第12話 謎肉
「ふわぁ……」
執務室。
セシルが目をこすりながら起き上がると、窓の外はすでに夕暮れ時だった。
人間だった頃は太陽の出入りに合わせて寝起きをしていたのでこの光景はどうも慣れない。
まあここでの暮らしも始まったばかりだし、そのうち気にならなくなるのかもしれないが……。
セシルはもう一度あくびをしながら顔を上に向けた。
天井には埃まみれの蜘蛛の巣があるだけで他に目に付くものは無い。
「あの紐が垂れて無いってことはウェンドリンはまだ寝てるのかな」
昨夜、館に侵入してきた三人組の男を放り出したあと、セシルたちはそれぞれ部屋に戻ることにした。
予定外の侵入者対応で時間が押してしまったから今日はもう休もう、という話になったのだ。
「館を案内してあげるって約束だったのにごめんなさいね。明日貴方の部屋へ迎えに行くから待っていて。あらためてここを案内するから」
ウェンドリンはそう言っていたが、どうやらセシルのほうが先に目覚めてしまったようだ。
まあ昨夜のセシルがしたことと言えばリンゲンの手伝いと侵入者撃退の見学だけ。
ほとんど疲れていなかったのだから早く起きるのも当たり前か。
「さて、どうしようか」
セシルはソファで足をブラブラさせながら考えた。
ウェンドリンが案内してくれると言うのだから勝手に歩き回らないほうがいいだろう。
とすると……。
「………」
セシルは無言でソファを軽く叩いた。
ぼふん、と相変わらず煙みたいな埃が舞い上がる。
……掃除するか。
元々その内やろうと思っていたのだ。時間潰しにはちょうどいいだろう。
セシルはソファから飛び降りると、腕まくりしながら掃除用具入れのほうへ向かって行った。
※ ※ ※
長い間ろくな手入れもされずに放置されていたため、執務室はどこもかしこも絨毯のような分厚い埃に覆われていた。
酷い有様ではあるが、それは逆に言えば箒でひと掃きするだけで見た目が劇的に変わるということである。
そして変化や効果がはっきり確認できる作業というのは、やっていて楽しい。
それが自分の利益になることならば尚更だ。
最初、セシルは今回は自分の寝床であるソファとその周囲を簡単を簡単に済ませるだけで終わるつもりだった。
だがソファ周りが終わると少々物足りなさを感じ、せっかくだからとテーブルの上の埃も掃き落とした。
ソファとテーブルが綺麗になると、今度は別の所が気になってくる。
「……ウェンドリンはまだ休んでいるようだし、もう少しだけやるか」
セシルは執務机に飛び乗ってそこの埃も取り除いた。
それから窓台によじ登ったり、いくつも積み上げた箱の上で爪先立ちをして棚の上段を覗き込んだり――いつの間にやら夢中になっていた。
そして気付けば小一時間が経過。
「……ふう、とりあえずこんなもんかな」
セシルはハタキで肩をポンポン叩きながら満足げに頷いた。
執務室内は見違えるほど綺麗になっていた。
埃を取り除いただけなので細かいゴミは残っているしセシルの手が届かない天井の蜘蛛の巣などはそのままだが、それでも先程までとは雲泥の差。初回でこれだけやれれば十分だろう。
「で、問題はこいつか」
セシルはちり取りに目をやった。
いくらでもゴミを溜められる魔法のちり取り。
部屋中の埃をこれで回収したが、容量的にはまだまだ問題は無いようだった。
とはいえ、ちり取りにずっとゴミを入れっぱなしというのは何か嫌なので捨てておきたい。
しかしセシルにはゴミ捨て場の場所がわからない。
「リンゲンさんにでも聞いてみるか」
ウェンドリンはまだやって来る気配は無いが、リンゲンのいる工房はすぐ近くだ。
あの辺くらいなら出歩いても問題無いだろう。
そう思ったのだが……。
「ありゃ、お休み中か」
リンゲンは工房の作業台の上で大の字になってイビキをかいていた。
その横には積み上げられた修復済みの食器類。
どうやらあの三人組を放り出したあと夜通しで終わらせたらしい。
いや、夜間ではなく日中にやったのだから昼通しとでも言うべきか。
まあとにかく、この状況で声を掛けるのはさすがに憚れる。
セシルは物音を立てないようにそっと工房を出て執務室へ戻ろうとした。
ちり取りの件はウェンドリンが来てくれた時にでも聞けばいいだろう。
だがその時、廊下の奥のほうから奇妙な音が聞こえた。
……ビタン。………ビタン。
耳を澄ましていないと気付けないほどの微かな音だったが、粘土か何かを床に叩きつけるようなねっとりした音だった。
周期は不規則。
何の音かはわからないが、向こうに誰かいるようだ。
一体誰だろう、とセシルは思った。そしてまず頭に浮かんだのは昨夜の一件だった。
侵入者。
セシルたちが眠っている間に何者かがまたこの館に入り込んだのでは?
