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読み切り作品

更衣室

作者: さわいつき


 私は得てして、間が悪い事が多い。それは決して私自身の責任ではないと思うのだけれど、それでも度重なっている現状を思うと、やはり私のせいなのかと考えてしまう程度には間が悪い。

「うーん」

 両手を組んで壁にもたれ、どうしたもんだ、と天を仰ぐ。

 今は午前十一時。三時間目の真っ最中。そんな時間にこんな場所にいるのは、別にサボっているわけではなく、ちゃんとした理由があった。母に用事を頼まれ、午後から親戚の家まで行かなければならないため、早退する事になっていたのだ。

 鞄を自転車の前かごにつっこんでからスカートのポケットに手を入れた時、肝心の自転車の鍵がない事に気付いた。教室内ならば誰かが拾ってくれているだろうけれど、そんな気配はなかった。という事は、二時間目の体育で着替えた時に落としたとしか考えられない。

 そして向かった更衣室。中に入ろうとしてドアノブに手を伸ばした時、微かに聞こえてくる声に気がついた。

 まさか人がいるとは思ってもいなかった私は、腕時計で時間を確認した。十一時五分。確かに授業中。という事は、ここでサボっている誰かがいるという事なのかもしれないけれど。そしてごくごく一般的な学生である私は、面倒事もそれを起こす人もかなり苦手だったりする。

 困った。鍵がないと自転車に乗る事ができないし、自転車でも片道三十分かかる自宅は、歩いて帰るには遠すぎる。でも授業をサボる人とは顔を合わせたくないし、その現場に居合わせるなんて事は極力避けたかった。

 そしてさらに追い討ちをかけるような事態に、本格的に困ってしまった。男の声が聞こえたからだ。しつこいようだけれど、ここは女子更衣室だ。男子更衣室は隣だけれど入り口は両端についていて離れているし、一目で分かるようにドアの色を塗り分けてある。間違える事はまずないからだ。

 更衣室という密室内にいる、男と女。しかもどうやら授業をサボっている。関わり合いになると、ろくな事がない。私は頭の中でそう考えた。

 困っているうちに時間はどんどん過ぎてしまい、十一時二十分になる頃には、ちょっとしたパニックに陥っていた。とにかく時間がない。急がないと、お昼ご飯を食べている時間がなくなってしまう。

 意を決してドアノブに手をかけた時、ドアノブが私のものではない力で回され、鉄製のドアが開いた。

 思わず上げそうになった悲鳴をすんでのところで堪えたけれど、驚きのあまり足がもつれてその場に転倒。はしなかったけれど、尻もちをついてしまった。

「あれ? 岩浅いわささん?」

 聞き覚えのある声に名前を呼ばれて顔を上げると、そこには見覚えのある顔があった。

道高みちたか、先輩?」

 なぜかびしょ濡れになっているバドミントン部の先輩、道高安紘やすひろさんは、ちょっと困ったように視線を逸らせた。

「岩浅さん。その、パンツ」

「は?」

「パンツ、見えてる」

 言われてようやく、尻もちをついたままの格好でいた事に気がついた。慌てて座りなおし、短いスカートを必死に引っ張る。恥ずかしいなんてもんじゃない。よりによって憧れの道高先輩の前でこんな格好を見せてしまったなんて。明日からは短いスパッツか短パンをはいて来ようと、こっそり心に決める。

「あら。岩浅さん、サボり?」

 道高先輩の後ろからひょっこりと顔を出したのは、国語の大川先生だった。バドの副顧問もしている大川先生は、背が低くてほっそりとした体つきで、長身の道高先輩の後ろにすっぽりと隠れてしまっていたらしかった。

「あ、違います! 家の用事で早退です! でも自転車の鍵を更衣室に落としちゃったらしくて」

「もしかして、これかしら?」

 手品のように大川先生の手の中に現れたのは、確かに私の自転車の鍵だった。百均ショップで買った金と銀の鈴が、ちりんと澄んだ音を響かせた。

「あ、それです!」

 思わず差し出した手に、先生が鍵を渡してくれる。そして私は鈴の音を聞きながら、はたと思い出してしまった。

 授業中に女子更衣室の中で男と女が二人っきり。そしてそれは、目の前にいる道高先輩と大川先生だったのだという事を。

(という事は、先輩と先生はナニの関係っ? うわ、失恋決定?)

 頭の中にブリザードが吹き荒れる。体も凍りついたように動かない。

「……さん? おーい、岩浅さーん?」

 先輩の呼ぶ声に我に返った私は次の瞬間、至近距離にある顔に驚いて、またひっくり返りそうになった。

「あ。戻って来た」

 戻って、って、別にあっちの世界に行っていたわけじゃないんだけれど。あ、でも意識が凍り付いていたんだから、そう見られても仕方がなかったかもしれない。

「岩浅さん、もしかしなくても今の話、聞いていなかったでしょう?」

 にっこりにこにこ。大川先生の愛くるしい笑顔は、心なしか引きつっていた。

「え? あ、あはははは」

「やっぱりね」

 先生はこれみよがしな溜息を吐き、呆れたように私を見下ろしている。

「変な誤解をされると困るから、って言ったのも覚えていない?」

 苦笑を浮かべている道高先輩は、やっぱりかっこいい。アイドル系とかそういうわけじゃないんだけれど、細面で整った顔立ちの先輩は、密かに女子の人気を集めている。

 かく言う私も先輩に好意以上のものを抱いているのだけれど、先輩の顔がいいから好きになったわけじゃない。人気があってもそれを鼻にかけたりしないところとか、さりげなく後輩の面倒見がいいところとか、そういう内面に惚れたのだ。

