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コーヒー牛乳  作者: ふーちゃん
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前編

 この春、私、岩橋理穂いわはしうりほは、高校生活は2年目を迎える。

 私が所属している科学部にも5人の新入生が入部し、卒業生が抜けた穴を十分に埋めてくれている。

 実は今、科学部では先輩として後輩たちに話すべきかどうか迷っていることがある。

 恐らく新入生達も噂では聞いたことがあると思うが、我が私立三毛女子高等学校の有名な都市伝説ならぬ学校の伝説があって、それは、その伝説に関係することなのである。

 この伝説、それ自体はちょっと悲しい話くらいで済ますことが出来るのだが、いつの日からかこの伝説が発展してしまい怪談話になってしまっているのだ。

 そして、更に我が科学部にはこの怪談話にガチでヤバい実話が存在している。

 普段、この実話を部室内で口にする者はいないし、無かったことの様になっている。だが、あれ以来、皆がある場所を避けていることは明白な事実である。

 そう、あれ以来だ。

 それは昨年夏、私が高校一年生だった時に、我が科学部の合宿中に起きた話である・・・。



 私たちの学校の創立は50年前の昭和40年に遡る。

 当時、手広く学習塾を経営していた先代理事長は、経営者側の問題で止む無く閉鎖に追い込まれていた某女子高を引き継ぐこととなったらしい。

 先代理事長は、それを機にただ引き継ぐのではなく、新たな女子高として認可を受けることに成功したのだった。

 元々大地主であった先代理事長は緩やかな丘の上の見晴らしの良いところに建てられており、その丘は麓まで先代理事長の保有する土地であった。経営していた学習塾の一つも、その丘にあり、先代理事長の自宅と斜面に並ぶように別棟で建てられていた。

 当時、先代理事長は、その丘の斜面を整地して学習塾の下側に引き継いだ高校の校舎を新しく建てることにした。現在ではこれは旧校舎にあたり、使用されてはいない。先代理事長は、この時自分の設立した高校として、学校名も新たに付けることにしたのだった。

 命名にあたっては、先代理事長は大の猫好きが大いに関係していると言われていて、彼の飼っていた猫たちの中の一匹である、お気に入りの三毛猫の子猫から来ていると言われている。

 そして、この子猫こそが今でも生徒達に語り継がれている伝説の根源なのである。


 高校設立前の当時、先代の理事長が飼っていた猫は、子猫から親猫まで合わせて全部で12匹。猫たちは、後に丘の斜面に建てられる旧校舎のさらに上にある、学習塾と併設された先代理事長の自宅で飼われていた。もちろん、その猫たちの中に、黄金色に光る鈴をつけた可愛いその三毛猫の子猫がいた。

 この子猫がちょっと変わった体質で、猫としては非常に珍しく、牛乳に対して極度のアレルギー反応を持っていたらしいのだ。

 先代理事長は他の猫たちにも増してこの子猫を大変可愛がっていたので、食には大変気を使い、アレルギーのある牛乳はもちろんのこと、乳製品を与えない様に細心の注意を払っていたとのことである。

 もちろん、子猫も一度大変な目にあってからは、他の猫たちが牛乳を口にしていても、見向きもしなかったらしかった。

 そんなある日のこと、理事長は他の猫たちに与える牛乳が切れていたので、自分が愛飲していた当時では珍しいコーヒー牛乳を与えたそうなのである。先代理事長は、他の猫たちにそれを与えていても、その子猫もコーヒー牛乳も牛乳なので、きっと寄り付きはしないだろう。先代理事長はそう思い込んで、いつものように同じ場所で別の食事を与えたらしいのだ。

 ところが、理事長が目を離したすきに他の猫たち混ざって、その子猫はコーヒー牛乳を飲み始めたのである。

 暫くして、それを見つけた理事長は慌ててその子猫を抱きかかえ阻止しようとしたが、容器の中のコーヒー牛乳はほぼ空の状態。相当量のコーヒーを飲んでしまったことが予想された。

 理事長は、動物病院に連れて行かなければ大変なことになると。慌てて車の手配をしたのだが、どうしたことか一向に子猫にはアレルギーの兆候は見られず、結局は動物病院にも行かず、何事も無く子猫は元気なままだったらしいのだ。

