清久の奮闘
樺太中部に築かれた町──樺中の代官として、吉清の従兄弟である木村宗明は政務に励んでいた。
吉清や重茲に比べれば出世は遅れるものの、前田利長の小姓だった頃に比べれば、任せられる仕事も俸禄も見違えるほど増加していた。
町の譜割りを進める傍ら、「ふぅ」と汗を拭った。
「夏は涼しいゆえ、過ごしやすくて助かるな」
夏は涼しく、冬は死ぬほど寒い。
温暖な畿内育ちの宗明には、耐え難い寒さであった。
「早く畿内へ戻りたいものだ……。いや、せめて冬だけでも帰りたいものだ……」
そう独りごちて、宗明は職務に戻るのだった。
突然の清久の懇願に、吉清は耳を疑った。
「駒殿を妻に迎えたいじゃと!?」
清久が頭を下げた。
「もう前田家と話を進めているのじゃぞ!? 今さら反故にするなど……」
「無理は承知しております。しかし、そこを曲げて、どうかお願いします!」
無理を承知なら最初から無理を言うな。
清久の懇願に、吉清は思い直すように説得するのだった。
吉清の説得が難しいと感じた清久は、協力を求めるべく家康の元を訪ねていた。
清久から話を聞き、家康は「ふむ」と顎に手を当てた。
「最上殿の娘を妻に迎えたいゆえ、姫の助命嘆願に加え、木村殿、最上殿、前田殿の説得を手伝って欲しい、か……」
秀次事件では秀忠、振姫の助命に奔走しており、思ったほど影響力を増せずにいた。
また、木村家が徳川家ではなく前田家との婚儀を決めたのも、豊臣家中における派閥争いに遅れを取る結果となった。
木村家は奥州において徳川、前田に匹敵する影響力を持っており、与力大名たちへの影響は強く、北奥州の新たな盟主として君臨しているのだという。
それに対し、最上義光とは古くから個人的な付き合いのある友人であり、両家は長らく同盟関係にあった。
信長亡き後、秀吉が台頭した際も、家康が上洛を勧めたことで義光は小田原征伐に参陣し、本領安堵を勝ち取ることができた。
その徳川派閥の一員である最上義光の娘と木村清久の婚姻が成れば、清久をこちら側に引き込むことができる。
これまでの失点を挽回する、まさに起死回生の一手であった。
棚からぼた餅。降って湧いた好機に、家康がニッコリと笑った。
「清久殿のお気持ち、ようわかり申した……。この家康、清久殿のために骨を惜しみませぬぞ」
「かたじけのうございます!」
百戦錬磨の家康が味方についたことで、清久の中で確かな希望が芽生えるのだった。
まずは吉清を説得するべく、清久は家康を伴って木村屋敷に戻った。
「まさか、徳川様を連れてくるとは……」
おののく吉清に、清久は再び頭を下げた。
「父上、お願いします。駒殿を嫁に迎えさせてください!」
「しかし、既に前田家と婚儀を結ぶ運びとなっておる。それを覆すというのは、筋が通らぬだろう」
吉清のもっともな言い分に、家康が頷いた。
「木村殿の仰る通り、先に婚儀の約束をしたのは前田家じゃ。それを反故するとあっては、前田殿の面目も潰れてしまおう」
吉清が頷いた。
吉清が危惧していたのは、まさにそれである。
吉清も親であり、できる事なら清久の意思を尊重してあげたい。
だが、ことがことだけに、手放しで頷くことも出来ないでいた。
この時代の婚姻は、事実上の同盟関係の構築である。
前田家にしてみれば、格下の木村に婚姻を反故にされたばかりか、田舎大名である最上に横から掻っ攫われる形となる。
前田から恨みを買ったところで、得られる物が最上の血と家康の後ろ盾だけでは、あまりに旨味が少ない。
「……そこで、埋め合せとして分家を興し、前田家からはそちらへ嫁がせてはいかがか?」
「分家か……。しかし、清久には兄弟がおらぬ。そう都合よく分家を興すなど……」
そこまで考えて、ふと吉清は思い当たった。
そういえば、樺太に出向させている従兄弟が居たな。歳も清久と変わらなかったはずだ、と。
吉清は樺太へ出向させていた、従兄弟の木村宗明を呼び戻すことにした。
久しぶりに畿内に戻れたことで浮足立つ宗明が、吉清の前に頭を下げた。
挨拶もそこそこに、吉清はさっそく本題に入った。
「お主を呼び戻したのは他でもない。お主を養子とし、新たに分家を興そうと思うての……」
「はっ!?」
降って湧いた話に、理解が追いつかない。
養子? 分家?
「ついては、前田利長殿の娘を、お主に嫁がせたいと思うておる」
「ま、前田様の娘をそれがしに!?」
前田といえば、宗明のかつての主である。
「まあ、お主はかつて利長殿のところで小姓をしていたのだからな。……前田家のウケもよかろう」
「ははっ、此度の大任、お受けいたします! 殿……いえ、義父上!」
宗明が感無量といった様子で頭を伏した。
宗明には明かさなかったが、前田が婚約を破棄された上、分家との婚儀に甘んじるとは思えない。
それでも、清久の望みを叶えつつ、一縷の望みがあるのなら掴みに行ってみようと思ったのだ。
(どんな形であれ前田との繋がりが残るのなら、それだけで儲けものよ……)
吉清の説得に成功したことで、清久は内心ガッツポーズをした。
やはり家康を味方に引き入れたのは間違いではなかった。
残るは、前田利家と最上義光の説得、そして駒姫の助命を秀吉に認めさせることだ。
いずれも一筋縄ではいかないが、家康が味方についてくれたことに頼もしさを感じるのだった。




