第16話 地獄の門番
「地下への階段なんてどこにあるんだろうと思ってたけど、こんな所にあったのか」
セシルたちは中庭にいた。
中庭の中央には噴水があり、それを基点として「田」の字の形に石組みの通路と花壇とが配置されている。
恐らく昔はそれなりに見事なものだったのだろう。
だが現在は館の中と同様すっかり荒れ果て、その面影はまるで残っていなかった。
花壇には雑草しか生えておらず、石組みの通路もところどころ割れたり抜け落ちたりしている。
噴水も水が枯れ、苔と植物の蔦に覆われたただの緑色のオブジェのようになっていた。
地下への階段はそんな噴水の裏手にあった。
真正面以外からは絶妙に分かり辛い構造になっており、そこに階段があると知らされていなければまず気付けないだろう。
それなりに行き来があるらしくその周辺だけはあまり植物などに侵食されていなかった。
「では行くぞ。所々滑るから転ばんようにな」
「うん」
リンゲンがまず階段を降りて行き、ウェンドリンとセシルがそれに続く。
初めてここに立ち入るセシルだけでなく、他の二人もどこか緊張しているようだった。
「ところでさ、それそんな必要だったのか? 食べ過ぎたら危ないんだろ?」
階段を降りながらセシルはウェンドリンに尋ねた。
それ、というのはウェンドリンが両手で抱えているバスケットのことだ。
中には例の謎肉ステーキが十枚ほど入っている。
ここへ来る前にキッチンへ立ち寄って焼いてきたのだ。
わざわざ用意したのだからこの先にいるアルベルトという怪異に食べさせるつもりなのだろう。
だがセシルはその半分以下の量で発光した。何なら今も絶賛発光中。
リンゲンが必要だというから用意したがさすがに多すぎるんじゃないかという気がする。
「セシルの心配は尤もだけど多分大丈夫よ。アルベルトさんの場合はちょっと事情が違うから。ひょっとしたらこれでも足りないかもしれない」
「そうなのか?」
そんなやり取りをしている間に長い階段が終わり、ガランとした広間に出た。
かなり深くまで潜ったというのにそこはエントランスと同じくらい広い。
ただし、広いだけで何もない。
目に付くものと言えば、奥にある巨大な扉だけだった。
何かの紋様が刻まれ、かんぬきと錠で厳重に閉ざされた重々しい扉。
相当に古いもののようで、どこか近寄りがたい雰囲気を醸し出している。
「あれが、地獄への入り口……」
その扉を見たセシルは思わず息を飲んだ。
ウェンドリンが言った。
「そうよ。私たちも実際に開けて確かめてはいないから向こう側がどうなっているのかは知らないんだけどね。でも……セシルも感じるでしょう? あれは絶対に開けてはいけない。一度でも開けてしまえば、恐らく取り返しが付かないことになる」
「……うん」
セシルは素直に頷いた。
なるほど、と思った。確かにこれは説明されるよりも直接見たほうが早い。
地獄とか突拍子もないことを言われたときは半信半疑だったが、実際この場に立ってみれば疑いようもない。
理屈では無かった。
無意識に扉のほうを警戒してしまう。本能的に身体が強張る。
この扉の向こうには間違いなく関わってはいけない『何か』がいる。
しかし何故こんな所にこんなものがあるのか。
この館、本当に何なのだろう。
「さて、アルベルト殿は……ああ、あんなところで寝とったか」
リンゲンが扉とは別のほうを向いて言った。
その言葉でセシルは広間の隅のほうに生活空間が作られていることに気が付いた。
生活空間といっても簡素なもので、壁際に小さな机と棚があり、その手前に就寝用らしい厚手の布が敷いてあるだけ。随分と肩身が狭そうである。
そして、その布の上には何かが横たわっていた。
「あれがアルベルトさん……?」
「ええ、そうよ」
ウェンドリンが頷く。
