前触れ
利家が没したことで、家康の専横を抑えられる者がいなくなった。
北政所が居を構えていた大坂城の西の丸を占領すると、大老による合議制を無視し、独断で諸大名に土地を配り始めたのだ。
「内府め……とうとう本性を現しよったな……」
毛利輝元が苦々しげに呟く。
他の大老とて、毛利輝元と同じ気持ちだった。
前田利家というタガが外れた今、家康を抑えられるものは何もない。
利家が没したことで前田家の当主に就いた前田利長では、対徳川の旗頭に掲げるには不足しているように見えた。
歴戦の猛者である家康と比べると、いかにも頼りない。
そんな大老や諸大名の視線に、当の利長が気づいていないはずもなかった。
偉大すぎる父。それと比べられる息子。
そして、天下の情勢は利長の成長を待ってはくれないほど劇的に変化している。
「……………………」
そうした中、いつしか利長の心に迷いが生まれていた。
最初から大老に任命されていた毛利や上杉とは違い、利長は利家の死によって繰り上げられたに過ぎない。
そのため、同じ大老の中でも、徳川はおろか毛利や上杉より若輩に見られていた。
(父上が没しただけで、こうも趨勢が変わるとはな……)
大老や諸大名の手のひら返しに内心苦々しいものを感じながら、利長はやりきれない思いを抱えるのだった。
利家の死から数ヶ月が過ぎると、利長は完全に政権の蚊帳の外に置かれてしまった。
そんな折、前田家の屋敷に家康が訪ねてきた。
「……何の用じゃ」
無理やり上がり込むと、家康は挨拶もそこそこに本題を切り出した。
「ここ最近、利長殿はひどくお疲れのご様子……。老婆心ながら、ここはひとつ、一度領国に戻り、身体を休めた方がよろしいかと……」
まったく、何を言い出すかと思えば……。
利長は鼻で笑った。
「…………儂とて大老の一角じゃ。みだりに上方を離れれば、困る者も多かろう。それに、儂が離れれば徳川を抑える者が一人消える。……それでは己が利するだけであろう、内府よ」
利長の言い分に、家康が一理あるといった様子で頷いた。
「しかし……困るといっても、それは貴殿を政局から遠ざけた毛利や上杉の話……。それならいっそ、困らせてやればよろしい」
「……なに?」
「毛利も上杉も、儂を抑えるためと理由をつけて、己の勢力を伸ばそうと躍起になっておる」
家康の言には利長も心当たりがあった。
利長が考え込むのを見て、家康が続ける。
「まったく……利家公がご存命の時には、前田の威を借り威張っていたものが、今では見向きもせなんだ。……そのような者のために、利長殿が気を使ってやる必要もありますまい」
眉間にシワを寄せて考える利長を見て、家康がトドメの言葉を口にした。
「ここはひとつ、毛利や上杉を困らせてやりましょう。……なあに、決して悪いようにはいたしませぬ」
「……………………」
結局、利長は家康の進言を聞き入れることにしたのだった。
供を連れて加賀へ向かう道中、家臣の一人が遠慮がちに尋ねてきた。
「しかし、良かったのですか? 国元に戻っても……」
「なあに、誰も儂の力などあてにしてはおらぬ。徳川はおろか、今まで協力してきた毛利や上杉まで眼中にない有り様じゃ。ここはひとつ、金沢で羽を伸ばそうではないか」
家康の言葉を真に受けた利長は、金沢へと帰国するのだった。
利長が加賀に戻ったと聞き、家康はすぐ様行動を起こした。
長束正家、浅野長政が自身の暗殺を企てたと言いがかりをつけ、その黒幕が前田利長であると喧伝した。
そうして、家康は諸大名に加賀征伐の号令をかけたのだった。
真田信尹から加賀征伐の報せを聞き、吉清は驚愕した。
「加賀征伐じゃと!? 会津征伐でなくてか!?」
「はっ、長束正家様、浅野長政様が徳川様の暗殺を企て、その黒幕が前田様とふれ回っているようにございます」
「そんなばかな……」
もとより、備えはしていたのだ。
吉清が歴史を変えたことで会津征伐がなくなるのか越後征伐となるのか定かでなく、ましてや関ヶ原の戦いが起こるのかもわからない中、いつでも動かせる軍をあちこちに置いておいたのだ。
不測の事態に備えはしていたが、加賀征伐が起こるとは考えたこともなかった。
しかし、考えてみれば順当な流れかもしれない。
元々前田は対徳川の急先鋒的な立ち位置にいた。
その前田が代替わりして弱体化している隙に潰すというのは理に適っており、都合よく利長が金沢に帰国していたと聞く。
千載一遇の好機。それを見逃す家康ではないだろう。
「殿、いかがなさいますか」
「……当家と親戚関係にある前田の窮地じゃ。動かぬわけにはいかぬだろう」
さっそく、吉清は各地に展開していた軍に指示を送るのだった。