 それからと言うもの先代理事長は、他の猫たちに牛乳を与えている時は、その子猫にだけはコーヒー牛乳を与えるようになったのである。

 その子猫もコーヒー牛乳が大好物になり、毎日喜んで飲んでいたそうなのであった。


 自宅に併設されていた学習塾の一つは、そこは先代理事長の趣味と言うと語弊があるが、塾生との交流の場としていて、頻繁に広い庭に生徒達を集め、バーベキューやレクリェーションごとをしていたらしく、次第に塾生達は自由に庭に出入りするようになっていた。そして、生徒たちはそこで放し飼いになていた猫たちとも、仲良く遊ぶようになっていったのだった。

 理事長もそんな塾生たちと猫たちが仲良しになったことを嬉しく思い、塾生たちに猫たちのお世話の一部をお願いするようになって行った。塾生たちもまた、率先して猫たちの世話をするようになって行ったのである。

 そしてある日のこと、その日の当番であった塾生がお昼に猫たちに牛乳を与えようとしたのであったが、その子猫用のコーヒー牛乳の瓶を、誤って落としてしまったのだ。不幸にも瓶は割れてしまい、中身のコーヒー牛乳はたちまち地面に広がり、取り返しの付かない状態に吸収されてしまったのであった。

 そこで、その塾生は他の猫に与える牛乳を少しずつ減らし、先代理事長の家にあったインスタントコーヒーを無断拝借。応急の手製のコーヒー牛乳を作り、その子猫に飲ませたのであった。

 全ての猫たちに牛乳を与え終わりホッとして、猫たちの飲み干す姿を見守っていたところ、その子猫が急にアレルギーで発作を起こし、結局、その後それが元で亡くなってしまったのだった。

 その生徒は直後、コーヒー牛乳は、乳製品ではあるが、実は牛乳そのものが含まれていないと知ることとなった。

 全て自分の過失であることを知った生徒は、自分の無知を嘆き、せめて供養にと子猫にコーヒー牛乳を与えていた庭の奥の子猫のこの好んでいた場所、現在の旧校舎の庭にあたるところに、理事長と一緒に楓の木を植えたのであった。

 そして、毎月の命日に、生徒は楓の木にコーヒー牛乳を供えたとのことである。


 その2年後、我が私立三毛女子高が設立されたのだが、学校名は語るまでも無くその子猫が三毛猫だったことに由来すると言わざるを得ない。

 残念ながら、先代の理事長もその塾生も既に亡くなってしまい、今では真実は迷宮入り、伝説の域を脱しないのだが。

 ただ、その伝説にいつの日からか、その子猫が夜な夜な楓の木の周りで首に付けていた鈴の音を鳴らし、コーヒー牛乳を探しに出ると言う怪談話が付加され、我が校の怪談話となっていったのである。

 因みに、その楓の木は今も残っており、毎年夏になると子猫の目撃談の噂が絶えないのだ。


 先代の理事長が亡くなった後しばらくは、先代理事長の住まいは放置したままであったのだが、一昨年その住まいを解体され、その後に部活動の合宿施設を建設することに決まった。そして、私が高校1年生の昨年初夏にそれは完成したのである。因みに、旧校舎も来年には取り壊すことが決まっており、講堂が建てられることになっている。

 私の所属する理系女子の集まり、科学部も記念と言うことで、毎年行っている科学部には必要のない合宿を一泊二日で行うことになったのであった。


 昨年の夏もご多分に漏れず子猫の鳴き声を聞いたとか、彷徨う三毛猫の姿を見たと言う話は聞かされていた。我が科学部の先輩までも、科学的根拠を無しに子猫が首に付けている黄金色に光る鈴光ったのを見たと言う人も出る始末だった。

 一学期も終わり、夏休みに入って運動部の合宿が一通り終わったお盆過ぎである。我が科学部の合宿の順番が回って来た。

 夏休みのせいもあり、合宿での子猫の目撃談は直接は聞いてはいなかったが、先輩達は色々と噂していたので、それなりに、噂の根源はお出になっていたのだろうと、私も想像せざるを得なかった。

 合宿は文化部と言うこともあって和気あいあいと楽しく時は過ぎて行った。そして、夜を迎え夕食も済ませた午後8時である。言われるがまま合宿所の玄関前に集合。

 ホント、大半の部員が怖がっているくせに何の意味があってそんなことをしなきゃならないのか全く意味が分からないのだが、慣例に倣い肝試しは始まったのである。

 当時、一年生の私には意見も要望も言う資格もなく、後は先輩の指示に従うのみであった。


 肝試しは二人一組で、基本、先輩と後輩が組むことになっていた。その名目が親睦を図ることが目的だからだ。

 コースは取り壊しの決まった旧校舎の2階奥の教室に入り、予めそこに置いてある指令書に書かれた指令に従いつつ、校舎の外周を一回りして戻って来ると言うシンプルなもの。もちろん、その楓の木の直ぐ横を通らなければならないの。ただ一つくじ引きで決める”オプション”を覗いてはだけど。

