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七宝伝〜今起こったこと〜  作者: nyao
三章 ~意味~
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三十八話「晴れの夜に降る雨」




がたん、と。


今日に限って恭一にはいつも以上にその音が響いたように感じられた。だからなのか、他の理由があるのかは分からない。


「・・お兄ちゃん」


小さな、囁く程度であるはずの声が“例え拒絶しても”はっきりと耳に届く。


時は夕刻。夕食が終わり洗い物も済ませ、食後のお茶を飲んで一休み、と言った時間帯。それは同時に恭一が『散歩』へ行く時間帯でもあった。


戸に手を掛けたまではよかったものの手が、足までもまるで棒のように言う事を聞かず、恭一は動く事が出来ずにいた。

かと言って「何だ」と振り返る事も出来ない。ただでさえ訳を知らぬ叫び出したい衝動があるのに、振り返って、もしその顔を見てしまえば果たしてどうなるのか分からない。


胸中に渦巻くもの全てを無視するように、恭一は手を引いて――


「ねぇ・・?」


ただの一言に全ての力が抜ける。

だらりと垂れ下がった片手に然したる感慨を見せるわけでもなく、だが決して振り向く事だけはしない。


決して叫ばないように砕身を尽くして、やっと恭一は言葉を搾り出した。


「何だ」


「散歩、に行く・・だけだよね?」


「ああ」


「・・・・・うん。きっと、そうだよね?」


がたん、と。


椅子の音が響いたのに恭一はびくり、と震えた。振り向くまでもなく、耳を澄ませるまでもなく分かる事を――その全てを拒絶する。


とん、と軽い衝撃が背中に伝わった。


「ね、お兄ちゃん。もしわたしが・・・もしもわたしがね、行っちゃ―」


不意に、止まった言葉と共に背中に伝っていた柔らかな圧力も退いた。温もりが離れる。

振り返ろうとする衝動が、今までで最大の叫びを上げる何かを、恭一はその全てを“意図的に”無視する、しなければいけない。


「ごめん、何でもないから・・・・気に、しないで、お兄ちゃん」


気にしないでという言葉に隠しもせずに気にしてくれと、想いが溢れているのはどうしてかなど考えるまでもない事。

それでも恭一は言葉だけに従う。内心気付いているかも知れず、だが気付かないから。


「行ってくる」


言の端だけを言い残して、戸を開いて居間を出る。


「うん、行ってらっしゃい、お兄ちゃん」


そんな幻聴が、聞こえた。





◆ ◆ ◇ ◇ ◇





ぱたん、と。玄関の戸が閉まる音は本当に小さなものだった。


未だ胸の内に燻るようなものがある。

つい先ほどの萌の言葉の先を夢想し――否、拒絶。その繰り返しで、それが無駄な事だという思いも浮かばない。


僅かな感傷と共に吐息が漏れるがそれで気が軽くなったり巡る思考が止んだりと言う事はなかった。


「何だ、恭一」


「!」


真横からの声に咄嗟に逆に飛び退きながら構えを取る。そして相手の姿――和佐を認識するなり力を抜き、だがいつも通りにそれを排除するため殴りかかっていった。


「らしくねえなぁ、恭一。ため息なんかついたりして・・・悩みがあるなら俺が聞くぜ?」


余裕で拳をいなしながら飄々とした笑みを向けてくる和佐に、顔を背けるついでに諦める。もとより如何でもいい事だった。


「・・・・・」


最後に一睨みして、後は誰もいないが如くに恭一は道へと出て散歩を開始した。


「おいおい、恭一よぅ」


後ろからはやはり和佐がついてくる。

態々ドアの影、それも気配を殺しながら待伏せしていたのだ。何らかの思惑があってもおかしくはない。が、所詮は相手の都合。第一、恭一の意識の中では周りにはもう誰もいない事になっている。


「なんだか本当にらしくないぞ? マジで何か・・っと」


背後から伸びてきた手を振り払うではなく、自然と身が逸らされて結果、避ける。後ろ出は和佐が体勢を崩してこけそうになっていたりしたが心底どうでもいいので後、割愛。


「おーい、恭い・・・って、だからちょっと待てって、おい、無視するなよ」


歩いていても普段と変わる事はなく、惹かれるような薫りもまるでない。このままならさして時間が掛かる事もなく散歩は終わるだろう。尤も最近になってよく遭遇していただけであって十年来弱の間は今日のような日だけだったのだが。