だがセシルは少し戸惑った。
そこにいたのは『シワシワ爺ちゃん』どころではなかった。
ガイコツ――いや、ミイラだ。
執事のような黒い服を着た骨と皮だけのミイラだった。
それはセシルにはただの死体に見えた。
しかしリンゲンとウェンドリンが普通に近付いて行くのを見ると、やはりあれがアルベルトで間違いないらしい。
ミイラの怪異とかそういったものなのだろうか。
セシルはとりあえず二人の後を追ってミイラの元へ駆け寄ろうとした。
だが、セシルが走り出して間もなく、ミイラの姿が消えた。
「……え?」
同時に背後にゾクリとするような気配を感じた。
振り返ると消えたはずのミイラが真後ろに立っている。
そして何故かセシルに敵意のある視線を向けると、その外見からは想像も付かないような早さで拳を振り下ろした。
「わっ!?」
セシルは間一髪でそれをかわした。
しかし完全には避け切れず、ミイラの鋭い爪がスカートを掠めて千切れた布が辺りに舞い散った。
ミイラの攻撃に反応できたのは浮浪児時代に培った危険を察する感覚が大きかったが、それ以上にセシルの体内の魔力が過剰だったことが大きかった。そのために反射神経が普段以上に鋭くなっていたのだ。
しかし同時に、過剰な魔力のせいで今のセシルは自分の力をうまく制御できない。
そもそもどうして襲われているのか分からないので混乱している。
訳も分からず反射的に跳ねたところでスカートを引っかけられたため、セシルは空中でバランスを崩して上手く着地することが出来ず派手に転がった。
慌てて起き上がろうとしたが、それより先に距離を詰めてきたミイラがセシルの頭めがけて爪を突き立てようとする。
まずい。これは避けられない。
セシルは迫りくる爪を茫然と見つめた。
しかし次の瞬間、床と天井から複数の紐が伸びてミイラを拘束した。
「セシル、早く逃げて!」
ウェンドリンの声が響く。
セシルは急いで起き上がるとその場から離れた。
ミイラはほんの僅かな間もがいていたが、やがて両手の爪で紐を切断し拘束を解く。
そして再びセシルに襲い掛かろうとしたのだが……。
「――どうやら寝ぼけているようだな。悪いが手荒に起こすぞ」
セシルとミイラの間に大きな影がぬっと割って入った。
巨大化したリンゲンだった。
リンゲンはミイラが反応するより早くミイラを思い切り殴り飛ばした。
ミイラは部屋全体が揺れる程激しく壁に打ち付けられたあと、床に倒れてそのまま動かなくなった。
「セシル、怪我はない?」
ウェンドリンが駆け寄って言った。
セシルは倒れているミイラに目をやったまま頷いた。
「あ、ああ……。でも一体どうなってるんだ? あの人、仲間なんだよな? 何でいきなり襲われたのか、オレには何が何だか……」
知らないうちに何か不味いことでもしたのかとも考えたが、思い返してみても全く思い当たる節が無い。
「いいえ、あなたは別に悪くないわ。ごめんなさい、私たちがうっかりしていたの。セシルのことを考慮してなかったから」
「どういうことだ?」
その時ミイラが意識を取り戻したらしく、呻き声とともに指をピクリと動かした。
セシルは思わず身構えた。
ところが、その次のミイラの行動は予想外のものだった。
「ふわぁ、やれやれ朝か。……おやこれはリンゲンさん。お久し振りですね」
ゆっくりと起き上がったミイラはリンゲンを見ると丁寧に挨拶した。
「おはよう、アルベルト殿」
「おはようございます。ウェンドリンさんとセシルさんもいらっしゃいましたか。今日はお客様が多くて嬉しい限り。しかしセシルさん、何やら光っているように見えますがどうなされたのです?」
「………」
セシルはポカンとしてミイラ――アルベルトを見つめた。
アルベルトはまるで別人のように物腰が柔らかく、温厚そうに微笑んでいた。




