信玄の両眼の如き者、曽根昌世
蒲生氏郷の死後、蒲生家家中は二つに分裂していた。
蒲生家筆頭家老であり氏郷の寵愛を受けた蒲生郷安と、郷安の専横を良しとしない蒲生郷可が対立を深め、氏郷の死後に争いが表面化したのだ。
このまま放っておいては、徳川との縁組を防いでも減封となりかねない。
さて、何から手をつけるべきか……。
吉清が思案していると、木村家家老であり、元北条・武田家臣である小幡信貞がやってきた。
「殿、それがしの旧友で、殿に是非目通り願いたいという者がおるのですが……」
「かまわんぞ」
やってきたのは、壮年の武将であった。
男の鋭い眼光が吉清を射抜く。
男を値踏みしていた吉清が、逆に見定められているようだった。
「それがし、曽根昌世と申します。以後、お見知りおきを……」
男の雰囲気に飲まれそうになりながらも、かろうじて吉清は虚勢を張った。
「……して、儂に何の用があるというのだ?」
「今は蒲生秀行様のところに仕えておりますが、願わくば木村様の元にお仕えしたく……」
「……なに?」
転職するというのか? この恐ろしい眼光の男が、当家に?
「曽根殿は、かつて信玄公の奥近習六人衆として仕えており、真田昌幸殿と並び『信玄の両眼の如き者』と称されるほどのキレ者……。配下に加えて、損はないかと」
小幡信貞の話に、吉清は驚きを隠せなかった。
真田昌幸といえば、寡兵にて徳川軍を破った名将である。
その真田昌幸と並び称された者が、木村家の門を叩くとは……。
溢れ出る嬉しさを抑えつつ、曽根昌世に尋ねた。
「なぜ秀行殿のところを離れ、儂のところへ来たいと申すのだ」
「ご存知の通り、蒲生家家中は荒れております」
曽根昌世の話によれば、氏郷の代から寵愛を受けてきた筆頭家老、蒲生郷安が日に日に増長しており、それをよく思わない蒲生郷可と対立しているのだという。
「とはいえ、大半の家臣にしてみれば、『郷安は気に入らないが、表立って対立する郷可に家中をまとめられるとは思わない』というもの。
これではいつ家中を分裂させる争いが起きてもおかしくありませぬ。
……であれば、船が沈みきる前に乗り換えてしまおうかと……。
今なら、蒲生家で1万石の禄を食んだという肩書もついてくることですしな……」
「お主の言い分はわかった。しかし、なぜ当家なのだ? お主ほどの者なら、引く手あまたであろうに」
「聞けば、北蝦夷島、高山国、呂宋と攻め落とし、木村家は飛ぶ鳥を落とす勢いとか……。されど、今の木村家にはそれを支えきれるだけの人材が不足しておりましょう……?
それだけ上の席も空いていれば、出世も早くなろうというもの……」
「……………………」
昌世の冷静な分析に、吉清は何も言えなくなってしまった。
現在、樺太や高山国、ルソンの開発が遅れている一番の理由は、人手不足にあった。
積極的に人材登用することで解決に向かいつつあるが、人手はいくらあっても足りない状態であった。
吉清が絶句しているのを迷っていると思ったのか、曽根昌世が少し考えた。
「……それがしでは足りぬと申されるのなら、手土産もつけましょう。
それがしを迎え入れてくださった暁には、蒲生家より同じような立場の者を何人か引き抜いてご覧にいれましょう。
さすれば、木村様の抱える問題も解決しましょう……?」
「それには及ばんぞ。あてがあるのでな」
「関白殿下の家臣を引き抜かれるおつもりか……」
「なっ……!」
精一杯の虚勢を張ったつもりだったが、逆にやり返されてしまった。
というか、なぜ曽根昌世はそのことを知っているのだ。
まだ南条隆信に声をかけさせているだけで、表立っては動いてはいないはずなのに……。
「おや、当てずっぽうのつもりでしたが、図星でしたかな……?」
「…………儂を脅すつもりか?」
「滅相もございません……。それがしはただ、関白殿下の家臣を迎える席に、それがしも加えていただきたく思っているだけのこと……」
あくまで下手に出ているが、その実中身は脅しに近い。
秀次の家臣に声をかけていることを口外しない代わりに、自分を召し抱えてくれと言っているのだ。
だが、味方であればこれほど頼もしい者もいない。
見方を変えれば、これは曽根昌世なりのアピールなのかもしれない。
これだけ権謀術数を用い、情報収集力も長けていると、自ら喧伝しているのだ。
だから、自身の禄を宣言し、自らの能力を売り込んでいるのだ。
そう考えれば、すべてが納得できた。
自分の力にそれほど自信があるのなら、存分に試させてもらおう。
先ほどまで怯えていた吉清が、値踏みするような視線を送った。
「……お主を家中に加えてもいいが、条件がある」
「ほう……なんなりと……」
「氏郷様は儂の恩人じゃ。葛西大崎の乱でも、九戸政実の乱でも……いや、それより前からずっと世話になっておった」
史実でも、葛西大崎一揆の後、吉清を客将として養い、氏郷が亡くなるまで面倒を見てくれていた。
「その氏郷様に託されたのだ。若輩の息子を頼むとな……。
儂はその約束を果たさねばならん。お主には蒲生家家中の騒乱を鎮める手助けをして欲しいのだ」
吉清の頼みに、曽根昌世はクックックと笑った。
「それはできませぬ……」
「なに……?」
「それができるのなら、こうして木村様の元へ足を運ばず、己でなんとかしております……」
もっともな言い分に、吉清はため息をついた。
しかし、蒲生家の内紛を防ぐためには、曽根昌世の力は是非とも欲しかった。
「お主は自分の力を高く売り込んでおるようだが、正直なところまだ判断のしようがなくての……。それゆえ、値踏みする機会を設けて欲しいのじゃ」
あえて挑発的な言葉を使う吉清に、曽根昌世は真意に気がついた様子で笑った。
「儂も力を貸すぞ。氏郷様の恩に報いるためじゃ。もちろん出来る限りのことをするぞ」
「…………手段を選ばないのであれば、やれるだけのことはやりましょう……」
こうして、来たる蒲生騒動を防ぐべく、曽根昌世の力を借りることにするのだった。




