スターティング 後編
衝撃に見舞われ地面に横たわっていたユリアは足を見た。三対の足だ。
「ここを頼んだ。一掃してくる」
そう言い残し、もっとも大きな足が去った。
「やりすぎるなよゼロワン、回線が寸断されると面倒だ」
もう一つの足が、ユリアの使っていた端末の方へ向かった。
「大丈夫ですか?」
もう一つの足は普通の足だった。他の二つと違い、ものものしくない、普段着を着た足だった。
抱え起こされるユリアが見たのは、少し癖のある長い毛を持ちわずかばかり薄い髭を蓄えた、丸眼鏡の男の顔だった。
「はじめまして、プロフェッサー・ユリア=ハインリヒ=トーレン。自分は特殊国際任務機構のアレクサンダー=ウォーカー=フランクル。アレックスで結構ですよ」
アレックスは自己紹介しながら、端末の男の方へ向かっていく。
「こちらゼロスリー。そっちはどうだ、ゼロツー」
ゼロスリーと名乗る男が通信している。使い物にならないはずの端末でだ。
よく見れば、男の側頭部の装置から伸びたコードを端末へつないでいる。
「キベルネクト……!」
ユリアは驚いた。キベルネクトとは実現困難とされていた意思による機械の操作を可能とする想念技術なのである。男が使っている装置はそれで間違いないのだ。
「人間が実用するにはまだまだのシロモノですがね」
アレックスは少し苦い顔をした。
「あなた達は、いったい?」
さきほどまでいたファントムは、去った大男によって、文字通り一掃されているようだった。
「我々は何者でもない」
ゼロスリーの冷ややかな返答が返ってきた。
端末の画面を見てみると一人の人物が映っている。手で画面を動かしているらしく、画面が揺れていた。
画面に映るゼロツーという者の周囲では、夥しい数のファントムの体が転がっている。その奥に、呆気にとられるクルミとフヂナ。
「ゼロツーだ。ここまでで34体だな。追跡できているか?」
「安心しろ、追えている。デカイのがまだ一体残っているな。場所はC区画だ。位置を送るぞ」
「ここは……生存者がいる場所だな? 大丈夫、ゼロフォーがいま向かった」
アレックスがユリアに画面を見るように促す。この場所に仲間がいると伝えているのだ。
「間に合わない……」
ユリアは表示されている画面から、その区画がかなり離れていることを知った。
どんどん逃げているうちに、奥深くまで行ってしまっていたのだろう。入り組んだこの施設では、それなりに時間がかかってしまう。
「いえ、問題ないですよ……ここか。ゼロスリー、監視カメラの映像出してみろ」
アレックスが手際よく接続を変えると、ゼロスリーもそれに従って映像を切り替えた。
「『ミリオン』!」
画面には、地面にしりもちをついたヨモギが映っていた。白いプロテクターを身に纏ったヨモギは、今は戦士だ。
カメラが動いて、周りにいるファントムの群れを照らし出す。
絶望にも似た恐怖をユリアが感じたとき、ファントムの群れが飛散した。まるで爆発したかのように肉片がこぼれる。
風を切る音とともに赤い閃光が画面を横切っていた。その根元を追うと、なにか黒い影が赤い鞭を操っていたことがわかった。
それは、カメラに残らないほどの速度で動いていたのである。
「ゼロフォー、そこにいるぞ。間違いない、ネオロイドもどきだ」
アレックスが話しかけると、ゼロフォーは鞭を腰に仕舞い、背中にかけていたなにか巨大なものを手にした。
「嘘……」
ゼロフォーの後ろの、巨大な暗闇が動いた。
醜い肉塊。青白い巨体。アンバランスな四肢。かつて嘉島杉光なる者が目指した怪物に似ている。現在ではかつて嘉島のそれをネオロイドと呼んだ。
しかし、ユリアが信じられなかったのはそのネオロイドまがいではない。ゼロフォーの手にした武器だ。
「アーム、ランサー……」
ユリアの呟きに、アレックスがまたも苦笑いで答える。
「旧式だがね」
アレックスは知らなかった。ユリアがその武器を知っている意味を。その武器に対して抱いた期待の意味を。
ゼロフォーがアームランサーを振ると、先端がずれて、断面から赤い光が噴出した。
ネオロイドもどきが咆哮し、駆けたとき、赤い光は黒い刃と化してゼロフォーの手の内で収斂した。
「し……ん……いきて……」
アレックスはなぜユリアが泣いているのかわからなかった。
ユリアは確信していたのだ。それが彼であることを。
動きが、佇まいが、構えが、ユリアが追い求めて、そして払いのけようとしていた記憶そのものであることを語っていた。
いままでのすべては序章だったのかもしれない。
長い、あまりにも長い序章。終わったと、次が始まったと思っていたこれまでのことは、まだ始まりですらなかったのかもしれない。
・ ・ ・
漆黒のアームランサーが一撃でネオロイドもどきを粉砕して、同じく漆黒の鎧を纏った騎士が地に降り立つ。二本の、尾のようなものをたなびかせながら。
ヨモギは驚嘆し、同時に恐怖していた。目の前にいる男は無感動で、無機質だったからだ。
ネオロイドやファントムとも違う、もっと異質な存在だ。
しかし妙にも思っていた。
なにかが懐かしい。自分が求めていた誰かを思わせる。
ヨモギの頭の中を、紫の花が揺らめいた。
男は、顔を思わせる部品が何一つついていないヘルメットをヨモギに向けると静かに近づき、手を差し出してきた。
だが、恐怖で動けないヨモギを見ると、どこか納得し、また、思いついたかのようにヘルメットの横に手をやる。
「あ……」
硬質な物が擦れる音がしてヘルメットが口を開こうとする。
ヨモギの目に自然と涙が浮かんできた。
吐き出された顔は視界が歪んでよく見えない。
似ているようで似ていない。だが、そっくりだ。いや、まったく同じだ。
見えないのに、はっきりと見える。わかる。
「大丈夫か?」
無機質で冷たいその声を聞いて、ヨモギの心がぬくもりで満ちた。
「会いたかった! ずっと……!」
再び差し伸べられた手を借りずに、ヨモギは、自分の両の足で、あのときよりもずっと冷たく、硬くなってしまった男の体へと、力いっぱいに飛び込んでいった。