とある伊達家家臣の日記
〇月×日
太閤殿下のご命令により、伊達家では伏見城の普請を行なうこととなった。
殿は、
「なぜ俺がこのようなことを……」
とぼやかれていたが、これが今の伊達家の立場である以上、甘んじて受けるしかない。
ある時、同じく普請を任されていた木村吉清を見つけると、殿は日頃の鬱憤を晴らすように罵倒しに行かれた。
「築城が下手すぎて馬小屋かと思った」
だの
「こんな城では品位を疑ってしまう」
などと、気持ちよさそうに扱き下ろしておられた。
仮にも太閤殿下が使われる城だというのに、そんなに好き放題言ってしまって大丈夫であろうか。
〇月×日
太閤殿下に呼び出され、急遽、殿は大坂城まで出向くこととなった。
原因はなんとなく察しがついている。
それがしが「大丈夫ですか」と尋ねると、
「案ずるな。万事任せておけ」
と自信満々におっしゃられた。さすがは殿。頼もしいことこの上ない。
だからきっと、顔が青ざめておられるのはそれがしの見間違いだろうし、ガタガタ震えているのもきっと武者震いなのだろう。
しばらくして、戻ってきた殿に「どうでしたか」と尋ねると、
「何もなかった。ただの世間話をしただけだ」
とおっしゃられた。
さすがは殿。実に頼りになる。
だからきっと、額に畳の跡が残されてたのは、それがしの見間違いだろう。
〇月×日
新しい茶器を手に入れたとかで、殿はたいそう機嫌を良くしていた。
我々家臣にも茶を振舞うというのだから、よほど嬉しかったのだろう。
後日、他の大名にも茶を振舞うのだという。
まったく、殿は茶よりも茶器を自慢したいのが本音だろうに。
〇月×日
茶会から帰ってきた殿は、えらく腹を立てておられた。
なんでも、隣の大名、木村吉清に茶器を自慢したところ、逆に自慢し返されたのだという。
あまりにも腹が立ったのでその場で自分の茶器をたたき割ったとのことで、それがしは割れた茶碗を処分するよう命じられた。
せっかく良い茶碗だったのに、もったいない。
どこか適当なところにでも埋めようとしたところ、古田織部にねだられたので、割れた茶碗を譲った。
あんなものを欲しがるとは、古田織部は余程の数寄者らしい。
〇月×日
加藤清正や福島正則との酒宴の席で、殿はしきりに木村吉清の悪口を吹き込んでおられた。
「あんな小物は天下を治める器にない」
だの
「石巻30万石だって分不相応だ」
などと、しきりにおっしゃっておられた。
殿のお話に、二人とも「なるほど」といった様子で頷いていたので、おそらく殿の言い分を素直に受け取られたのだろう。
これに手ごたえを感じたのか、次は徳川様のところで木村吉清の悪口を吹き込むのだという。
まったく、困った殿だ。
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最弱大名、姉小路頼綱が知略の限りを尽くしてに織田・武田・上杉相手に生き残る
(旧題)公家大名、姉小路頼綱の優雅でみやびな貴族ライフ
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