夢の中で、自由になれたら。
暗い海をただ、ひたすらに眺めていた。コンクリートの上から、足を揺らしながら見ていた。水平線をただ、見ていた。不思議と風はなかった。波打つ音もしなかった。潮の匂いもしなかった。
だが不思議と風が吹いていた。波打つ音もした。潮の匂いもした。感じる、何もかも無いのに感じる。
何もかも無いのに、何もかも感じる。ただ不思議は感じない。これが当たり前かの様に、何も不思議に感じない。これが普通だと、常識だと、疑う余地も何一つ正しいと感じる。
音がした。気がした。そういうのも、不思議に感じない。音がした気がした方を向いた。暗い世界に、暗い人が歩いて来た。真っ黒なシルエット、背丈もよく分からない。服装もよく見えない。ただ黒かった。輪郭だけが見える。コツコツと鳴る音だけが聞こえる、気がした。でも不思議には思わない。
「 」
何か話し声が聞こえた、気がした。
「 い」
聞こえた。気がしたワケではない。
「 かな」
聞き間違いじゃない。聞こえた。
「 ろかな」
段々と聞こえてきた。不思議だな。何も聞こえないのにな。
「 あえるさ」
何て言っているのだろうか。何なんだろうな。
「じゃあまた」
また?またと言ったのか、あの黒い人は。
目を開いた。夢か。見慣れた天井だ。呼吸ができる。窓の外から鳥の鳴き声が聞こえる。匂いもする。
夢はいつもそうだ。何も否定出来ない現実だ。まるで最初からそうだった様に、何も疑えない。そういえば夢を夢と認識出来た事はあっただろうか。明晰夢と言うが、変な話みたいだ。全てが思い通りに行くのならば、もっと幸福な夢でも見たい。でも夢は無意識のうちに願ったことの現れだと、聞いた事がある。なら僕は海を見たいのだろうか。そう思って海について考える。そうか、そういえば僕は海を見た事がない。テレビやアニメ、物語の中なら何度もあるが、実際に見た事がない。風が吹かないのは海風を知らないから、波打つ音がしないのは聞いた事がないから、潮の匂いがしないのは知らないから。そりゃあそうか。知らないなら、夢で感じる事なんて出来ないもんな。
なら変だな。あの声はなんだったんだろうな。男声かも女声かも分からない声がしたのは。最後の方だけ聞こえたあの声は、なんだったんだろうな。高かったし、多分女声なんだろうな。変なの。海への渇望を抱いていた所で、結局は人間を求めて。まあどうせすぐ忘れてしまうんだし、深く考えるのも馬鹿らしいや。
歯を磨いた。髪が盛大に爆発していたから、シャワーで頭を濡らした。しっとりとした髪をドライヤーで乾かした。乾かしてから折角ならシャワーを浴びれば良かったと後悔した。
朝食には卵かけご飯を食べた。しかも追加で納豆も乗せた。ちなみに卵の味付けはめんつゆ派だ。これに白だしを加えると良い具合になる。だが問題がある。僕の腹は生ものに弱い。卵かけご飯は好きだ。だがいつも食べると腹が痛くなる。そうしてトイレに こもる。間抜けだ。こうなることが分かっていながら、やめる事が出来ない。人間って馬鹿だな。
夢から覚めて、何かを考えるのが億劫になる事はよくある。でも逆に希望を持つ事はあまりない。夢が夢なら夢のままが良いのにと望む人間は多いと思う。それを言うならこの世界も夢みたいなものか。変な話だ。夢と現実、丁度良いぐらいに溶け合った世界なんて、そんなのつまらないだろうに。
じゃあこの目の前のアタッシュケースも夢なのかな。二晩経ってもまだあるこのアタッシュケース。中身も変わらずギッシリと札束が詰まっている。紙も束になれば人を殺せると何かの推理小説で読んだことがある。トランプ一枚で果物が切れるなら、束になれば切り殺せるのだろうか。まああれは薄さと鋭さがあってこその芸当だから、束なら殴った方が早いだろう。なんならケースの方が早いまであるか。変な笑い声がこぼれる。気持ち悪い。自分でやっておいておかしく思う。
にしてもいい加減この現実に悩まなければならなくなってきた。つい悩んだばかりだというのに。本当にどうかしている。笑えもしてくる。阿保らしいと一蹴した所で、目の前の現実は何も変わらない。空を眺めた所で何も変わらない。ふと地面を見ても、あのスーツの男はどこにもいないし、道端に硬貨が落ちてるワケでもない。ああ、最初は面白く感じていたのにな。白けてきた。まあでも礼が気になるのは変わらないから、もう一日だけ待ってみようかな。




