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食傷のユリア  作者: いにかなの
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内臓の傷


 思い出すことの出来る一番古い記憶。

 首を吊った母親に触れて、初めて自分の力が及ばない事を知ったあの日。


「治れ治れ治れ治れ……!治せよっ……!!」


 いつもそうしていたように、母から教わった通りに母に触れるが、患部さえどこかわからずに、母の首元で自分の手がただ淡く光るだけで何も起きなかった。母は目を覚そうとしない。


 狭い部屋で、俺と両親。

 俺が魔法を使ったその光景を、父は初めて見たのだろう。息子に宿った魔法が治癒など、出来の悪い冗談だった。


 父が営んでいた保険屋は、近くに出来た治療所のせいで、破産した。何年も続いていた。


 解約がかさんだ事によって得られた解約金も微量なもので、ニ等内地に住む余裕もすぐに無くなり、辺境の端のボロい借屋に追いやられた。収入が母と俺の編み物だけでは、その日その日の食料さえ怪しい。そんな日常だった。父は、その頃から全く話さなくなった。ただぼーっと窓の外を眺めている。それでも俺は、父が横柄だった頃なんかより、そんな生活の方が何倍もマシで、好きだった。


 しかし、そんな日々は、母には耐えられなかったらしい。

 宙ぶらりんになったその身が、月光によって床に影を落としている。延びる影の先には、目を見開いた父がこちらをぼんやりと見つめていた。


 父は、どこで狂ったのか。

 店が潰れた時だろうか、魔族の肉を喰らった時だろうか、人を襲って金品を奪った時だろうか、母が自殺した、たった今だろうか。


 俺に治癒魔法の才が与えられた時だろうか。


 ふらふらと立ち上がった父は、おぼつかない足取りのまま俺の方に歩みよった。

 俺は、体をそちらに向けた。抱擁だろうと、そう思った。


 瞬間、鈍い感触と共に視界が弾けて、口の中に鉄の味が広がった。

 頬を殴られた。そう悟った頃には既に傷は塞がっていた。しかし、また同じ右頬を父に殴られた。一度目よりも数段力がこもっていた。



 一方的に殴られるだけの夜を過ごして、朝日が登りかけていた頃、父はその手を止めた。


 父の手についた血は、全て彼自身のものだ。俺はこの間、血の一滴さえ流せなかった。


 初めて俺は立ち上がって、父と同じ視線にまで顔を上げる。父は少したじろいだ。

 俺は血塗れのその右手を取って、祈りを込めた。淡い光が、その傷口に灯る。


「……やめろ」


 しかしその手はすぐに振り払われ、父はそのまま部屋を出ていってしまった。

 保険屋が怪我なんて、そんな言葉はすぐに引っ込んだ。それにしても、父の声なんて久しぶりに聞いたな。何か返事でもして、会話にするべきだったのかもしれない。……なんて、殴られすぎて、俺の気もどうにかなっているらしかった。


「ごめんね、母さん。」


 母の方に向き直る。眩しい朝日に照らされて、ようやく患部の状態がわかった。

 


 日銭は、割とどうにかなった。

 皮肉なことに、母が死んだことで、趣味の宝石集めに回る金が無くなり、父に治癒魔法がバレたことで、街では好きに稼ぐことができた。今は、大通りの一角を借りて、傷を癒す治療所を営んでいる。父の店を破産させた治療所の系列店らしい。やはり皮肉だ。


「昨日魔族にやられてなぁ、あと少しで拠点を取れそうなんだが」


 目の前、木でできた簡易な長机を挟んだ向こうで大男は、がははと笑った。


「今日も治してくれぃ!」


 内地に住んでいた頃よりも、街のことには更に詳しくなった。


 元々俺が住んでいた二等内地では、十分な収入がある領民の区域であったが、今の俺が踏み入ることの出来る区域はこの三等内地、つまりは領地の最も外側の区域であり、魔族との前線を担う区域である。

