戦いの前後
遡ること数日前。
水や食料の補給を終え、鍋島領を出立しようとした時のことだった。
鍋島家臣が息を切らした様子で駆け寄ってきた。
「い、一大事にございます!」
「どうした」
「黒田如水殿が木村方に寝返ったとのこと! ただちに毛利領に攻め寄せ、小倉城を包囲したとのことにございます!」
「なに!?」
寝返った? 黒田如水が?
吉清が曽根昌世を呼びつけた。
「昌世、黒田如水に工作はしていたか?」
「本領安堵と働きによっては加増するという条件で交渉しました……。如水殿は寝返るとは言ったものの、人質も出さず空返事のようでしたので信用しておりませなんだが……」
吉清がううむと首をひねる。
吉清とも関わりが薄かっただけに、黒田如水の寝返りは期待していなかったが、いったい何を考えているというのか。
予想外の行動に一同が驚く中、豊後に領地を持つ大名、宇都宮国綱から火急の文が届けられた。
曰く、
『黒田如水殿より、関門海峡には毛利が罠を仕掛けているとの報せを受けた。関門を通るべきではない』
とのことだった。
玄界灘の戦いに勝利すると、木村軍は不足した物資を補うべく博多で補給を始めていた。
「財宝は置いていけ! 水と食料だけでいい!」
梶原景宗が声を張り上げるも、水夫たちは黄金色に輝く獲物を前に聞く耳を持とうとしない。
「まったく……。毛利や小早川の者を捕虜にしたのだから、これ以上奴隷はいらぬというのに……」
梶原景宗に補給を任せる傍ら、吉清たちは黒田如水からの密告について話し合っていた。
宇都宮国綱より届けられた文を片手に、曽根昌世がつぶやく。
「関門に罠を仕掛けているという話、まことであろうか……」
「一度薩摩に戻り、薩摩から土佐、紀伊に迂回するわけにはいかぬのですか?」
大道寺直英が尋ねると、藤堂高虎が否定した。
「バカな……関門を越えたら宇喜多殿の領地である備前で補給をするのだぞ……? 補給なしで紀伊水道まで迂回するというのは……」
理論上、景宗船は遠洋航海のできる船ではある。外洋の荒波にも負けず、食料を備蓄できるだけの収納容量もあるのだが、今回は5万もの軍を率いているのだ。
当然、消費する食料や水はバカにならず、そのために航路上である鹿児島、佐賀、倉敷で補給の手はずを整え、万全の状態で大坂に入る予定だったのだ。
だが、毛利が関門海峡に罠を仕掛けており、瀬戸内海を通れないのであれば話は変わってくる。
話合いが行き詰まる中、前野忠康が吉清の顔を伺った。
「殿、いかがなさいますか?」
「……まず、如水殿の話がまことの物である保証はない。もしかすると、我らに寝返ったという話そのものが罠なのやも……」
吉清の言葉に皆が押し黙った。
黒田如水は秀吉の天下取りに大きく貢献した男であるが、それと同時にその能力の高さを警戒された者でもある。
果たして、黒田如水の言葉を素直に信用してもいいものか……。
「……では、こういうのはいかがでしょう。関門海峡には先遣隊を派遣し、無事に通航できたことを確認したのち、本隊が通過する」
藤堂高虎の提案に皆が頷いた。
これなら関門海峡に仕掛けられた罠の有無を確認できる上、黒田如水寝返りの真偽を明らかにできる。
「……だが、誰が先遣隊を務めるのじゃ? これが罠であった場合、先遣隊は死にに行くに等しい。……そのようなことを引き受ける者などおるまいて」
吉清の言葉に皆が押し黙った。
そんな中、家臣の一人が立ち上がった。
「それがしに行かせていただきたい」
「重政……」
松倉重政。ルソンで寺社の代官を務めている男で、今回の遠征では一軍を率いる将である。
「……よいのか?」
「木村様に拾って頂いたおかげで、今のそれがしはここにいるのです。今こそ、木村様に恩を返すまたとない好機! どうか、それがしにお役目を……」
松倉重政の覚悟を前に、吉清の目頭が熱くなった。
「……わかった。その代わり、お主の息子は重用すると約束しよう」
先遣隊の大将が決まったとはいえ、末端を支える水夫も必要となる。
木村水軍の水夫は先の戦いで数を減らし、軍を搭載した輸送船の方にも人員を割かなければならない。
罠か見極めるためとはいえ、こんなところでいたずらに兵を消耗させたくない。
皆が考え込む中、梶原景宗が様子を伺うように陣をくぐった。
吉清が梶原景宗に視線を移す。
「景宗、いかがした」
「はっ、博多での補給があらかた済みましたので、その報告を」
「そうか」
「……して、毛利・小早川水軍の捕虜を捕まえたのですが、いかがしましょう。奴隷として連れて行くことなどできませぬし、売り払おうにも商人が逃げ出してしまったのでは……」
困った様子の梶原景宗に、吉清と木村家臣たちが顔を見合わせるのだった。
翌日。
木村水軍の船で損傷の激しいものを先遣隊の船に選び、本隊は毛利の目を欺くべく船を沖合に停泊させた。
「ここまでやって何もないとわかれば、我らはただいたずらに時を無駄にしただけとなるが……」
何もなければすぐに引き返してそのことを伝えるというが、果たして……
先遣隊を送り出した次の日。
夜が明けても先遣隊が戻らなかったため、関門海峡には罠が敷いてあると判断された。
「これで瀬戸内に入ることは難しくなったか……」
瀬戸内を通れないのであれば、補給計画そのものを見直さなくてはならなくなる。
「もっとも安全な航路というと、再び薩摩に戻り、外海から紀伊水道に入る道だが……」
「お、お待ちください。もしも紀伊水道から大坂に入らねばならなくなった場合は、我らはどこで補給を受ければよいのですか。
宇喜多殿にはあらかじめ補給のことで話を通しておりますが、外海から向かうとなると……」
大道寺直英の言い分ももっともであった。
食料は最悪節約するとしても、水はどうにもならない。
家臣たちが頭を悩ます中、吉清が小姓の浅香庄次郎を呼びつけた。
「庄次郎、早馬を出せ」
「はっ、どこへ出せばよろしいでしょう」
「土佐の長宗我部盛親殿のところじゃ。寄港するやもしれぬゆえ、5万人分の水と食料……いや、水だけでも用意してもらいたいとな」
「はっ、お任せあれ!」
頭を下げると、庄次郎は足早に去っていった。
いずれにしても、大坂までの航路を変更しなければいけなくなったことは確かなのだ。
ならば、できるだけ早く軌道修正しなくては。
土佐の長宗我部盛親に連絡をするのと同時に、肥前の鍋島直茂、薩摩の島津義久に一度戻る旨を伝えるのだった。
明日の更新はお休みさせていただきます。
次回の更新は1/2です




