153回目の出撃
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ツェツィーリア大尉は、その後も相も変わらず、人間爆弾である少年少女たちを見舞ってくれた。
死ぬことを恐れる少年爆弾の手を握り安堵させ、いつになったら戦争は終わりますかという少女爆弾の問いには苦い表情で笑ってみせた
「──大丈夫。大丈夫だから、がんばって?」
そう告げる彼女の顔は慈悲を満面にたたえ、悲嘆とは無縁でいるような明るい笑顔だった。
正直、AS-665は吐き気がした。
彼女のやっていることは偽善家のそれでしかなく、問題の解決には何一つとして貢献できていない。
AS-665は、彼女が「名著だから」と推薦してくれた分厚い本を借り受け、その文面に視線を落とす。これも、彼女なりの教育訓練というやつなのだろう。心底呆れ果てるが、人から借りたものを無下にするのもためらわれる。紙面にはこう綴られていた。
『悪行と善行。対極に位置しているように見える両者であるが、実は大した違いなど存在しえない。両者の共通項は“決して強いられて行われる行為ではないこと”“あくまで本人の自由意思によって遂行される事柄”であるために。善意をもって他者に接し、礼儀を尽くして仁徳を積むこと。悪意をもって他者を敵とし、不忠の限りを尽くすこと。これらは決して『強制』あってのことではなく、最終判断は自己の信義、正義と言い換えても良い。そもそも善意によって行われることが絶対ではないように、時代、環境、帰属する国家の道徳においては、それらは平然と変貌を余儀なくされる。相対的なものだ。
悪意をもって為されたことが人を救い、
善意をもって為されたことが人を殺す。
そういった事態も甘んじて受け入れるよりほかにない。
では、人は善と悪、どちらに属すべきなのだろうか。ヒトを殺す善があるとするならば、人を慈しむ悪が存在するこの世界で、人は善と悪どちらに属するべきか……答えは』
そこまでを読んで、眼に隈の浮いたAR-989が呼びかけてきた。
「AS-665、出撃だ」
「了解しました」
立ちあがリ、若干黒色が目立ち始めた、暗灰色に近い髪の一房を額に押し当てるように、AS-665は敬礼した。
作戦はいつも通り、敵基地の襲撃であり殲滅──だが、今回は事情が大いに異なっていた。
「出撃にはツェツィーリア大尉が同行する。くれぐれも、粗相のないようにな」
「……は?」
振り返った先で、大尉がAS-665に笑顔で手を振っていた。
二人で格納庫を目指す途上で、彼は思わず大尉に尋ねた。
「航空訓練を受けておられたのですか?」
「もちろんです。これでも訓練学校時代は筆頭とまで言われておりました……出撃回数は、数えるほどしかありませんが」
なるほどとAS-665は了解した。
この命令は軍上層部というより、准将閣下、艦長の意向が大いに働いてるに違いない。
「それにしても、私は飛行機体がないと飛べないのに、どうしてAS-665たちは生身に近い装備で空を飛べるのです?」
質問というには基礎中の基礎に過ぎた。
「『航空兵士』と『航空魔導兵』の違いですよ。魔導兵は魔力による自律飛行が可能ですが、航空兵士は普通の人間──魔力からは縁遠い存在なのですから」
魔力による重力調整や風防措置、さらには最終的な敵基地の壊滅に必要な爆破能力は、生身の人間ではありえざる事象にほかならない。しかも飛行機体よりも軽重量である魔導兵の出せる速度は軽々と音速を超える。とある噂では、起爆不能となった魔導兵が、防御障壁を張った音速の飛翔体として、敵拠点を破砕しつくした、などという伝聞も聞いたことがあった。
「何はともあれ」
彼は彼女のエスコート役を任されたわけだ。
だからどうということもない。自分に与えられた任務を、しっかりとこなすのみである。
『私、ガラにもなく緊張しています……お願いしますね、AS-665』
折り畳み式単葉機の飛行機体に乗り込んだ大尉からの魔道通信波は良好。