 戦いを好み、戦闘能力に長けた領民の多い区域で、土地としての人気はほとんど無い。


 そんな理由から傷を作る人は多い。ずっと続く魔族との戦争は終わりを見せる気配も無いし、戦いは最近激化してきているらしい。


「ほら、小指と薬指が左目が無え。剣どころか茶も飲めねえんだ、がはは」


「いちいち見せなくていいです。……はい、この通り」


 握った手の、包まれた光で、兵士長マーリンの指は全て再生した。それどころか、人差し指のささくれでさえその姿を消す。


「さすがユリア、父ちゃんによろしく言っといてくれ、がははは!」


 数段声の調子を上げて、マーリンさんは小袋を置いて道の雑踏に消えてしまった。彼の向かう先は十中八九戦地だろう。


 マーリンさんは、父の店でも良い客だった。怪我も滅多に負わず、死ぬことなどもってのほかの彼だったが、家族想いで、一番等級の良い保険に入ってくれていた。


 しかし、父の保険屋を潰した治療所が内地に出来て彼は変わった。保険は解約し、いつも大怪我をして前線から戻り、死なども厭わず、治る前提の特攻を繰り返している。

 今も、良い客なのに変わりはない。俺の店を贔屓してくれてる。戦果も過去の何倍もある。それでも何かが引っかかってしまう。


 でも、三等内地の大通りに面する屋台を借りれたのは、マーリンさんのおかげだ。こんなに良い環境で治療所を開けるなど、思ってもいなかった。


「おはよ、いいかな?」


 内地で治療所を開いて、もう二ヶ月が経つ。どんな怪我でも一律五百輪で完治、破格であるし、俺の治癒魔法は完璧だった。本当に、ほとんどどんな怪我でも治る。欠損した部位も、血液さえ必要ないのだ。

 昨日のマーリンさんの話によれば、もうここ以外の治療所は全て潰れたらしい。この話を聞けば、父は褒めてくれるだろうか。


「ねぇユリア、ねぇってば!」


 簡易な木の長机に衝撃が走り、次の客が来ていたことに気がつく。今日の予約は、さっきの彼で最後のはずだったのだが。

 前を向くよりも先に、長机に叩きつけられた弁当箱に目が行った。


「あぁアリナか、いらっしゃいませ。これは」


「ユリアのお昼よ!あと欲しがってた短剣も入ってるから、じゃあね」


 アリナはそう言い残してさっさと帰ろうとする。わざわざ店に来て、閉店まで待ってくれていたのだろうか。


「ま、待って」


「なに。いらないって言っても受け取らないわよ」


 振り返った彼女は、やや邪険にそう言い放つが、その言葉の裏には純粋な優しさが見て取れた。

 返事さえ聞こうとせず、短く肩まで綺麗に揃えられた金髪はペコリと頭を下げて店を離れようとする。


「じゃなくて、今日、もう閉めるから。話せるよ、話して」


 離れゆく小さな背中に、精一杯言葉を紡いだ。一等内地に住む彼女が、わざわざこんな場所にまで、わざわざ幼馴染の自分にまで会いに来たということは。

 今までに二度あった。一度目は彼女の母の病気について、二度目は使用人の虐待について、今回もきっと、何かが起きたのだ。


 振り返った少女は、やはり泣きそうな顔を浮かべていた。


「戦線が、もう限界に近いの。弟が、イルが徴兵されちゃった、私、どうしよう」


 兵士長の家の彼女が言うその言葉は、心に重くのしかかった。


「……大丈夫、大丈夫だよ。俺がいるから、大丈夫だ」


 大した返事も出来ず、奥歯を噛み締めた。

 最近、軽い怪我じゃ済まない兵の治療をすることが多くなってきたから、自分と変わらないくらいの年の兵の治療をすることが多くなってきたから、そんな予感はあった。

 

「だよね、だよね。怪我なんか怖くないもんね、大丈夫だよね」


 それでも、小さく笑ってみせたアリナに、何の言葉もかけることができなかった。心の傷は、目に見えない。


「ありがと、それだけ。金髪の黒目で、私よりちょっと大っきい子が来たら、優しくしてあげてね」


「もちろん、アリナも怪我には気をつけて」


「ユリアがいるから大丈夫!」


 そう笑って、少女は道を戻って帰って行った。二度振り返った彼女に手を振りながら、残された言葉を胸に刻んだ。



 街から大きく外れた借屋に戻った頃には、二一時を回っていた。

 父はいない。俺の稼ぎで街で遊んでいる。帰ってくるのはいつももっと深夜だ。


 明日のために、出来ることをしよう。

 アリナから貰った短剣を取り出して、下腹部に思い切り突き立てる。

 内臓の場所を勘で探りながら、短剣を動かす。また、場所を変えて次は胸に刺し、同じことを繰り返す。そんなことを数十分続けて、もういいかと短剣を側に置いた。


 昨日、肺が破裂した兵が店に来たが、自分はその時肺を怪我したことが無かったために、治療が行えなかった。


 自分の治癒魔法は、自分が経験したことのある怪我にしか作用しない。その事に気がついたのは母が亡くなって次の日だった。自分も母の後を追おうとした時に、そのことに気がついた。

 父が一度でも、俺の首を絞めていてくれていたら、母は今も生きていたかもしれない。


「ふう」


 いつも腕が疲れる。

 今日はこれくらいにして、金髪で、黒い目をしていて、アリナよりも少し大きい男の子が店に来ないことを祈って、戦況が安定することを祈って、アリナと共に幸せに生きられることを祈って、母の冥福を祈って、眠る事にする。


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