最上義光
交渉の場に腰を下ろすと、義光が清久を一瞥した。
「驚いたものじゃ。まさか、大将自ら来ようとはな……」
「それを申せば義父上とて同じこと。戦場で、大名自ら交渉の場に現れるなど、聞いたことがありません」
「…………儂はよいのじゃ。頭も舌も回る。何より、腕っ節が強い。一対一であれば、誰にも負ける気はないわい」
清久が笑った。
「……では、そんな義父上に鍛えられた私も、相当なものでしょうな」
「ふん……小童が。抜かしよるわ」
挨拶代わりの憎まれ口を叩くと、清久は上方での戦況を説明をした。
大坂には高山国からやってきた木村軍本隊がいること。
徳川軍が大坂へ攻め寄せるも、秀頼の篭もる大坂城に籠城していること。
徳川軍本隊を釘付けにしている間、木村水軍が江戸の制圧に乗り出していること。
そのどれもが義光が掴んだ情報と寸分違わぬものであった。
「この戦、当家の勝ちは揺るぎませぬ。私とて、駒の実家である最上を潰すような真似をしたくはない……。ここに至っては、義父上には寝返り頂くほかないと思い、此度の話し合いを設けましてございます。
どうか、ご決断を……」
清久が頭を下げると、義光は「ふん」と鼻を鳴らした。
「言いたいことはそれだけか?」
「…………どういうことでしょうか?」
「たしかにお主の話には嘘はなかった。だが、肝心なことを隠しておる」
清久の眉がぴくりと動く。
「聞けば、再三本国を脅威に晒され、徳川様は江戸の周りに強固な守りを築いているという……。
頼みの綱の水軍でも攻め落とせぬ。……だからこそ、自由に動かせる奥州軍で江戸を攻め落とす必要が出てきたのであろう」
清久の背中に汗が伝っていくのがわかった。
……そこまで読まれていたか。
義光の言ったとおり、大坂、関東での戦いが膠着しているからこそ、手の空いている奥州軍で勝負に出ようと思ったのだ。
そして、義光にもそれが透けて見えている。
かくなる上は、この戦いが最上の動向に左右されずとも木村家が勝利するのだと、義光に信じさせなくてはならない。
決意を新たに、清久は別室に控えていた小姓に合図を出した。
しばらくして、小姓が子供と武将を連れてきた。
「これは……」
最上義光が眉をひそめる。
子供の方に見覚えはない。だが、男の方には見覚えがあった。
あれは戸沢家臣の一人で、たしか一門の者であったはずだ。
それがここに居るということは、まさか……
義光の言葉を先回りするように、清久が口を開いた。
「お察しのとおり、これまで中立を決め込んでいた戸沢と小野寺を当家に味方させました。その証として、両家より人質を頂いた次第にございます」
驚愕する義光をよそに、清久が続ける。
「これにて、奥州木村軍は戸沢、小野寺を加えた、北奥州すべての大名が参陣いたします。……仮に義父上が我らに寝返らずとも、力ずくで通れるだけの力を持っているのです」
義光が観念したように顔を伏せる。
なるほど、それだけの兵が集まったというのなら、話も変わってくるだろう。
並の大名であれば、これだけで寝返りを決意したかもしれない。
だが、清久の前に立ちはだかるのは、並の大名ではないのだ。
義光がふっと遠くを見つめた。
「……儂が家督を継いだ当初、最上家は居城があった最上郡の支配すらままならぬ有様であった。
一国の支配すらおぼつかぬ当家がどうしてこれほど勢力を広げられたのか。……なぜ儂が羽州の狐などと呼ばれるのか、婿殿は知らぬのか?」
清久の背筋にぞくりと寒気が走った。
「たしかに最上の兵は精強じゃ。己の土地を、家族を守るためなら、どんな戦場にだって身を投じる。
……だがそれ以上に、最上が大きくなれたのは、儂が手段を選ばなかったからじゃ。暗殺も、調略も。戦に勝つためならば、どんな汚いことであろうとやってきた。──このようにな」
義光が手を叩くと、別の部屋に控えていた武者たちがなだれ込んで来た。
交渉の場から一転、物々しい空気に包まれる。
「こればかりはするまいと思っていたが、致し方ない……。今ここでお主を討てば、勝つのは我らよ」
武者たちが刀を抜いてジリジリと詰め寄る。
思わず腰を浮かせそうになるのをぐっと堪え、清久はその場に留まった。
考えろ。考えろ考えろ考えろ。
この状況で、吉清ならばどうする。
石田三成ならどうする。