どんな理由にせよ、急く気持ちが一層足取りを早くさせていた。


また少しだけ歩速が早くなる。


「・・・萌ちゃんか?」


ぴたりと、急いでいたはずの足取りがたったその一言で止まった。背後の存在が幻影などと言う思考はもう微塵もない。それほどにその一名は重かった。

僅かな時間、数秒が数分、数時間と延びていくように感じて時間の感覚がおかしくなる。


どれ程経ったのか。刹那、数秒、数分、数時間に数日・・までは流石にないがそれを切ったのは恭一の短い一言だった。


「ない」


一言で全てを断ち切って、歩みを再開する。だが数歩と後には歩けなかった。


「・・・・待てよ、おい」


此処に来て初めて、殺気の篭った言葉が恭一を貫く。

流石に殺意を無視できるほど恭一は間抜けではない。振り返って、和佐を睨み見た。

足を止めるためだけだったのだろう、殺気はもう鳴りを潜めていて、誘導に引っかかってしまった事に僅かに苛立ちが募る。


「何だ」


「今の言葉は本当・・・だろうな?」


瞳の奥から漏れるのは確かな意志の光。今はまだ敵意のないそれが恭一を真っ直ぐ捉える。

互いに逸らす事も逸らされる事も許さず許していない。だが僅かに眉を顰めて、今度は数秒と待たずに恭一は口を開いた。


「急ぐ。邪魔するな」


「お、おい恭一。まだ・・・」


背を向けて歩みを再開する。

僅かに殺意めいたものを感じたが今度は振り返らなかった。見せ掛けだけの殺意など、二番煎じに乗ってやる理由もない。


背後から微かに呆れたようなため息が、それから道路を踏む足音が届いた。

何気に一定距離を測りながら和佐がしっかりとついてくる。


「なあ、恭一。お前の事はこの際いいとしてよ、俺が今日来たのはついでに凪ちゃんからの伝言を教えるためだ。今日お前来られなかっただろ?」


そういえば行かなかったな、と今更ながらに思い出す。それは重要な事であったはずなのに、今の今まで思い出す事もしないほどの細事なのか。

聞くだけの価値は、僅かだが確かにあるようだった。


「何だ」


「別に、大した事じゃないさ。で、な。凪ちゃんが言うには兎に角感覚になれるしかないってさ。何十、何百と繰り返して身体に覚えさせる、だそうだぜ?」


「そうか」


「ああ」


あの時の感覚を思い出して思わず眉を顰める。だがあれを繰り返すだけで事が済むというのならこれほど簡単なものもない。道程がどれ程のものであれ、結果は既に決まっているという事なのだから。


「まあ、正しくは『何事にも基礎は反復する事だ。過程に近道はない。馴染ませる事が第一なのだ』って内容だったかな?

