第17話 この世ならざる者
「なんと。では私はセシルさんに手を上げてしまったのですか。それは何という失礼を。どうお詫びをすればよいか……」
アルベルトはリンゲンから何があったかを聞くと恐縮した様子でセシルに頭を下げた。
やはり先程襲い掛かって来た時とはまるで別人のような印象だった。
それどころか、どうやら襲ったこと自体を覚えていないらしい。
セシルは軽く手を振って言った。
「そこまで謝らなくても大丈夫だよ。怪我もしなかったし別にわざとじゃないんだろ? ならオレは気にしないし」
浮浪児時代、暴力に晒されることなど日常茶飯事だったのですっかり耐性が付いている。
悪意があった訳でもないのならいちいち気にしても仕方ない。
セシルが思いのほかケロリとしているのでアルベルトだけでなくリンゲンとウェンドリンもさすがに少し面食らっていたようだった。
しかしセシルのほうは気になることがあったので構わず質問をした。
「そんなことより、どちらかと言えば襲い掛かって来た理由のほうが知りたいんだけど。オレに原因があったのなら次から気を付けるし」
「アルベルトさんは寝ている間も身体が勝手に動くのよ」
ウェンドリンが答えた。
セシルは怪訝な顔をした。
「寝てても動くって、じゃあさっきのは寝てたってこと?」
そういえばさっき、リンゲンに「おはようございます」とか言っていたが……。
リンゲンのほうを見ると、リンゲンは腕を組みながら難しい顔で言った。
「アルベルト殿の役割はこの場所を死守することだからな。いつでも侵入者に対応できるようにそういう特性が付けられてるんだ」
「へえ……」
眠った状態であんなとんでもない動きをしてたのか、とセシルは思った。
寝ていてあれなら普通に起きて戦ったらこの人はどれくらい強いのだろう。
考えてみれば巨大化したリンゲンに思い切り殴りつけられたのに平然としている辺り頑丈さも相当おかしい。
「ただ、そのぶんエネルギー効率は非常に悪いんですよ」
アルベルトは眉をハの字にして肩をすくめた。
「眠っていようが動けばそれだけ魔力をしっかり消耗します。そしてしばらくは魔力も回復しなくなる。起きて対応できるならそれに越したことはないのですがね。近頃は侵入者が現れる頻度も増えたのでいくら寝ても回復が追い付かず、昔と比べると少々痩せてしまいました」
いやはやお恥ずかしい、とアルベルトが苦笑する。
少々痩せたどころかミイラなんだが、とセシルは思った。
とりあえずセシルが襲われたのはアルベルトが寝ぼけていたためのようだ。
そう納得しかけたが――セシルは、いやちょっと待て、と思った。
「でも、それならどうして俺だけが狙われたんだ? あとこんな所まで侵入者そんなに来るのか?」
眠っているアルベルトを見つけた時、出遅れたセシルはアルベルトから一番離れた位置にいた。
だがアルベルトはリンゲンやウェンドリンには目もくれずセシルを襲い、初撃をかわした後も執拗にセシルだけを狙い続けた。
何か原因となるものがあったとしか思えない。
そして、侵入者。
セシルは場所を教えてもらうまで、ここへ通じる階段の存在にまるで気付かなかった。
第一、何者かがこの館へ忍び込もうとすれば結界に引っ掛かって全員に伝わるのだ。
ここへ辿り着く前にリンゲンたちが捕まえて叩き出すだろう。
アルベルトの言い分を疑う訳ではないが、こんな隠し部屋のような場所へ寝不足になるほど侵入者が頻繁にやって来るというのはちょっと変な気がした。
「アルベルトさんがセシルを狙った理由は単純よ。さっきも言ったけど私たちの考えが足りなかったの」
「どういうことだ?」
「眠っている時の私は相手の魔力量で敵か味方かを判断しているのです。今のセシルさんは普段よりかなり魔力量が大きいでしょう。だから恐らくセシルさんだと分からなかったのだと思います」
アルベルトが引き取って言った。
それを聞いてセシルもなんとなく理解した。
「ああ、そういうことか……」
セシルは今、謎肉の食い過ぎのために身体が光るほど魔力が高い状態になっている。
だからアルベルトはセシルをセシルと認識できず、謎の侵入者として迎撃したのだろう。
発光していたからどうにかアルベルトの攻撃をかわせのたが、そもそも発光していなければ攻撃されること自体無かった、ということらしい。
「それで私も疑問なのですが、セシルさんのそれは一体何があったのですか?」
今度はアルベルトがセシルの赤い光を見ながら尋ねた。
するとセシルの代わりにリンゲンが返事をした。
「その話をするためにわしらはあんたを訪ねてきたんです。寝不足の解消自体の助けにはなりませんが、他に魔力を補える方法が見つかりましてね」
「なんと、そんな方法があったとは。ぜひご教授願えませんか?」
アルベルトは驚きと喜びの入り混じった顔をした。
この反応からするとどうやら余程由々しき状態だったらしい。