「AS-665、出撃します」
開いた格納庫の後部ハッチから、一人の少年と、大尉の機体が滑り落ちる。少しの間自由落下を続けるが、単葉機は折りたたんでいた主翼をピンと張り、風防を真上に飛翔体制を構築。尾部に設置されたバーニアスラスターが爆音を奏で、AS-665と遜色ない速度で追随してきた。
「こちら、AS-665.大尉、機体に問題は」
『こちらは問題ありません。燃料計も油圧系統も、すべて問題なし。いけます』
「それはなにより」
『やはり空の上はいいですね』
「ええ、────そうですね」
作戦開始である。
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今回の作戦目標は大尉観測のもと敵工廠を空爆というもの。
簡単な任務のはずだった。
いつも通りの。
だが、そうはならなかった。
「大尉! 脱出を!」
対空砲射を直撃した変型単葉機は、火球になる寸前であった。
「っ!」
脱出装置が作動し風防が吹き飛ぶ。間一髪の脱出劇は、まだまだ続いた。
ここは敵の対空砲射圏内。落下傘を広げる大尉の存在は絶好の的と言えた。
AS-665は、防御障壁を最大限に張って、大尉の危機を救う、救わねばならない。
彼女が彼の上官である限りは。
「脱出します、大尉! つかまって!」
「はい」
彼はそう言って落下傘を切り離し、攻撃目標への任務を完遂しきれぬまま、大尉の身を抱いて敵放射圏内からの脱出をはかった。
AS-665の髪色がまた黒くすすけはじめている。
それを見届けながらツェツィーリアは、ひどく後ろめたそうに視線を伏せるしかなかった。
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任務は完全な失敗で幕を閉じた。
おまけに、大尉救出の際に魔力を蕩尽してしまい、通常の爆撃任務よりもより多くの魔力を費消してしまった。
「だから言ったのだ、我々人間と、爆弾とでは効率面で違いがありすぎる。我々が飛行機体に乗るべき時代ではないのだ、ツェツィーリア大尉」
艦長は表情こそ変えていなかったが、ひどくご立腹の様子だ。
察するに、今回の作戦は大尉が自分の権限で修正を挟み、結果、失敗を喫した運びだったらしい。
「でも、お父様──いえ、艦長!」
ヴィルヘルム艦長の眼光は、娘の前で一向にやわらぐ気配を見せなかった。
「今回のおまえの無駄な作戦で、AS-665の魔力総量は大幅に激減した……この意味が解るか?」
問われたツェツィリーアは喉をひきつらせた。
すすけた銀髪は、暗灰色に三歩は近づいたような変貌ぶりだ。攻撃よりも防御に徹せねばならないことの、いかに難しいことか。
結果的に、彼の寿命たる耐用回数を、彼女はいたずらに奪い取ってしまったわけだ。
その責任を痛感したように、彼女は押し黙る。
押し黙るしかない。
「今回の任務失敗の件は上へと報告せざるを得ない」
「はい、すべては私の責任で」
「おまえの? いいや、違う。AS-665の責任だ」
「そんな、ばかな! 私の──私は!」
「おまえの責任は問わん。今回は、AS-665の単独任務失敗……それでよいな、二人とも」
「いくらなんでもそんな横暴」
「承知いたいしました、艦長」
AS-665は、諦観しきった瞳で敬礼する。
「物わかりの良いものは好きだぞ、私は──ツェツィリーア大尉は?」
彼女は、苦虫を噛み切れていないような表情で、ただ一言。
「…………はい」
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艦橋を離れたAS-665を追って、ツェツィリーア大尉は涙声で話しかける。
「665くん、ごめんなさい。私のせいで」
「いいえ、ただ」
「ただ?」
「大尉の本が『名著』と呼ばれてる意味がよくわかりました」
彼はそれだけを告げて、人間爆弾の居住区画に戻った。
大尉は追いかけられなかった。