151回目の出撃
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一度は隆盛を極めた異世界転生、だが、それは神の一存──読者たちの食傷によって廃れた。
もはや、異世界で冒険者を名乗る者はおらず、魔王を討伐する一行も存在せず、どころか魔王自体が存在しない。
悪役令嬢をエンジョイしたり、スローライフを満喫したり、脇役なのにチート能力で尊敬を集めることも、ない。
「出撃だ、AS-665」
「ハっ!」
少年は軍服を纏ってはいるが、兵士とは呼び難い存在だ。名は、AS-665。それが彼の認識番号であり、唯一の個体名称だ。
見た目の年齢は10代半ば。白に近い銀髪が特徴的だが、自分と同じ境遇の存在──『人間爆弾』と呼ばれる存在にとっては、極めて基本的な特徴と言えた。
彼がいるのは、航空母艦の降下準備室。そこで震える僚輩たちを勇気づけるように、彼は臆面も見せず効果準備を始める。
飛行装具を検め、「AS-665、準備よし」の掛け声が気持ちよく魔法機械仕掛けの室内に響いた。
母艦の後部ハッチが開く。
吐く息が白く凍った。
太陽の光が白く眩く室内を満たし、同時に、降下する『人間爆弾』の背に影を造った。
ハッチの向こう側には、無窮の青が広がるばかりだ。雲一つない快晴。作戦遂行にはうってつけの季候条件。
「よし! AS-665、降下」
「降下開始します」
作戦班長を務めるヤーコブ曹長の命令のまま、AS-665はハッチを駆け抜けるように飛び降りる。青い空が彼を出迎えてくれた。大気の層に包み込まれ、一瞬上下左右の方向を失う。
(この瞬間だけは悪くない)
そう思いつつ、母艦に敬礼を送って彼は姿勢をうつ伏せに戻した。
魔法の飛行装具のモニターを確認しつつ自由落下を続ける。高度4000マルクル。目標地点まで三分もかからぬ距離。
AS-665は慎重に呼吸を整えようと試みない。この高度では息を吸うだけで肺が凍るように痛む。高高度から投射される焼夷弾としての任務が、今ある自分のすべてであった。
眼下では、敵の航空基地がサイレンを鳴らし、パイロットや整備班が右往左往している。迎撃しようと地対空ミサイル魔法が乱発され、降下してくる敵兵もとい人間爆弾を叩き落とそうと躍起になる──自分が殺す連中のことを考えるのを辞めて、少年は腕輪の安全装置兼拘束具を外し、魔力を起動。
瞬間、彼は爆弾と化した。
超広範囲を焼き融かす熱波と衝撃。
敵基地も滑走路も、パイロットや整備班らも、諸共に燃焼殺戮していく、死の暴風。
同時に、自分の体表も、内臓も、骨も脳も眼球も、すべてが炸裂の閃光をあげて、はじけ飛ぶ。
(この瞬間だけは最悪だな)
自分が破壊する建造物や敵兵器、そして敵兵の命を観察しつつ、彼の任務は終わった。
●
「お? おかえり、AS-665」
「……ただいま、AR-989」
「気分の方は?」
「知ってるだろ? さいあく」
確かに頷き笑う先輩──人間爆弾が手を振って退室していくのを見送り、AS-665は爆破の余韻めいた頭痛を感じつつ、衣服をあらためた。
鏡で顔を洗うと、既に見慣れた──しかし生前の自分とは似ても似つかぬ銀髪の少年が、己を睨み据えている。あまりよい目つきとは言えないし、隈も酷い。
銀髪の少年は、航空母艦内の狭苦しい復元プラントに戻された。同僚が用意してくれた替えの下着と軍服に身を包み、己の戦果を確認・報告すべく、艦橋を目指す。
これが、人間爆弾の神髄であり真骨頂と言えた。
彼らは、個々の耐用回数に応じて、母艦内部に設置された復元プラントで再生もとい「復元」を受ける。すると、元の人間の姿が構築される。
それが、魔法の力によって組成され、魔導の法によって駆動する、究極の魔導兵器──通称『人間爆弾』の利点であった。
