脱走劇
●
ツェツィリーア大尉の立てた計画は、なかなかに巧妙と言えた。周到と言ってもよかった。
AS-665の休止期間、自分自身の休息時間をすりあわせ、艦内人員と接触しないルートを構築済みであったのは驚嘆に値する。
人間爆弾を管理・監視する役割を負った腕輪はすでに解除済み。
AS-665は、未だに自分たちの居住区画で眠っているものと思われているに違いない。
しかし、
「げほ、ごほっ」
「──大丈夫?」
AS-665は片手を振ってみせたが、疲労感と脱力感で足がもつれる。
しかたなくツェツィーリア大尉が肩を貸してくれるが、それでも足取りは覚束ない。
ついに痺れを切らした大尉に背負われることになるのだが、
「やだ、軽すぎない?」
大尉は軽いショックを覚えたようにAS-665の体重を気にかけた。
彼の見た目は10代前半で固定されているが、
「人間爆弾としては、適正な値らしいですよ」
「……そう」
大尉は背中に少年を抱えて走り出した。空母に備え付けられた救命艇を目指して。
「大丈夫、寒くない?」
「だいじょうぶ──です」
言葉を紡ぐのにも一苦労といった具合のAS-665。
輝くような銀髪が、暗灰色に染まった髪は、否が応でも彼の命の残量を示していた。あと三回も出撃すれば、彼は確実に死という次元に旅立つだろう。
(それは、いやだな)
死んだらまたあの神のごとき受付係のところに戻されるのを想像しただけで吐気が込みあがるが、大尉の背中や髪を汚すわけにはいかない。
AS-665は努めて呼吸を整え、精神への負担を軽減する。
「がんばって、あと少し!」
「大尉──どうして、じぶんのために?」
ここまでしてくれるのだろう?
当然すぎる問いであったが、大尉は微笑むだけで多くを語らない。
ただ一言。
「あなたを死なせたくない」
死なせるわけにはいかない、と彼女は言ってくれた。
何故というところまでは語ってくれなかったが、大尉は本気でAS-665を逃がすつもりでいる。
廊下の奥に、救命艇用の脱出ハッチが見えた。ハッチを開けば環境に異常事態を知らせる警報が鳴り響くことになろうが、大尉は構うことなく救命艇の扉を開いた。
ウーという警告音が鳴り響く中、大尉はまず最初にAS=665を救命艇の奥に優しく押し込み、ついで救命艇を操作するべく自分も座乗しようとする。
パンッという乾いたイ音が響いたのはその時だ。
「何をしている、大尉」
大尉は危うく自分の額をかすめた弾丸の主を、キッと睨むが、鷲のような切れ長の瞳には十歩も及ばない。
ヴィルヘルム・ルドルフ・フォン・アドラー准将。この航空母艦“ナハトファルター”の最高責任者であり、ツェツィリーア大尉の実父であり、人間爆弾──AS-665たちの司令官という地位にある男
細長い廊下ではあったが、艦長の親衛隊以下六名が、機銃の銃口をツェツィーリアに向けている。
しかし、疑問が一つ。なぜこんなにも早く“バレた”のか。
その答えは親衛隊の背後に控える人間爆弾の同胞──AR-989の存在ですべて承知できた。
ツェツィリーア大尉は震える声で宣う。
「艦長……お父様」
「事と次第によっては、軍法会議は免れんぞ。軍の“兵器”を勝手に持ち出した罪に問われることだろう」
他にも軍令違反や守秘義務違反、最悪の場合は利敵行為として処罰される虞がある。
娘であろうと──否、娘だからこそ、そのような軍務違反者を許しておけるわけがないアドラー准将。
廊下の反対側からも、ツェツィーリアたちを狙う銃口が複数──完全に囲まれた。
「大尉、自分は」
喘鳴に近い声で大尉に訴えかけるAS-665であったが、
「あなたはそこにいて」
ツェツィーリアは覚悟を決したように笑みの横顔を見せつけてくれた。
そんな彼女に対し、アドラー准将は諭すように告げる。
「そんな死にかけの、人間爆弾一人のために、すべてのキャリアを潰すつもりか?」
彼らしくもない、だが親として当然すぎる問いかけであった。
対して娘は、そんな親の愛情を受け取りつつ、自分の中の優先順位を確固たるものとする。
「ごめんなさい、お父様。私は、とんだ不孝者です。あなたの迷惑になることは重々承知の上で、私は──」
ツェツィーリア・アドラーは断言した。
「──この人を見捨てられない」
撃てという号令がかかったのはその時だった。銃火の炸裂音が、航空母艦内のAデッキ通用路を満たした。
猫のように身を躍らせて救命艇内部に逃げ込むツェツィーリア。
一瞬、灼熱感が左腕上腕を貫いていたが、大した怪我ではなかった。
彼女は即座に操作パネルに手を這わせ、救命艇の出入り口をロックし、脱出段階を整える。
「さぁ、おちるわよ!」
彼女のいう通り。空母から離脱した救命艇は高速で落下し、噴進材が尽きるまで海へと落下していく。
救命艇内で二人きりとなったAS-665とツェツィリーア大尉は、軍からの逃亡者として、追われることになる。
「ばかものが…………」
そう落胆の声をあげる艦長の声は、親衛隊員らの耳に残響した。
●
「大尉、いい加減おしえてもらえませんか?」
何故、数多くいる人間爆弾の中で、自分だけを選び、ともに脱走してくれたのか。
安全装置兼監視装置の日焼け痕が残る手首をさするAS-665に対し、元大尉は飄然とした微笑と共に述べる。
「うーん」
彼女は左腕の傷を処置しつつ考えて、一言。
「まだ内緒!」
二人の救命艇は潮の流れに乗り、一路帝国領とは反対側──東大陸の《小大陸》を目指す。