リンゲンはセシルのほうを向いて言った。
「セシル、先にアルベルトさんと話をさせてもらってもいいか。お前もまだ分からんことだらけだろうが後でちゃんと答えてやるから」
「構わないよ」
リンゲンはアルベルトに謎肉の件について話して聞かせた。
アルベルトはウェンドリンが抱えたバスケットに時折目をやりながら興味深そうに頷いた。
「――なるほど。するとあの子の肉を食べれば私の魔力不足も解消できるかもしれない、と」
「そういうことです。もちろん元の素材が素材だから無理にとは言いませんがね。ただし味のほうは保証しますよ。わしも最初はそんなゲテモノをと思いましたが、一口食べたらすっかり気に入ってしまいましたから」
リンゲンはそう言いながらバスケットに手を伸ばすと謎肉をひと切れ摘まんで口に入れた。
ウェンドリンが眉を寄せる。
「ちょっとリンゲンさん、お行儀悪いわよ」
「これくらい良いじゃろう、ちゃんと食えるというのを示さんといかんし。……どうでしょうアルベルト殿。一度試してみては貰えませんか」
「わかりました。それだけで現状を改善できるなら願ってもないことです。ありがたく頂戴いたしましょう」
ウェンドリンが小皿とフォークをアルベルトに渡した。
アルベルトは謎肉をひと切れ小皿に乗せる。
やはり抵抗があるのかしばらくじっと肉を見つめていたが、やがて覚悟を決めた様子でそれを口へ運んだ。
「……どうですか?」
「なるほど、確かに魔力が回復しているようです。それに思った以上に美味しい。これならいくらでも食べられますよ」
「良かった。それならお好きなだけ召し上がって下さい。そのために用意したんですから」
ウェンドリンが笑顔でバスケットを差し出す。
アルベルトは嬉しそうに頭を下げた。
「ありがとうございます。では遠慮なく頂きます」
そうしてアルベルトは謎肉を食べ始めた。
外見はミイラだが、アルベルトの食べ方はどこか気品と優雅さを感じさせた。
ただし、スピードは異様に早い。物凄い勢いでバスケットの中身が減っていく。
動きは穏やかなのに肉はどんどん消えていくので錯覚でも見ているような気分になってきた。
「それで、この場所ってそんなに人間が忍び込んで来るものなのか?」
他人の食事をずっと見ていても仕方ないのでセシルはウェンドリンに先程の疑問をぶつけた。
するとウェンドリンは首を振った。
「いいえ、忍び込んだ人間がここまで辿り着くことは滅多にないわ。もちろん辿り着いた場合はアルベルトさんに対応してもらうと思うけど」
「え? でもまともに眠れないほど忙しいんだろ?」
侵入者が来ないのなら一体何と戦っているというのか。
「ここに現れる侵入者は人間じゃないの。ええとね――」
ウェンドリンは何か言おうとしたが不意に言葉を切った。
アルベルトが食事の手を止め、座っていたリンゲンも厳しい顔で立ち上がる。
なんだ? 何かあったのか?
ただならぬ雰囲気にセシルは戸惑ったが、何が起きたか尋ねようとした瞬間、全身に悪寒が走った。
それは館の結界に侵入者が引っ掛かった時のビリっとする感覚に似ていたが、衝撃はその比ではない。
寒くも無いのに身体が震え、暑くも無いのに汗が噴き出してくる。
「……お客様ですね。やはりなかなか食事もままならないようで」
アルベルトが皿を置きながら言った。
セシル以外の三人は同じ方向を見つめていた。
セシルも慌ててそちらへ顔を向ける。
そして目に入ったのは、ウェンドリンが地獄への入り口と言っていた例の扉だった。
「………!?」
セシルは目を疑った。
閉ざされた扉の僅かな隙間から黒いドロッとした液体が噴き出していた。
それはやがて治まったが、床に散らばった液体はまるで意志を持ったように一ヶ所に集まる。それからボコボコと音を立てながら膨らんでいき、やがて真っ黒な人間の形をした何かになった。
黒い人間は外へ出るつもりなのか、黒い泥を跳ねさせながら階段へ歩いていく。
しかしすぐにこちらの存在に気付いたらしく、歩みを止めると赤く光る二つの目をこちらへ向けた。
「おや、気付かれましたか。不意打ちができれば楽だったのですが仕方ありませんね」
アルベルトが腰を浮かす。
するとリンゲンとウェンドリンが言った。
「アルベルト殿、ここはわしらに任せてくれませんか」
「そうそう。いつも頑張ってもらってるんだから今くらいはのんびり食事してもらわないと」
「そうですか。ではお言葉に甘えさせていただきましょう。よろしくお願いします」
二人は頷くと黒い人間のほうへ向かっていく。
そしてアルベルトのほうは何事も無かったように食事を再開した。
セシルは尋ねた。
「アルベルトさん、あれは一体何なんだ」
「あれが普段私が相手をしている侵入者です。言うなれば『この世ならざる者』といったところでしょうかね」
アルベルトは小皿に肉を取り分けながら言った。