 男子のいない我が私立三毛女子高のスターは、長身でショートカットの似合う3年の大柴瑠璃おおしばるり先輩だ。仕草が一々宝塚ばりに仕草が大きい。私は、皆に羨まれる中、その大柴先輩と組むこととなった。

 大柴先輩と私のオプションは運の悪いことに、よりによって例のコーヒー牛乳と何故かお守りで、それをコンビニで使用する白いビニール袋に入れて渡された。

 ただ、楓の木のところでコーヒー牛乳を飲めと言う指令はないのだが、旧校舎二階にある指令書には何が書かれているか分からない。それに、もし指令書が無難なものであっても、きっと空気を読む真面目な大柴先輩のことだから、間違いなく楓の木の下でこのコーヒー牛乳を飲むことだろうことは予測される。

 たぶん、お守りはその行動を想像してのものなのだろうと思うと、その思いやりに私の脚はフライング気味に震え出してしまっていた。

 大柴先輩と私の順番は全8組の中の3番目。5分置きに出発する順番は、直ぐに回って来た。

 心臓はドッキドキでも、唯一の救いは空気を読み過ぎる先輩ではあるが、頼りがいがあり、見るからに不確かなものを怖がりそうも無い科学的なことである。

 とにかく私は大柄な先輩に半身を隠し、前面に立たないことを心掛けることを心に決めた。そして、いよいよ肝試しはスタートを切ったのである。

 がくがくと震える膝を押して、私は先輩に半身を隠し一歩一歩前に進む。もちろん、人目が気にならなくなってからは、さらに先輩にしがみ付いていることは言うまでも無い。

 そんな私に対し、先輩は楽し気とも思わせる余裕を見せる。指令書のある旧校舎の2階にもあっという間に到着した。当然だが、ここまで何事も無い。

 先輩が指令書の入った箱の中から一枚を選び、予め与えられていた手元を照らすのがやっとな極小のライトで、二人で指令書に目を通す。

 指令書には、本当に抽選方式で選んだのかと思わせる内容が書かれていた。

 もちろん、「楓の木の前でコーヒー牛乳を飲み干せ」と。

 なんとなく抱いていた嫌な想像が当たってしまい愕然としてしまう私。絶対に空気を読む、この真面目な先輩がこの指令を守らない訳がない。

 そう思うと、思わず帰りたくなってしまったが、それでも救いは思ってた通り先輩が頼りになることと、楓の木から合宿所までは、木々や倉庫で合宿所は見えないまでも、その距離は直線で100メートルもない。足元を気にしないで小走りすれば30秒程度であること。少なくても私だって多少の空気は読むので、帰ると言う選択をチョイスすることは出来なかった。

 先輩と私は旧校舎から出てから、ルート通りに校舎をぐるりと回る。と、まもなくその楓の木が姿を現した。

 半球状に枝を広げる樹齢50年余りの楓の木。秋には真っ赤に染まるその姿を今は青々とその姿を映し出しているはずである。その時は暗くて見えないし、直視出来る心情では無かったが。

 ただ楓の木は、夜風に梢を揺らし、葉音を不気味に鳴らしていた。

 私は、恐怖に怯えながら、先輩にしがみ付き恐る恐る歩を進める。一方先輩はといえば、やはり私が腕に掛けていたオプション品のコーヒー牛乳が入っている袋に手を伸ばして来た。私は、もう一つのオプションであるお守りを手に握る。

「先輩、飲むのは、や、止めませんか?」

「いや、これはみんなで決めた決まりだから」

「皆じゃなくて一部の人で決めたんだと思たのですけど・・・」

「一応、異論が無かったから、皆で決めたと同じだろう。それに科学部の伝統だしね」

 やっぱり説得は無駄であった。

 先輩はそう言いながら、コーヒー牛乳のパックを取り出すとストローを刺す。そうなると、私に出来ることは、歩を早めることぐらいだ。

 それまでは、先輩の腕にしがみ付いていた腕を、今度は先輩を引っ張る様に前に進み出す。とは言っても、小さなライトが照らすのはホントの足元だけ。普段の歩くスピードよりは遅くなってしまう。それでも精一杯の速度で、先輩を引っ張り私は楓の木に近づいて行った。


 そして、楓の木の枝が頭上に差し掛かる頃である。

 ゴクリと喉を鳴らした、先輩が脚を止めたのだった。


「理穂、今、聞こえなかった?」


<つづく>


 


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