津軽為信ならどうする。
最上義光なら──
「義父上には私を斬れませぬ!」
清久の顔つきが変わったのを見て、義光が警戒を強める。
「なにを……」
「私を斬れば、最上のお家は滅んでしまいましょう」
これは賭けだ。
最上義光の中で徳川の勝利が確かだというのなら。義光の心に一片の揺らぎもないというのなら、迷い無く清久を斬り伏せることができるはずだ。
だが、僅かにでも。ひと欠片でも木村が勝つのではと思っているのなら、清久を斬り伏せるような真似はできないはずだ。
最上の娘を娶った清久を斬った時に木村家が勝利を収めれば、最上はお取り潰しどころか、吉清の怒りを買って族滅される可能性だってある。
逆に、木村が勝った時に清久が生き延びていれば、娘婿の縁で家名を残すこともできるはずだ。
それどころか、清久を討てる好機をわざと逃すことで、吉清に貸しを作ることもできる。
ゆえに、清久という保険を失ってなお、徳川の勝利を信じることができるのか。
清久はその一点に賭けていた。
「……………………」
案の定、義光は押し黙った。
最上配下の武者たちも、この期に及んで迷いを見せる義光に困惑していた。
10対1。方や鎧を纏った武者の群れ。方や丸腰の男が一人。
傍から見れば、どちらが有利か一目瞭然であった。
しかし、丸腰で僅かな供しか連れずにやってきた清久に、いつしか主導権を握られているではないか。
ここに至って、清久も確信した。
……やはり、義光も内心では徳川の勝利を疑っていたのだ。
義光の沈黙から確信を得た清久は、最後の障壁を壊すべく踏み出した。
「……この戦、当家が勝った暁には、本領安堵のみならず出羽国庄内30万石の加増をお約束いたします」
「…………そのようなことで、儂が徳川様を裏切ると思うたか」
……義光が徳川方についたのは、家康への義理立てが大きいのか。
であれば、今話すべきことは恩賞の話ではない。
清久がキッと義光の目を見つめた。
「それでは、当家が勝った暁には、徳川様の助命嘆願をします」
「…………なに?」
「このまま木村方の勝利に終われば、首謀者である徳川様は厳罰は免れぬはず……。そこで、私が徳川様の助命嘆願を致します。
此度の戦で最大の功労者である木村樺太守の嫡男である私が皆を説得し……いや、父上を説得すれば、助命も夢ではありませぬ」
「ふん、口では何とでも言えよう」
清久がおもむろに懐から短刀を取り出すと、義光の前に差し出した。
「なっ……!」
「嘘だとお思いなら、これで私をお斬りくだされ」
清久の決意の固さに、義光が絶句した。
戦いの最中の交渉で、大将同士の場にあるまじき軽率さ。
しかし、裏を返せばそれだけ誠意を尽しているとも受け取れる。
義光もそれを感じ取っているのか、短刀を見つめたまま、動こうとしない。
永遠に思えた沈黙の末、義光が叫んだ。
「くそっ!!!!」
感情に任せて拳を床に叩きつける。
「くそっ! くそっ、くそっ、くそっ、畜生!」
義光は腹の底から絞り出すように声を挙げた。
「お主ら親子は、揃いも揃って碌でなしじゃ!!!! 儂から駒を奪い、お家のため、我が友徳川様のお命のため、儂に徳川様を裏切れと言う……!」
嗚咽に声を震わせ、友を裏切らなくてはならない痛みに涙を流している。
義光が涙を流している様は、見ている清久も悲痛な気持ちにさせられた。
「…………………本当に、徳川様の助命嘆願をしてくれるのだな?」
「必ずや」
「…………わかった」
それからしばらくして、義光は国元に置いていた重臣やその子息を人質に出すと、木村家に寝返りを表明した。
最上義光の寝返りにより、石巻から蒲生領までの行軍路が完成し、奥州軍は徳川領まで侵攻する術を得たのだった。
補足
最後に短刀を出したのは清久の演出ですね。
少し前に、交渉の場に伏兵を潜ませていた義光に対し、清久は「自分を斬ることはできない」と返し、義光も無言でそれを認めてしまいました。
短刀を渡された時に清久を斬っては上の行動と矛盾してしまうため、義光には斬ることができません。
そのため、結果的に清久は自分の命を懸けて約束をするという演出ができたというわけですね。
明日の投稿はお休みさせていただきます
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