徳川と前田
木村吉清の嫡男である清久の嫁にと、徳川、前田両家から婚儀の申し入れがあった。
どちらから嫁を迎えるべきか。意見を募るべく、吉清は家臣を招集した。
今回の話を説明すると、藤堂高虎が声を上げた。
「それがしは徳川様と婚儀を結ぶべきかと存じます」
吉清は「ううむ」と唸った。
家康は天下人であり、ここで友誼を結んでおけば、後々まで目にかけてくれるかもしれない。
清久の嫁は徳川の娘にするか。
そんな雰囲気の漂う中、家老の一人である大道寺直英が異を唱えた。
「それがしは反対にございます」
「直英か……なにゆえ反対と申す」
「家康は北条氏直様と婚儀を結んでおきながら、小田原征伐の際に北条家へ味方をしませんでした。また、かつては信長に命じられて、嫡男である信康を切腹させたと聞きます。
己の嫡男や窮地に陥った娘婿を助けぬ不義理者との婚儀に、いったいどれほどの意味がありましょう」
大道寺直英は旧北条家臣であり、北条家の滅亡を目の当たりにしていた。
それだけに、直英の言葉は説得力があった。
そもそも、生き残りを図るのが戦国の習いであり、家名を残すことこそ武士の本懐であった。
吉清とて、必要とあらば親類や婚姻を切る覚悟はできている。
そういう意味では、家康の行動も理解できなくはない。
ただ、理解ができるからと言って、切り捨てられた時に納得ができるわけではない。
また、正史では秀頼に孫を嫁がせておきながら、最終的には秀頼を死に追いやっている。
家康は前科があるだけに、何かあった際に見殺しにされる可能性は拭えないだろう。
それと引き換え、吉清の正室である紡も前田利家の正室であるまつから良くしてもらっており、両家の仲は比較的に良好と言えた。
また、前田家であれば江戸時代を通して名門の家柄であり、御三家に次ぐ待遇を受けていた。
先のことを見据えたとしても、前田家との婚儀には十分価値があると言えた。
「……では、清久の嫁は前田家から迎えよう」
「はっ!」
吉清の決定に、家臣一同が頭を下げた。
話し合いが終わると、吉清は藤堂高虎を呼びつけた。
「いかなご用にございましょう」
「お主に台中奉行を任せたい」
台中奉行は小幡信貞に任せていたが、家老職と兼任していることもあり、忙しい日々を送っていた。
それに対し、藤堂高虎は豊臣秀長の元で長く政務に携わっており、内政の経験は十分であった。
吉清から貰った知行、12万石も秀保の旧臣を召し抱えることに使っており、藤堂家臣はそれなりに充実している。
また、藤堂高虎は築城にも長けているため、明との最前線に城を築かせる狙いもあった。
「かしこまりましてございます」
藤堂高虎が頭を下げると、さっそく出立の支度を進めるのだった。
台中奉行を解任された小幡信貞には、荒川政光が担当していた石巻奉行を任せた。
さらに、曽根昌世が台北奉行を任されたことで、解任された四釜隆秀には銀札奉行を任せることにした。
そうして、荒川政光に集中していた権限や職務を分散させ、負担を減らすのだった。




