉は何なのか。
どうしてこの館にあんなものが存在するのか。
異界へ通じる扉など、怪異と比べてもさらに奇妙で有り得ないものだろう。
セシルがこの質問をすることをアルベルトは想定していたらしい。
驚く様子もなく落ち着いて言った。
「それを説明するには、まずこの館の歴史について話さなければなりませんね」
「この館の歴史?」
「そうです。この館が『呪いの館』と呼ばれるようになった経緯についてです」
アルベルトはそう言うと謎肉を飲み込んだ。