尤も凪ちゃんの性格と態度からして近道がないってよりも“あったとして近道を知らない”、だろうけどな」


何が可笑しかったのか、思い出し笑いのように後ろから押し殺した笑い声が耳に届く。

かなり耳障りではあるが敢えて黙らせる暇と比べると僅かに足りず、妥協として恭一は歩速を増す事にした。だが当然和佐も歩速を上げてくる。


「それと、だな。恭一、とりあえずはもう一通り盗んでおいたぞ。まあ、力加減の微調がまだどうにも上手くいかないんだけどな。で、だ、恭一」


呼びかけに応えるわけではなく、恭一は不穏な空気を己が感じるままに足を止めると振り返っていた。

振り返り見た先には片手を銃に見立てて掲げている和佐の姿が、


「ばんっ」


視認とほぼ同時に和佐が見かけだけの拳銃を発射する。


「っ!!」


瞬間、恭一は己の直感だけに従い身を捻っていた。

何が起きたわけでも起きるわけでもない。恭一は和佐の向けた指の射線上から身を逸らし、和佐は楽しそうに笑みを浮かべているだけ。


「どうだ、二日にしちゃ上出来だろ?」


恭一は応えず、ただ睨み続ける。


ああ、成る程。確かに和佐の指先からは直感が告げたような何かが出たのかもしれない。恭一の無意識が危険だ、と判断するような、不可視の何か。

だがそこは重要ではない。重要なのは危険と判断される行動を、目の前の相手が、恭一に行った、と言う事。


恭一が踏み出して目の前のそれを排除しようと足を踏み出しかけたところで、制止させるように和佐が片手を広げて掲げた。ついでに実に意地の悪い笑みを浮かべて。


「言い分を聞いてやらんでもないけどな、恭一。お前急いでたんじゃなかったのか?」


瞼の裏に、と言わず現実の視覚として佇む萌の姿がはっきりと夢想出来た。


眉を僅かに寄せて強く睨みつけてから、恭一は結局和佐に背を向けて再び散歩を始めた。相変わらず後ろからついてくる足音が届くが、今更気になるものでもない。確かに誰かの言うとおり恭一は急いでいて、またその誰かの所為で実に無駄な時間を喰ってしまったのだから。存在を気にする事すら無駄と感じてくる。


「んで、続きだけどさ。そもそも急いで盗んだのはお前の為でもあるんだぜ。あの様子じゃ明日といわず当分の間時間をとる事なんて無理だろ?」


やはり今夜は何事も起きないのか、歩く先はただの静かな夜でしかない。仄かに惹きつけ漂ってくる蜜のような空気は感じなかった。だからこそ、尚更足が早くなる。


「って、ああ俺の話はもう聞いてないのね。まあ初めから期待してないけどよ、たまには聞いてくれても罰は当たらんと思うわけだ、俺は」


早足――と言うよりも最早駆け足といえる速度まで上がっていたお陰でいつの間にか散歩は半分ほどの過程を終えていた。まあ、もとよりただの散歩ではそれほど時間を食うものでもない。


急く気が注意力を幾分か散漫にさせていたのだが、こんな日だからこそ杞憂に終わったというべきか。逆にこんな日だからこそ注意力を散漫にさせるまで急いていたというべきか。


駆け足、と言うよりも走る、に変わる。


「いや、もう聞いてもらうのは諦めたけどさ、それなら取り敢えず明日の夜から凪ちゃんの所で盗んだ事をお前に教えていくぞ。だからお前は何の呵責もなしに萌ちゃんの相手を・・・・って、段々むかついてきたな。ったく、羨ましい」


背後から届く気配が次第に湿った重たいものになっていくような気もするが、まだ許容範囲。撃退可能であるので引き続き無視。


「・・・・ん? ちょっと待てよ。お前は毎晩この時間外にいるんだから萌ちゃんは今家で一人だけ。当然寂しがってるだろうから・・・・ふむふむ」


突然に和佐の速度が上がると恭一を追い抜いていった。まるで一刻も早く家に着きたいといわんばかりに。

だが自分よりも早く、と言う事はつまり自分の思いよりも早く家に着きたいという事か。


脳裏に浮かんだのは家で二人、普段と変わらない様子の萌と実に楽しそうな和佐。我知らず、纏わりつく苛立ちに気付く事もなく、自然と恭一は足を速めていた。


前を走っていた和佐を抜いて先に出る。


「む?」


何を意地になったのか和佐も再び速度を上げて恭一を抜かそうとしてくるが恭一にしても二度も抜かれる気は更々なかったので、より速度を上げた。


「くっ、きょ・・恭一、お前何のつもりだっ」


「黙れ」


自分の口から漏れた声がいつもよりもかなり低いのにも今は気付かない。

走る二人はもう全速力といってもいいほどに速さを上げていた。流石に限界無しの全速力で走り続けると疲れて、互いの息も荒れていく。


「はぁはぁ・・・・くっ」


「・・ふん」


前触れもなく恭一が全速力からほぼ零距離で急停止。


「お、お、おぉ~?」


和佐は急に止まれないようで徐行でそのまま走っていった。


いつの間にかついていた家の前。半分近くを走った所為もあり結局時間にしてみれば今までで最短の散歩になってしまっていた。たとえ結果が如何であれ、今夜惹かれるものはなかったので何ら実害はないが。


