間話「誰の為に鳴る鐘か」
「糞っ、あの餓鬼共・・・・・俺の食事の邪魔しやがって」
暗い呟きを漏らしながらその男は路地を歩いていた。路地、とは言っても人影もなく湿気も多い裏路地。少なくとも好んで人が来るような所ではなかった。
男は度々ここを使用していた。食事時は人がいない方がやりやすい。連れ込んだ獲物は最初だけ五月蝿いのだ。生きが良い、と言い換えてもいい。
だがその日は違っていた。別に獲物を捕らえているわけではない。かといって腹が減っていないわけでもなかった。
この身体になってから一度も食事はしていない。
以前はあれ程愉しみだった狩すら、止めた。
頭にあるのは忌わしい少年と少女の姿。
「糞っ、くそっ、くそっ!!」
八つ当たりに何度も拳を壁に叩きつける。
どうやって奴を殺すか?
どんな風に奴を辱めるか?
そのとき奴等はどんな声を上げて泣き喚いてくれるか?
それを想像すると胸の内に燻っていた苛立ちがほんの少しだけ収まった。
「そうさ・・・殺してやる。一度や二度じゃねえ、何回でも・・・・何度でも何度でも、コロシテヤル」
「おや?」
その声に男は振り返る。誰かの接近に気付かないなど、どうやら思うが余り集中力が散漫になっていたらしい。
「ククク、丁度いい」
運悪く自分がいるときに迷い込んだらしい。スーツを着た優男が一人いた。
この空腹を満たすのはあの餓鬼共と決めていても苛立ちを紛らわすくらいなら良いだろう、と男の眼に野獣のような光が灯った。
優男は余りにも落ち着きすぎていた。常人ならば男の異常さには必ず気が付く。しかも此処は人気のない、絶好の狩場でもある。
だから平然と、むしろ冷ややかな目で男を眺める優男は落ち着きすぎていた。だがそれに男は気付かない。
「残念、外れ・・・・・しかもカスですね」
一瞥をくれただけで優男が無防備にも程がある背中を男へと向けた。
優男の言葉は理解している。だからこそ、男の怒りは一気に融点まで上昇した。しかもあの少年に似たような、自分を無視するような態度が尚更気に喰わない。
衝動のまま、男は襲いかかった。
「?」
男は内心不思議がる。当然あるべきの手応えがなかった。
これではまるで空振りしたようではないか。
とん、と何かに軽く背中を押される。
体勢を崩した男はそのまま片膝を付くがすぐさま振り向こうとして、身体が動かない事に気付いた。
「分を弁えなさい、カスが」
背後から聞こえたのは先ほどの優男の声。いや、否か。優男にこんな芸当が出来るはずもない。
自然と身体が震え出すのを感じ、それ以上に男は怒りに身体を奮わせた。
「そうです。カスはカスらしく怯えて震えていればいい」
優男の声は明らかに嘲笑を含んでいた。表情もそれに見合ったものになっているだろう。
それが気に喰わない。
「・・・・・・てやる」
「はい、何か言いましたか、カス?」
「殺す、殺してやる」
融点を軽く突破した怒りが沸点さえ超えて男の熱を上げていく。
熱を孕ませながら、淵へと堕ちていく。
「殺してやる殺してやるコロシテヤルくそガキドモがころしてやる」
いつの間にか怒りは後ろの優男へ向けてではなくなっていたが、男はそれに気付かない。更に堕ちる、止まる事を知らない。
身体が、肉が膨張して男の姿を変えていく。
片腕は丸太ほどに太く、股はその倍ほど。形相は醜女のように爛れて元の人間としては見る影もない。
「ふふっ、ははっ、ははははははっ」
後ろからの笑い声。愉快でならないとばかりで、嘲りではない心底愉しくて仕方がないと言うもの。
無邪気で、童子がいい悪戯を思いついたような、そんな声。
「いいでしょう、殺しなさい。その怨讐に見合う力、私が与えましょう。だから思う様に暴れなさい、殺して見せなさい」
背中に何かが触れる。が、男だったものにはそれがなんだろうと構わない。怒りが全てをかき消している。
「それがあなたのためになり、そして私たちの目的の基ともなる」
何か、が身体の中に入ってくるのを感じ、男だったものの意識はプツリと途切れた。
「あははははははははははっ」
優男の笑い声だけが自棄に癪に障った事を、目が覚めたとき男は完全に忘れていた。