欠点を二つあげるとするならば、ある程度の魔力適性を持つものでないと、『人間爆弾』になれないこと──爆弾と化した時の内臓の焼かれる痛み、心臓や脳髄がはじける苦しみは、どうやっても緩和不能であるということに尽きるだろう。
あの痛みは慣れる類のものではない。激痛だ。イジめられて骨が折れた時の何万倍にもなる痛み。
しかし、やるしかないのだ。
今現在、AS-665の居場所は、このシュペーア型航空母艦六番艦“ナハトファルター”しかないのだから。
「AS-665、帰投いたしました」
「うむ、ごくろう」
一顧だにせず労いの言葉をかけた艦長の名は、アドラー。ヴィルヘルム・ルドルフ・フォン・アドラー艦長。胸元の階級章は、准将。航空母艦一隻を指揮するのに十分な階級と言えた。AS-665が生を享けるよりも長きにわたって空の戦いに身を投じてきた勇士は、人間爆弾のあげた成果を無表情に喜ぶ。
「今作戦によって、敵基地の壊滅は決定的となった。残敵掃討は地上部隊の陸軍に任せることになろう。以上だ。下がってよし」
「ハっ」
敬礼を施し、AS-665は艦橋を後にする。自分の居住スペース──といっても、四段ベッドの一番上程度の空間でしかない──に戻ろうとする彼の背に、厳しい呼び声が。
「AS-665」
彼は振り返ると同時に敬礼した。
そこにいたのは、自分よりも幾分年上に見える二十代女性──階級章付きの制服をきっちり着こなした士官であった。
「作戦の成功、おめでとう」
「ありがとうございます、アドラー大尉」
「アドラー大尉は、よせといいいませんでしたか?」
「失礼しました……ツェツィーリア大尉」
「うん」
彼女はその姓名から分かるように、艦長の娘だ。幼さの残る顔立ちに、豪奢な金髪は腰まで揺蕩う長さだが、それも軍帽の中にキッチリ結い上げられ収納されている。胸も尻も豊穣神の加護でも授かったかのごとく豊かそのもので、がりがりに痩せた我が同胞──同年齢のAS-426とは比べるべくもない。
美の結晶のごとき女性士官は、鈴でも転がすようなきれいな声色でAS-665の戦績を祝した。
「これで十回連続の作戦成功です。私が直属の上司ならば、殊勲賞を推薦してやれるのですが」
「……お気持ち、有難く頂戴いたします、大尉殿」
だが。
「自分は『人間爆弾』です。名前すら持ち合わせていない、ただの魔法道具、魔導兵器の一種に過ぎません。どうか、そのことをお忘れなきように」
暗い声で告げた。それが人間爆弾の真実であった。
彼らは、とある召喚術によって、この異世界に招き寄せられた人間たちの成れの果てだ。ある程度の年齢と知能、そしてふんだんな魔力を注ぎ込まれた魔導兵器。AS-665にしても、この世界に転生したのは、ほんの9年前。15歳の見た目ではあるが、そこは魔導研究機関の調整によるものにすぎない……一刻も早く敵船に肉薄し、一弾でも多く被弾箇所を減らす取り組みとしては、幼児化による肉体の縮小化は最適解と言えた。
前線で戦える兵士を、フラスコや試験管の中で育てる『魔導兵士』──その発展形こそが、異世界から潤沢な魔力を持った人間を召喚し、魔力暴発を行って敵戦艦や敵基地を爆破する『人間爆弾』なのだ。親もなければ兄弟もない。人権なども望みようがなく、軍属として生を終える以外の生き方がない。それも、かろうじて軍属という注釈がつく。墓碑に刻み込まれるのは認識番号のみで、個体名称や碑文は一切記されない。それが『人間爆弾』の真実だ。
ツェツィーリアは寂しげに微笑したと思うと、頭を振って敬礼し直し、そのまま去っていった。
AS-665の通算出撃記録は150回を超えた。
魔導師の見立てでは、耐用回数を超えるまで、あと49回の猶予が、ある……