木村陣営 前編
木村家の石高が700万石に高直しされると、諸大名に衝撃が走った。
700万石とは、織田信長の全盛期に匹敵する石高である。
信長でさえ桶狭間の戦いから20年かかったものを、木村吉清は石巻に着任してから僅か10年で成し遂げてしまったのだ。
今や日本一の大名となってしまった木村家には、大名たちからの挨拶がひっきりなしに訪れるようになっていた。
先ほどまで挨拶をしていた者を見送り、吉清は一人悦に浸る。
「フフフ、今では島津や佐竹まで当家に尻尾を振ってくるようになったか……」
どちらも鎌倉幕府以来の名門であり、50万石を越える大身の大名である。
そうした大名まで吉清に媚を売るとあっては、木村家の家格が上昇したことは嫌でも思い知るというものだ。
吉清が一人ニヤニヤしていると、小姓の浅香庄次郎が息を切らしてやってきた。
「たっ、大変にございます! 五大老の命により、大船制限令に変更が加わりました」
「なに!?」
「なんでも、石高による制限はそのままに、一大名が所有する船の上限を240隻までにするとのことにございます!」
つまり、木村家が700万石を有する大名になろうとも、所有できる船の上限は240隻が上限ということになる。
吉清の顔が曇った。
「ええい、また徳川の仕業か……」
240という数字には、覚えがあった。
240万石とは、徳川家の石高である。それだけで、この制度が家康によるものだとわかる。
「此度ばかりは、船を解体せねばならぬか……」
「いや、今こそ徳川と一戦を交える時である!」
家臣たちが口々に意見を出す中、荒川政光が尋ねた。
「殿、いかがなさいましょう」
「…………要するに、一大名あたり240隻を超えなければいいのだろう?」
書面をまとめると、吉清は諸大名に使いを出すのだった。
木村吉清から届けられた文を読み、真田昌幸が息子たちに向き直った。
「父上、木村様からいかな話を持ちかけられたのですか?」
「木村家の所有する船の一部を、当家の名義に変えて欲しいと言われたわ」
信幸が納得がいった様子で頷く。
「たしかに、それなら大船制限令からは外れますが……」
「その見返りに、木村殿は船の使用料として一隻あたり年100石を出してくれるとのことじゃ」
「おお、それは良い提案ではありませぬか! 海を持たぬ当家では、此度の法令で実害を被りませぬ。それどころか、利益が出るというのなら、むしろ得をします!」
鼻息を荒くする信繁に、昌幸は渋い顔をした。
「……その船を徳川との戦に使うのだとしてもか?」
「なっ……」
「それは、つまり……」
信幸の予想を肯定するように、昌幸が頷いた。
「徳川と完全に袂を分かち木村の側につけと誘われた、ということじゃ」
信幸と信繁が目を見開く。
「木村様は、此度の騒動を利用して、完全に自分の陣営を固めるつもりじゃな」
昌幸の言葉に、信幸の顔が曇っていく。
真田家に限らず、多くの大名家では徳川と木村のどちらが勝ってもいいよう、両者にいい顔をして保険をかけてきた。
吉清の提案とは、その保険を捨て完全に木村の側につけとの誘いであった。
徳川は武田の仇敵であり、幾度となく真田家を追い詰めてきた。心情的には、木村に味方をしたいところではある。
また、木村家の石高が700万石というのも大きい。
だが、昌幸は何度も徳川と鉾を交えてきただけに、徳川の恐ろしさは誰よりもよくわかっている。
木村吉清が一度は家康を破ったとはいえ、家康の野戦での采配が敗れたわけではない。
秀吉をも破った伝説的な野戦の腕前を持ってすれば、木村が敗れる恐れもある。
まったく保険をかけずに木村について良いものか……。
真田のみならず、多くの大名家が二の足を踏むのだった。
真田親子は説明もしてくれる上、書いていて楽しいですね。
また折りを見て登場させたいです。
現代でも日本の船会社の船であっても、パナマ船籍だったりリベリア船籍だったりします。
あれは税制上の問題で名義上外国船にしているだけで、中身はちゃんと日本の船です。(部員はほとんどが外国人ですが)
ただ、吉清の場合はそれを軍艦でやろうとしているので、それで戦争したらえらいことになるよね、という話です。




