大戦の前触れ
三浦按針の尽力により、木村とやり合えるだけの船を揃えた。
毛利の協力を得て木村水軍を潰す策も立てた。
秀頼に孫を嫁がせ、豊臣家の外戚となることで諸大名への影響力も加賀征伐の頃と遜色ないほどに高まった。
木村征伐での敗戦から、徳川は再び木村と戦えるだけの力を得たのだった。
とはいえ、木村吉清とやり合うには、力はもちろん策も必要となる。
「先の木村征伐では、まんまと木村の本拠地である高山国まで攻めさせられるところでしたからな……」
難しい顔をする本多正信に、家康はニヤリと笑った。
「なればこそ、此度の戦は先の戦の意趣返しといこうぞ」
「……何をなさるおつもりで?」
「木村の手足をもぎ取るのよ」
木村と戦えるだけの戦力を揃えたとはいえ、木村家の本拠地である高山国に攻め込んでは、どうやっても勝ちの目は薄い。
だが、日ノ本で木村の同盟国に攻めかかれば、木村陣営の盟主である木村吉清を高山国から引き離し、本土での戦いに引きずり出すことができるだろう。
「しかし、どうなさるのです? 前田とは加賀征伐で一度やりあったため、再び開戦事由を作るのは無理がありましょう」
これには家康も頭を抱えていた。
宇喜多と細川は畿内からほど近く、前田ほど石高が多くないため、戦の後の恩賞にも困ってしまう。
「そうすると、残るは……」
奥州の地図を広げ、奥州最大の大名が居を構える地、会津を見て、家康はニヤリと口を歪ませるのだった。
慶長8年(1603年)6月。
蒲生秀行が若年で未熟であること。家中の統率が取れていないとして、会津72万石から宇都宮24万石への減転封の命令が下された。
突如として下された、石高が三分の一となる減転封の命令。
この理不尽な命令に従えるわけもなく、秀行は木村家や前田家の後押しもあって、家康の命令を拒否した。
これを口実に秀行に謀叛の意志があるものとみなし、慶長8年(1603年)8月、家康は諸大名に会津征伐の号令を発令した。
叛意がないのなら人質を出して上洛し、家康をはじめとする五大老に弁明せよと命じたが、秀行はこれを拒否した。
もはや蒲生と徳川の戦いが避けられないところにまでくると、上方ではハチの巣を突いたような騒ぎとなっていた。
「大変なことになったぞ」
「秀行殿は何と申している?」
「叛意は毛頭ないが、降りかかる火の粉は払うだけだと仰り、徹底抗戦の構えを見せております」
蒲生領である会津は、徳川方の勢力に囲まれた、いわば陸の孤島である。
北を最上と伊達に塞がれ、西は上杉、南は徳川領と隣接している。
唯一、中立を保っているのが東側に位置する相馬や岩城であるが、両家に大きな影響力を持つ佐竹が徳川にも木村にも傾いていない以上、不利な立場に立たされた蒲生の味方をするとは考えにくかった。
京や大坂に散らばった家臣たちを招集すると、吉清は緊急の評定を開いた。
「家康は会津征伐に15万もの兵を用意するとのことじゃ」
「なんと……」
「蒲生を完全に潰し、その上で奥州を平らげるつもりか」
「いや、潰し損ねた前田に再戦するのやも……」
口々に徳川の動きを予想する家臣たち。
いずれにせよ、木村軍の主力が遠く離れた地にいるのをいいことに、木村方の勢力を潰すつもりなのだろう。
吉清が家臣たちを見回した。
「儂は高山国に戻るぞ。兵を集め、再び大坂に戻ってくる。……清久、お主は石巻で兵を興し、奥州の軍を束ねておけ」
「はっ」
頭を下げる清久が顔を上げ、不敵に吉清を見上げた。
「……蒲生軍と合流を果たした暁には、関東へ攻め寄せても構いませんか?」
「好きにしろ」
「殿、ですが……」
口を挟んだ荒川政光に、吉清が声を張り上げた。
「この戦は単なる豊臣家中の派閥争いにあらず! 新たな天下人を決める、日ノ本を二分する大戦となろう。
その折に、いちいち儂に伺いを立てて機を逃しては、勝てるものも勝てなくなる」
「父上……!」
感極まった様子の清久をよそに、吉清が辺りを見渡した。
「隆信、隆秀、信貞。お主らは清久に従い、奥州軍を組織せよ」
「「「はっ!」」」
そうして南条隆信、四釜隆秀、小幡信貞を奥州組に決めると、今度は宗明に向き直った。
「宗明、お主は大坂で軍を興し、木村方に与する軍と合流せよ。
大坂には秀頼様がおわし、儂の率いる高山国軍と大坂軍の合流する場所でもある。何があっても徳川の手に奪われてはならぬぞ」
「はっ!」
大坂軍は宗明を総大将とし、荒川政光、真田信尹、御宿勘兵衛、中山照守をつけた。
高山国から軍を率いるべく、吉清が大坂を発つのと時を同じくして、上杉が前田に。毛利が山陽で隣接する宇喜多と九州の木村方の大名に宣戦布告をした。
こうして、豊臣政権を二分する戦い。のちに天下を二分すると言われた戦いが幕を開けたのだった。
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