諸国家について
.
●
AS-665の属する帝国は、世界最強と謳われて久しい。
この異世界には五つの国家が存在しているなかで──
まず。AS-665を異世界より招き寄せた、シュヴェーアト帝国。
この世界における《大大陸》を掌握し、《小大陸》と称される地に散在する亜人国や森林国、そして王国と、銃火を交えて早半世紀。
帝国は赤字に漆黒の剣を意匠した、まるで騎士団のごとく勇壮極まる紋章を掲げており、他の国々とは一線を画す魔導技術と科学技術の所有国家だ。
中でも、異世界召喚式とよばれる、異世界の存在をこちらの世界に招き寄せる大魔法の発明が、今日における『人間爆弾』の端緒となりえた。
異世界から招かれる客人は、多かれ少なかれ魔力を帯びて召喚される。
極めて微量すぎると判じられたものは『航空魔導兵』として『人間爆弾』のサポートやオブザーバーなどに徹することができる──AR-989はまさにこれだ──が、魔力適性に秀でた異世界人たちは、過去には英雄豪傑と謳われ、剣と盾と魔法の冒険譚に名を残すものが多かったらしいが、現在はただの“爆弾”扱いだ。なにしろ、そのほうが使い勝手が良い。安全装置兼監視装置の普及によって、『人間爆弾』は《小大陸》の各基地を殲滅する兵器──道具として扱われるようになった。航空母艦と呼ばれる運搬船で国境地帯を目指し、目標となる敵基地や敵工廠を掃滅する。一般人へ損害については、国際司法に則って原則禁止とあるが──あくまで原則であり、たまたま敵兵器工場を訪れていた民間人などがいても、攻撃の巻き添えを食わないとは限らない。
次に、シルト王国。
帝国に対抗するような、青地に純白の“盾”の紋章が印象的な旗を掲げる王政国家。《小大陸》と称される東大陸の国であり、同大陸にはコイレ亜人連合国家とボーゲン森林国を有する。が、目下のところシュヴェーアト帝国と銃火を構えるのは王国のみであり、他二国はそれぞれの事情から王国の援助を惜しまない立場にあるだけであった。なかでも亜人連合国家は表立って帝国を非難し、半ば王国と同盟を結んで軍事作戦に参加している。……なにしろ帝国では亜人の存在は奴隷──もとい「畜産物」の対象として取引され、それはそれは無惨な有様を遂げた同胞が幾人もいると聞く。ボーゲン森林国はエルフェ──森の民であり、この世界の創成期から存在していたという伝説の民だ。帝国の邪知暴虐を許さず、異世界召喚式など即刻破壊すべき魔法類に分類し、暗闘暗躍を続けている。なにより、かの《大大陸》にはエルフェが嫌いな亜人種国家──ハンマー山脈国がある。ハンマー山脈国は、ツヴェルクと呼ばれる工芸と鉱業にすぐれた小人たちで統治されており、異世界人たちの言語では「ドワーフ」といった方がなじみ深い。彼らはその鉄鋼業を帝国にふんだんに輸出し、自らの利益となしている。両国の蜜月の仲によって、帝国の科学技術は躍進し、飛行母艦や飛行戦艦の建造に成功したといっても過言ではない。
●
「以上が、この世界における諸国家の立ち位置であり、君たちの攻撃対象となるわけだが……AS-665,何か質問は?」
「そうですね……」
空母内の講義室に集められた人間爆弾たちを代表して彼は席を立った。
「わざわざそんな知識を詰め込まなくても、任務遂行に支障はないと、自分などは考えますが?」
濁った瞳の群れが、彼の言に同意していた。気おされるように一歩を引きかけるツェツィーリア大尉の援護として、AR-989は自論を述べる。
「知っているのといないのとじゃあ、咄嗟の判断にも迷わんからな。場合によっては、我々は亜人たち──犬耳や猫耳どもを爆撃する任だって与えられるかもしれない」
航空魔導兵の言葉に、大尉は微妙な表情で微笑むしかない。「そういうことがいいたかったんじゃない」と言いたげな瞳を伏せた瞬間、艦内のベルがけたたたましい音を奏でる。
「では、皆さん。昼食の時間です。今日のザウアークラウトは絶品だと主計長から聞いていますよ!」
場の雰囲気が多少なごやかになった。
腹が減っては何とやら。
後刻、人間爆弾たちは、士官たちとは別の食堂で、確かに絶品といってよいキャベツの漬物と肉料理に舌鼓を打った。
●
「ツェツィーリア・アドラー大尉、参りました」
艦長室の前で二度深呼吸を終えた大尉は、目の前の扉をノックする。
「入りなさい、ツェツィリーア」
軍において親子の情を通わすことは軍紀にそぐわない。
だが、個人副官や秘書を人払いしておいた。
それでも。ヴィルヘルム艦長は、厳しい声でたずねた。
「何故あんな真似を?」
「質問は具体的に願います、准将閣下」
デスクで事務仕事を続けながら、次なる標的を本国から連絡してくる打刻機の前で、艦長は娘の瞳を正確にとらえた。
「相変わらず、物怖じというものを知らんな、おまえは」
「お父様……」
ツェツィリーアがはじめて親愛の情を瞳の奥にひそませた。
「彼らには教育が必要なはずです。AS-665などは優秀ですが、中には十にも満たぬ年齢で、こちらの世界に来てしまったものもおります。せめて、基礎学習程度の受講は」
「ならん」
艦長は打刻機の髪を丁寧に、しかし強く引き裂いて取り上げた。
「あれは『人間爆弾』だ。敵にあたって死ねば復元される、我が国の秘中の秘だ。それにいらぬ知恵をつけたところで、脱走を企てられるのがオチではないか」
「ですが閣下!」
「くどい!」
抗弁しようとする娘を、切れ長の瞳が睨み据える。
「……あれに関する処遇については一向しておこう。以後は慎むように」
ここが落としどころだと両者は理解した。
ヴィルヘルム・ルドルフ・フォン・アドラー艦長は、勝手に人間爆弾たちへ講習を行ったことを叱責し、二人は別れた。
「優しく育ちすぎるのも、考えものだな」
亡き妻によく似て、本当に優しくきれいに育った愛娘に対して、当初は軍属になることすら反対した父だ。
結局、ツェツィリーアの断固たる思いに押され、軍属になることを認め、上層部に口利きしたわけでもないのに、アドラー准将のもとに来てしまった。
来てしまった以上はしょうがない。ツェツィーリア大尉は魔導兵でこそないが、立派な「航空部隊長」として精励してくれている。
ただ、人間爆弾への過度な干渉は、どうにも度を越している気がしてならない。
とくに、150回の出撃を数えたAS-665などは、まるで居もしない弟のように、構っている時間が多いらしい。
「まさかな」
ヴィルへルムは己の頭に沸いた可能性を即座に忘却の淵に蹴り飛ばした。
そんなことよりも重要なのは、次の任務である──かれは徹底された軍国主義の人間であった。