後編
コーヒー牛乳のパックに刺さるストーローを咥えたままの大柴先輩は、ゴクリと喉を鳴らしたと同時に脚を止めた。丁度、 楓の枝が頭上に差し掛かる頃である。
「理穂、今、聞こえなかった?」
先輩の声が震えている。
先輩と腕を組んでいた私は、彼女に引き留めらえる格好となり、仰け反りながら長身の先輩を見上げる。
私が手に持った小さなライトの光が、先輩の顔を下から照らしてしまい、不気味に青白く浮かび上がる。
「キャーっ!」
その顔に思わず、奇声を上げる私。
下から光を当てた私も悪いが、先輩の顔に正気が感じられなかったのも、一方的な言い分かもしれないが悪いと思う。
先輩は泳いだ目で、余計な言葉を繰り返す。
「今、聞こえたよね」
「えっ、何も聞こえませんでしたけど?」
でも、私には本当に何も聞こえなてはいなかった。
「空耳だったのかぁ?鈴の音が聞こえた気がしたんだけど」
そう言って、真面目な先輩はコーヒー牛乳のパックに刺さるストローに再度口を付ける。
「先輩、止めましょうって」
「だ、だ、大丈夫。大丈夫なはず、ず」
声が震えている。
「はずって・・・(何?)」
再び歩を進めようと、留まる先輩の手を渾身の力で引く私。この時、先輩は今まで虚勢を張っていたと知る。
そして、何処からともなく「チリン、チリン」と鈴の音が・・・。
「き、聞こえた。先輩聞こえちゃいましたぁ~」
「ど、どうしよう理穂」
「先輩、そ、それがいけないんですよ」
と先輩が手に持つコーヒー牛乳を半泣きでガン見。
「ちよっ、待って理穂。これコーヒー牛乳じゃないんだけど。色は似てるけど中身はカルアミルク。夜に皆での飲もうと内緒で持って来たアルコールなんだよ」
泣きが入る大柴先輩。
「あ~もう、見た目で寄ってきたんですよ。なんてことするんですか~」
見た目がパックも中身もコーヒー牛乳と同じじゃん。猫ってそんなに鼻が利の? それに、生きてないから匂いなんて関係ないかもしれないし。
先輩の短絡的思考にも愕然とする私。
「ごめん、理穂を怖がらそうってことになって、コーヒー牛乳を持つことになったんだけど、危ないからって中身は入れ替えたんだけど、もう、どうなってるんだろ」
「そんな、イベントいりませんよぉ~」
鈴の音は次第に大きく響いて来る。そして、雑草をワサワサと踏み分ける音が・・・。
「何、何、なんか来た~」
「にゃん」と、普段は可愛らしく聞こえる鳴き声でも、こんな時は不気味以外の何物でも無かったりする。
泣き声と共にこちらに向かって来る気配が次第に大きくなる。
「来たぁ、きたあー」
「あー、あー、ギャー」
取り乱す先輩は「ねこ、ねこ」と叫びながら腰を抜かす。本当に頼りにならない見掛け倒し。
むしろ私の方が落ち着いていると言っても過言じゃないかも。いや、五十歩百歩、目くそ鼻くそ、色んなくそってところ。
震える脚をつねって先輩を抱えるのが精一杯。重くてつぶれそう。
「チリン、チリン」
また鈴の音が鳴る。
おぼろげに黄金色光るものが、こちらに向かって来る。
鈴だ、きっとあの伝説の子猫の首輪に付けられていた鈴だあ~!
鈴の音は、次第に大きくなり耳にこだまの様に鳴り響く。
藪からいくつかの物体が姿を現した。
私は先輩を支えていた手を離しすと、二人でその場にしゃがみ込む格好に。
空いた手で耳を塞ぎ、思いっ切り両目を瞑る。そして、叫べる限りの声を恐怖にぶつける。
パニック!
