『異世界転生は終了しました』
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少年は茫然と、その看板の前に立つ。
『異世界転生は終了しました』
その立札の前に立つ少年。
「あのー、すいませーん」
思わず奥の方へ声をかけてしまう少年。
夢にまで見た異世界転生が、唐突に終了させられている事態が、一向に呑み込めていなかった。
「誰かいませんかー?」
少年は死んだ。
確かに死んだ。
子猫がトラックに轢かれそうな場面に立ち会い、それを救出しようとして、このざまだ。
しかし、彼はここで目覚めた。
その結果がいきなりこれでは、自分は何のために命を張ったのか。
「すいませーん!」
再三の呼び出しに、ようやく誰かが──というか何かが現れた。
散らかったデスク。使用済みの煙草の灰皿の山。やる気ない瞳で書類を眺める、一人の男性。
「あのー」
『うん? ああ、転生希望の方? 悪いけど、異世界転生は終了したよ』
「はぁ、そうなんですね」なんて頷いておけるわけもない。
「じゃあ、どうして、俺は──自分はここに?」
『手続き上の不備かな。もう異世界に送る魂なんて、時代遅れもいいところだからな。要するに飽き飽きなのさ、君らが異世界で活躍する様なんてのは』
事務的な口調の中に、諧謔的な調べが混じる。
「飽き飽きって、そんな」
『じゃあ列挙してみる? モンスターを退治する冒険者か? 魔王を討伐する勇者ご一行か? 一国の王族や貴族の家系で国づくりや国家経営? あるいは魔王になってモンスターを支配する側にでも立ってみる? どれも見飽きたっつー話なんだよ』
「あ、悪役令嬢ものとか、英雄が田舎でスローライフを送るとか、チート能力者が教師や荷物係なんかの脇役っていうのも、あるじゃないですか!」
受付係は興味ないねと言わんばかりに煙草に火をつけた。紫煙が少年の鼻腔をくすぐるが、臭いはまったくしない。少年は死んでいる身の上だからだ。
『そういうのは全部終了。完全閉店状態だよ。少年には悪いが、普通に輪廻転生科の列にでも行ってもらうしか』
「そんな! せっかく異世界転生できると思ったのに?!」
こんなのはあんまりだと少年は泣訴する。
実際に泣きはしないが、それに近い感情の声で、なんとかできないか相談を持ち掛ける。
『……本当に異世界転生したいの?』
煙草を灰皿に詰めた受付係は、懐疑的な視線で少年を見据えた。
「このまま死ぬよりはずっとマシでしょう!」
少年の怒号に近い訴えを受けて、彼は少しの間だけ考え込み、書類の山を探る。何冊かページをめくり、そして告げる。
『そんなに異世界転生したいなら、空きはあるといえばあるけど──本当にやる気?』
「やります」
少年は力強く頷いた。
異世界転生が廃れた理由。
その理由は神の意向。異世界転生を始めたのが神であるなら、それを終わらせるのも神。
そう納得できても、ならば死んだ自分はどうすればよいのか──トラックにひかれそうな小猫を助けた代償が、これでは。
受付係っぽい神様は、事務的な口調で、めんどくさげに言う。
「普通に生き返らせてくださいとか、途中から現代への輪廻転生の方がよかったとか、言わない?」
「言いません! 言いません、言いません、言いません!」
そう告げるたびに、受付係が書類にサインを求めた。
神の言語とでもいうべき文字列に自分の名を記入すると、それで異世界転生が叶う──少年の筆致に迷いはなかった。
『本当にやるの?』
「やるったらやります」
豪語する少年。
「あんなくそったれな人生よりは、百倍マシでしょう」
『そうかい?』
しかし、彼はもう少し顧みるべきだった。
『異世界転生は終了しました』──この立札の持つ意味を。
「無理を言ってすいません」
『いんや。こちらこそ、君には無理をさせることになる。おあいこさ』
それってどういう意味かと問いただす前に、立札が猛烈な勢いでバラバラとめくれ上がる。
受付係──神は宣言した。
『汝の行先は、最も過酷な異世界──『人間爆弾』としての生を謳歌してくるといい』
人間、爆弾?
その意味するところをたずね返す前に、少年は立札の内に吸い込まれていく──
少年の戦期は、
モンスターを退治する冒険者かでも、
一国の王族貴族となって国作りでも、
モンスターと化してモンスターを支配する魔王でも、
悪役令嬢やスローライフというものとは一線を画す。
『人間爆弾』
読んで字のごとく、人間でありながら爆弾として扱われるものであり、爆弾として扱われる人間のこと。
少年はそこで、地獄のような異世界転生を目の当たりにする。