念のため確認したほうがいいかもしれない、とセシルは思った。
だが、幽霊の三兄弟もリンゲンもウェンドリンも今は眠っている。
そしてリンゲンは確か「他の怪異の連中は当てにできない」と言っていた。
となると動けるのはセシルだけ。
「………」
迷ったがセシルは音のほうへ向かうことにした。
とりあえず正体を確認するだけなら問題ないだろう。
そうして音のする方向へ歩いて行き、辿り着いたのはキッチンだった。
広さはセシルの執務室の倍くらいだろうか。部屋には引き出し付きの横に長い調理台が複数並び、壁には調理器具が立て掛けられ、反対側の壁には暖炉と複数のかまどがずらりと並んでいる。
そして問題の音はキッチンのさらに奥の部屋から聞こえてきていた。
引き戸の部屋で、扉が半分ほど開きっ放しになっている。
セシルは忍び足で近付いてその部屋をこっそり覗き込んだ。
そしてギョッと目を見張った。
そこにいたのは巨大な肉塊だった。
肉屋の店先に並んでいそうな形をした、白い筋の入った赤身肉の塊。ただし大きさは桁違いで、ほぼ室内を埋め尽くすほどの大きさになっている。
さらに信じられないのは、その肉の塊がドクンドクンと脈打っており、時折ビタンビタンと跳ねていること。
どうやらこの肉塊、生きているらしい。
「……ひょっとしてこれが謎肉なのか?」
セシルは呟いた。
するとセシルの声に反応したのか、肉塊が鳴いた。
「モ゛ー」
野太い牛のような鳴き声だった。
それからビタン、ビタンと跳ねながら少しずつ身体を回転させる。
何をしているのかと見ていると、半回転した辺りで肉塊に顔が付いているのが見えた。
どうやらセシルが最初に見たのは背中だったらしい。
肉塊の顔の部分はピンク色の水晶玉のような球体になっていた。
巨大な身体に似合わないとても小さな顔だった。
人形のセシルの頭より多少大きいくらいだろうか。
つぶらな瞳に小さな口。それ以外のパーツは無かった。
顔の周辺だけを見れば可愛いと思えなくもない。
といっても、それはあくまで同じ怪異であるセシルの目で見ているからだろう。
なにしろ顔が付いた動く肉塊である。
人間から見たらさぞグロテスクな姿に映るに違いない。
昨夜の小太りな男はこいつを見て気絶したようだったが、他の怪異から逃げている最中にいきなりこんなのと出くわしたらそりゃ気絶するのも無理はない、とセシルは少し同情した。
「俺はセシルって言うんだけど、お前が謎肉なのか?」
「モ゛ー」
最初の一声の時点でそんな気はしていたが、どうやらこいつは話せないらしい。
「お前、いつもここにいるのか? ていうか、それだけ身体がでかいとこの部屋から出れないよな」
「モ゛ー」
答えは返って来ないとわかりつつもセシルは話しかけた。
顔を撫でてみると謎肉はくすぐったそうに目をつぶり、それからセシルの手をぺろぺろ舐める。
動きは遅くて危険でも無さそうだし、見た目を気にしなければ反応自体は犬猫みたいで少し楽しい。
ビタンビタンという音はこの謎肉が移動のために跳ねる音だったようだ。
恐らく、昨夜リンゲンが小太りな男を回収する時に扉を閉め忘れたから廊下に音が響いていただけなのだろう。
侵入者では無かったと判明したのもあって、セシルはすっかり安堵していた。
そしてそれは油断に繋がった。
「――あれ……?」
セシルは突然めまいを起こしてその場にへたり込んだ。
立ち上がろうとしたが身体に力が入らない。
一体どうしたんだろう。起きてからそんなに経っていないし、まだ魔力は十分残っているはずなのに……。
「モ゛ー」
謎肉は相変わらずセシルの手をぺろぺろ舐めていた。
そしてセシルは気付いた。
謎肉の身体が、先程よりも一回り大きくなっている。
「ひょっとしてお前、オレの魔力を吸ってるのか……?」
今更になって焦りを感じたが、そうしている間にもさらに身体の力が抜けて行く。
まずい、と思った。
しかしもう遅かった。
もはや自力では手を引っ込める力さえ残っていなかった。
「モ゛ー」
謎肉の鳴き声を聞きながらセシルはその場に倒れ、完全に意識を失った。




