婚約破棄されました
私モリッシュ・ペートンです。兄が一人います。ペートン家は伯爵位を賜っています。特に秀でた産業もない領地ですが、ペートン家は代々生真面目で堅実な領地経営をしています。一言で言って私も含めて家族皆地味です。
そんな私は、今まで公爵子息と婚約をしておりました。今までと言った通り、つい三日前に婚約破棄をされました。お相手の方は、サミエル・コールマス公爵子息でした。顔よし、性格よし、家柄よしの三拍子そろった方でしたので、それはそれは社交界ではモテておりました。
そんな方と婚約をしていたのです。巷では、社交界の七不思議の1つとされておりました。後の6つは知りませんが。
三日前の事です。
「モリッシュ、申し訳ない。婚約破棄をしてほしい」
話があるというので家で待っておりましたところ、婚約者であるサミエルがやってきて突然言われました。ただこうなることは、薄々感じておりました。なぜなら最近のサミエルは、アミエ・ナダタル侯爵令嬢と仲がいいという噂が立っていたのです。あまり社交性のない私にも、ありとあらゆるところから聞きたくもないのに情報が入ってきました。
我が家は伯爵家。しかも伯爵位といっても貴族のなかでも末端の方に位置しています。公爵家に逆らえるわけがありません。今まで婚約していたことでさえ奇跡なのです。
「承りました」
私はそう言うしかありませんでした。たぶん顔が歪んでいたに違いありません。元婚約者のサミエルは、そんな私の顔をもう一秒でも見たくないとばかりにそそくさと帰っていきました。
「モリッシュ、大丈夫かい? 少し領地に帰っていようか」
「はい。お兄様、ご心配おかけします」
兄のマーカムが慰めてくれます。家族の合意の元、私はその日のうちに、王都にある屋敷から片田舎の伯爵領に帰ってきました。王都から比較的近いので、一日で帰ることが出来ます。
王都から離れましたが、私の気持ちは暗く沈んでいました。三日間泣き通しでした。サミエルは、私にとって絵本に出てくるような素敵な王子さまでした。そんな彼に私は恋をしていたのです。
婚約をしたのは、私が10歳の時。彼が13歳でした。どこかのお茶会で私を見初めたそうで、彼はとても優しく接してくれました。ただ楽しかったのは、1年でした。たぶん私と接して見て、現実に気が付いたのでしょう。
彼は、私といるとだんだん笑顔が少なくなってきました。彼が社交界にデビューすると余計疎遠になりました。はじめこそ私を見るとにこやかに微笑んでくれたお顔が、近ごろでは彼の笑顔を見たことがありませんでした。
私も今年社交界デビューをしましたが、お相手をしてくださったのはエスコートした時だけで、彼には初めてのダンスの相手もしてもらえませんでした。彼はずっと、アミエ侯爵令嬢といたのです。彼はアミエ嬢と楽しく語り合い踊っていました。私には兄が付いていてくれましたが、周りの好奇の目を痛いほど感じました。逃げ帰るようにその場から離れたことを今でも思い出します。それからすぐのことでした。婚約破棄となったのは。
「おいしいかい? モリー、いっぱいあるからね」
「ありがとう。エド。このクッキーとってもおいしいわ」
エドは私の幼馴染です。名前は、エドワルド・ウィシュカム。我がペートン伯爵領の隣にあるウィシュカム子爵領のご子息です。彼は私が落ち込んでいると、いつもこうしてお菓子をお土産にやってきてくれます。婚約してからもサミエルの事もあり、心配してよくお菓子を届けてくれていました。
「最近調子はどうだい?」
「ええ、元気よ」
あれっ? さっきまで悲しみに沈んでいたはずが、今は元気です。エドは、私の婚約破棄を聞いたのでしょう。わざわざ我が領までやってきてくれたのです。小さい頃から私の大好物だったクッキーを持って。エドの子爵領は、国内有数の小麦の産地です。今ではその小麦を使った製品を、王都にいろいろ出しています。今日持ってきてくれたクッキーは、私が小さい頃から食べていますが、今では大人気でなかなか買えないほどの人気商品なんです。
「モリー、それを食べ終わったら、前のように馬を走らせないかい?」
「いいわね~。行きたいわ」
急に元気になった私は、エドの言葉に賛成しました。私は馬に乗るのが大好きです。小さい頃からよく乗っていました。でもサミエルと婚約をしてからは、マナーやお勉強で忙しくて馬に乗ることができなくなりました。ずっと王都にいてなかなか領地に帰ることができなかったのです。
「気持ちいいわ~」
私はあの後すぐに着替えて、馬に乗って昔よく行っていた、うちとエドの領地との境にある丘まで馬を走らせてきました。久しぶりなのにちゃんと馬に乗ることが出来ました。エドに手を引かれて、馬をおります。エドの馬と私の馬も幼馴染で、二頭仲良く並んで近くの湖に水を飲みに行きました。
「モリー、彼の事は忘れられそう?」
エドが私に心配そうに聞いてきました。エドのやわらかそうな金色の髪が、太陽の光を浴びてきらきら輝いています。エドは私よりひとつ年上です。彼も社交界にデビューすると、多くのファンが出来ました。彼もサミエルのように整った顔立ちをしています。子爵位という貴族にしては低い身分にもかかわらず、その爽やかな顔立ちとスマートな態度から、多くの女性を引き付けているのです。しかも彼にはまだ婚約者もいないのです。だから余計女性の視線を釘づけにするのかもしれません。
「うん。さっきまで悲しかったはずなのに、今は全然平気。自分でも不思議なぐらい元気なの。びっくりね」
馬に乗ったせいでしょうか。それとも三日間泣いて、涙が枯れ果てたのでしょうか。もうサミエルの事は何ともないようです。本当に彼を好きだったのでしょうか。彼を好きだった気持ちは、涙とともにどこかに流れて消えてしまったようです。
「モリー。これ覚えている?」
そういってエドが差し出してきたのは、一つのイヤリングでした。彼の瞳と同じ青い小さな石がついたイヤリング。
「あっ、これって。うん、覚えてる。もしかして前に私が付けていたもの?」
「そうだよ」
エドから受け取ったイヤリングは、確かに少しだけ年季が入っています。これは、私が婚約をする一年前に、エドが私の誕生日にくれたものです。そのイヤリングの片方は、今彼が自分の耳に着けています。
「モリー。またこれ着けてくれる?」
「いいの?」
「モリーのだから。モリーに着けてほしい」
エドが私の誕生日にくれた時は9歳でした。
「これ、僕とお揃いだよ」
そう言って渡してくれたのを思い出しました。ふたりお揃いが出来てうれしくて、いつまでもお互いの耳を見合っていたものです。でも私が婚約をした後、エドが言ってきました。
「モリー、このイヤリング返して」
「いや。どうして返さないといけないの?」
私は、せっかくお揃いになったイヤリングを返したくなかったので、さんざん駄々をこねました。これはエドとの大切な思い出の品です。たとえこれから身に着けられなくても、大切に手元に置いておきたかったのです。でもいつもなら優しいエドが、この時ばかりは私の言うことを聞いてくれませんでした。
「これは、もうモリーは着けてはいけないものなんだよ。モリーは婚約したんだから」
私はエドのその言葉を聞いて、泣きながら自分でイヤリングを外して彼に渡しました。今まで忘れていました。
どうしてこんな大事なこと、今まで忘れていたのでしょう。不思議です。