・・・・・・空白の時間が過ぎる。
目を瞑る私の顔を照らす光が眩しい。私は、そこでパニックから解き放たれた。
耳を塞いでいた手を離し、その手で光を遮り恐る恐る目を開ける。
光の向こうに、ぼんやりと幾つもの顔が私前に現れた。一瞬ハッとするが、大丈夫。生きた人間であることは認識が出来た。
眩しそうする私から、光が少しずつ離れて行く。
幾つもの懐中電灯で私を照らしていたのは、順次肝試しをしていたはずの科学部の面々だった。
そこには、いつの間にか科学部員全員が集まっていた。
「理穂、大丈夫?」
仲の良い同学年の柚葉が、心配そうに私の顔を覗き込む。私は、思わず柚葉にしがみ付く。
元気を取り戻した大柴先輩は、コーヒー牛乳ならぬカルアミルクで恐怖で乾ききった口の中を潤している。
その姿がとっても頼りない。しかも、まだ飲むのか!って感じ。
大柴先輩もそんな私の目に気付いているのか、若干前かがみに小さくなっている。
一方、他の先輩達は、人の気も知らずに笑いやがっている。お腹を抱えて爆笑している先輩までいる。2年生の先輩達も3匹の子猫を抱いてニッタニタだ。
それで、すべてを理解した大柴先輩と私。すっかり皆に引っ掛かってしまったことを知る。
部長も笑いを堪えながら、手にしていた大きな袋から、恐れも知らずに皆にコーヒー牛乳を皆に配りだしている。
「ごめん、ごめん、学校の怪談なんてある訳無いってことを科学部として、皆に言いたかったのよ。
だから、その証明として、皆でこのコーヒー牛乳を此処で飲もうか。ちゃんと冷えてるから」
部長はそう言うが、そんなのは後付けの大義名分に決まっている。先輩には私を怖がらすためと言いって大柴先輩を乗せといて、その実は怖がりな先輩で楽しむつもりだったのだのに違いない。それは、先輩皆の顔が物語っている。
後で聞いた話だが、全ては大柴先輩を除く3年生での仕込みだったのだ。
3匹の猫は、2年生の先輩の家で飼っている猫で、その首輪に付いているのは、鈴でなくLEDライトであった。私が手にしたお守りの中身はまたたびが仕込まれていて、猫たちは私をめがけてまっしぐら。
ちょっと頭に来るけど良くで出来ている。
そこで怒ると言う手もあったんだけど、部長が配るコーヒー牛乳を拒否することは私には出来ない。何せ喉はからっから。この時、恐怖から解放された私はコーヒー牛乳がただの冷たい飲み物以外の何物でも無くなっていた。そんなことで、ここは大人になるしかあるまい。
「鈴の音まで仕込むから怖かったですよ~、もう、耳に響いちゃって」
私の言葉に、猫を抱く2年生の先輩は不思議そうな顔を向ける。
「鈴の音何て鳴らしてないと思うけど」
いやいや、それはないでしょ?
もしかして聞こえなかったってこと?
「ねえ、誰か鈴を鳴らしました?」
2年生の先輩の問いかけに誰も頷くものはいない。
「気のせいじゃない。鈴の代わりにLEDライトを使ったんだから。音はしないよ」
抱きかかえた子猫の首輪を見せそんなことを言うが、そう言えば、大柴先輩が先に鈴の音を聞いたはずだ。そう思い起こし、
「でも大柴先輩も聞きましたよね」
そう尋ねるも、
「私が聞こえたのは猫の泣き声だけど?」
期待の応えは返って来なかった。
「えっ、鈴の音じゃないんですか?」
「鈴の音って・・・ ・・・理穂、もう止めようよ」
大柴先輩は身震いしながら、疲れ切った顔でそう返して来る。
ほんと?ホントなの?この場で嘘を吐ける余裕が先輩にあるとは思えないし、そもそも嘘ついている様にも全く見えない。ってことは、私にだけ聞こえたってこと?
私にだけ?
私にだけ何かを・・・訴えているとか?そんなことないよね~。
私の頭は再び一杯一杯になり、眩暈がしそうになる。
そんな私の状況にはお構いなく、部長から私に最後の一個のコーヒー牛乳が渡される。
「お疲れ!」
「すいません」
やっと出した平静を装う、精一杯の小声。
と、丁度その時である。首筋に気候とは似合わない冷たい風と言うより空気が触れた。
皆の話し声が止まり、急に静寂が訪れる。
同時に、不気味に震える声が不幸にも私の耳に届いた。
「子猫にもお願い・・・」
小さな、おぼろげな声なのに、何故かハッキリと聞き取れてしまう。
「ごめん、もうないんだ」
部長がコーヒー牛乳を渡したのは私が最後。もう一個も残っていない。部長は反射的にその声にそう応えたが、直ぐに何かに気付き、手にしていた自分の分のコーヒー牛乳を地面に落としてしまった。
部長の手は小刻みに震えている。
声のした方向を皆が一斉に向く。誰もいないはずの楓の木の方を。
今度は私だけでは無い。皆が聞こえたのだった。
皆が聞こえて振り向いたのだ。
でも、そこには誰もいない。
何もなかった。
悪寒が走った。それは、多分全員が感じたと思う。そして、
「チリン」
鈴の音が、寂しそうに一度だけ響く。部長の言葉に返事をする様に。
「鈴の音?」
大柴先輩が無表情にそう口にした。
<おしまい>