一秒と経てずに息を整える。その時には既にどうして全速で走るような――“和佐に先に行かれたくないというような”――想いを感じたのかは朧のように霞んで消えていた。


急いだという雰囲気をまるで引き摺らず、玄関に手を掛けて、開いた。ちなみにこの間に和佐ももう恭一の後ろに戻って呼吸も整っていたりする。


ドアを開けた、瞬間。


「って、何でお前がいるんだよ!?」


後ろからの叫びは無視して、靴を脱いで家に上がる。

待っていたらしい萌はゆっくりと自然な微笑を浮かべて、一言。


「お疲れ様、お兄ちゃん」


「疲れてはいない」


恭一の返事に萌は僅かに苦笑。その浮かべた表情は普段と何も変わりがないような、家を出る間際の事が夢であったかのように自然なものだった。

元に戻った元凶、もとい原因へと僅かに視線を向けると彼女――舞もまた微笑を浮かべて、少し揺れる程度に頭を下げた。


「お邪魔しています、お兄さん」


「・・・・・ああ」


二人の間を通り過ぎて居間へと向かう。後ろからはいつものように萌がついてきた。そして“萌の後に”舞がついてくる。


「お兄ちゃん、お風呂湧いてるよ。入る、よね?」


「ああ」


掛けられた言葉に思い出して進路を変更、階段を上り二階へと向かう。


「って、全員俺の事は無視かよ、おいっ!!!」


「・・・・・・・・・・・和、迷子なら警察行きなさい。むしろ邪魔だから私の視界から今すぐ消えろ」


「ぁ・・・か、和ちゃん。えと、そのぉ・・・・お、お茶出すから上がってて・・!」


背中に聞こえる騒音を気にする事無く恭一は階段を上がり二階、そして自分の部屋へと向かう。

だが廊下を歩いている途中、急いで駆けつけてきたらしい慌しい足音に恭一は足を止めて、振り返った。


「何だ」


「・・・・お兄ちゃん」


駆け足で寄って来た萌は言うべきか言わざるべきか、迷っているようなそんな表情を刹那の間だけ浮かべて、すぐに意を決するように小さく息を吸込む。


その小さな唇が僅かに開いて、吐息が溢れる。


「お帰りなさい」


「・・・・・・・ああ、ただいま」


萌に背中を向け、恭一は今度こそ自分の部屋へと真っ直ぐ向かう。足音から萌が動き出す様子は見られなかったが後ろに振り向く事はなく、そして着替えを取り廊下に出たときにはもう萌の姿はそこにはなかった。

僅かに息を漏らし、着替えを手に恭一は階段を降っていった。下からは三人の会話が耳に届く。






七宝殿~居間で興っている事?~



惨状は「暖簾に触れたら?」



真衣:う~ん、萌さん、一体どうしたんでしょうね?


和佐:行き成り、どういう意味だ?


真衣:ええっと、だって恭一さんが散歩に行くのはいつもなのにどうして今日に限って…?


和佐:それはだな…


舞:お兄さんの様子が変なのよ


和佐:? 変って…いつもの恭一さん、だと思いますけど?


舞:ふっ、だからまだまだなのよ


和佐:……一体何がまだまだなんだよ


舞:ま、そこで馬鹿にしている塵は放って置くとして先に進めましょう


真衣:そうですね


和佐:おい、無視するなよ、それも二人そろって…!


舞:今日お兄さんに会った事といえば…何だった?


真衣:今日、ですか?


舞:そう、今日


真衣:えっと、ですね………ぁ、凪さんの訓練!!


舞:正解


真衣:でもそれが何か…


舞:萌ちゃんだもの、お兄さんの事ならどんなに微細だって気が付くわよ、私みたいに


真衣:はぁ……でも、恭一さん何処が変だったんですか?


舞:それはね、お兄さんちょっと気が張っていたみたい


真衣:そうなんですかぁ


舞:そうよ、本当に微細な事だけどね


和佐:……それに気が付くお前は何者だよ


舞:あら、改めて聞きたいの、私の事?


和佐:………いや、やっぱいいわ


舞:あ、そ、それは残念


真衣:駄目ですよ~ついでだからって洗脳しようなんて思っていては


舞:…そんな事は一度も思ってないわよ


和佐:をい、今の間は一体何の間だ?


舞:乙女の思考時間よ……それに中途半端な洗脳じゃ飼うのが面倒になるじゃない


和佐:何か気になる事言っていた気もするが…誰が乙女だって?


舞:私を置いて他に誰が…


真衣:わたしが乙女です、ついでに二人とも喧嘩ならもう少し後でお願いしますね


舞&和:……図々しい奴め


真衣:さて、今の発言をわたしは敢えて聴いていませんので、それではまた三十九話で~



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