 それでもやっぱりこんな至近距離で憧れの人の顔を見てしまうと、嬉しいやら恥ずかしいやら。軽いパニック状態に陥るのも、無理はないと思う。

「女子更衣室のシャワーが故障しちゃってね。ちょうど自習中だった道高君に修理を手伝ってもらっていたのよ」

「ちょうどって、俺、先生の古典の授業中だったんすけど? 職権濫用じゃないっすか?」

「固い事は言わないのよ。だってねえ? クラブでかいた汗を流さないで帰るなんて、年頃の女の子にとっては深刻な問題よね?」

 私は先生の言葉に大きく頷いた。

 つまり先生と先輩は、アレな関係というわけじゃないかったらしい。先輩が強制的に修理を手伝わされただけなんだと理解した途端、嬉しさで顔がにやけそうになってしまう。我ながら現金だ。

「途中でいきなり水が出て濡れちまうし、何で俺がこんな事」

「仕方ないじゃない。今日は校務の人がお休みなんだもの。業者に頼むとお金がかかっちゃうし」

 ぼやく先輩ににっこりと可愛らしい笑顔で応える先生は、実は結構いい性格の持ち主だったのかもしれない。

「そ、そうですよ。それに先輩、水も滴るいい男ですから!」

「「いい男?」」

 フォローのつもりで言った言葉に、なぜか先生と先輩の声がハモった。先輩はちょっと変な顔をして、先生の肩が小刻みに震えている。そんなにおかしな事を言ったのだろうか。

「うんうん、いい男よね! だからさっさと着替えて、教室に戻んなさいよ。もうすぐ三時間目、終わるから」

 笑いを堪えた先生の言葉に、いきなり現実に引き戻される。

「そうだ、時間! って、もうこんな時間ーっ!」

 時計の針は無常にも、十一時半になりかけている。慌てて立ち上がろうとしたら、先に立ち上がった先輩の手が目の前にあった。

 もしかして引っ張ってくれるんだろうか? 恐る恐る手を出すと、私よりもずっと大きな手に掴まれ、体ごと引き上げられた。

「急いでいたのに引き止めたみたいで悪かったな」

「いえ、もたもたしていたのは私だから、気にしないでください」

 掴まれた手がそのままなのが気になるけれど、時間の方がもっと気になった。

「じゃ、じゃあ、失礼します」

「気をつけてな。また明日」

 ようやく離れた手が少しだけ名残惜しいけれど、そんな事を言ってもいられなくて、私は鍵を握り締めて自転車置き場に急いだ。




 大幅に予定がずれ込んだため、結局お昼ご飯を食べている時間はなくなり、空腹を抱えて親戚の家に行く事になってしまった。でもなんだか胸がいっぱいで幸せだったからよしとした。




「ところで、なんで昨日、すぐに入って来なかったんだ」

 翌日体育館で顔を合わせた道高先輩に、開口一番そう聞かれ、返事に窮した。濡れ場に踏み込む勇気がなかったんです、とは言えない。しかもそれは単なる私の勘違いだったのだし。

「えーっと。なんとなく?」

「なんとなく、ね」

 絶対に納得なんかしていない。そう顔に書いてある。

 正直、女子バド部員たちからの視線が痛くて、できるだけ早く先輩から離れたかった。でも先輩と話せる機会なんて滅多にない事だったから、嬉しくてこのまま話していたい、と思った事も事実なんだけれど。

 考えてみれば、昨日までは道高先輩とまともに言葉を交わした事もなかったわけで、それを思えば随分親しくなれた気がする。

「ま、いいか。岩浅さんに男前って言ってもらえたし」

「は?」

 フォローのつもりで言ったあの台詞の事だと気付くのに、数秒を要した。

「やだなあ、先輩だったらしょっちゅう言われ慣れてるでしょう?」

「慣れているってほどじゃないけど。でも岩浅さん、男前に興味がなんだよな?」

 確かにそうなんだけれど、どうして先輩がそんな事を知っているんだろう。

「じゃあ、俺にも興味がないって事なのかなあと、ちょっとショックだったりしたんだけど?」

 なんで。どうしてそこでショックを受けるんだろう。私は必死でフォローすべく、言葉を捜した。

「いえ、先輩の顔が良くても悪くても関係ありませんから!」

「それは、どういう意味なのかな」

 先輩の眉が顰められた。なんだかこれっておかしな状況ではないだろうか。

「深い意味はありませんから」

「そうなんだ? 深い意味を期待していたんだけど」

 期待? 期待って何を? 私は思わず今までの会話を思い出していた。

「んー。俺の事は、顔の良し悪しにかかわらず興味を持ってくれているのかな、とか。自惚れたりして」

 ぺろり、と舌を出す先輩の表情は茶目っ気たっぷりで、なんだか年上に見えなくて、いつもよりも親近感が沸く。可愛いなんて言ったら失礼かもしれないけれど。

 先輩の仕草に気を取られて何気なく聞き流してしまったけれど、今、もの凄い事を言われたような気がした。

「え? や、あの、その」

 女子部員たちからの突き刺さるような視線なんて、意識の外にぶっ飛んでしまう。一気に顔と頭に血が上り、目が先輩の顔に釘付けになってしまって、恥ずかしいから逸らしたいのにそれができない。

「あ。やっぱ、迷惑?」

 少し困ったように、先輩の口元が歪む。

「いえ、迷惑なんか、じゃ。えっと、その。自惚れて、ください」

 慌てて首を左右に振り、先輩の言葉を否定した。緊張と恥ずかしさのあまり蚊の鳴くような声になってしまったけれど。

 道高先輩の表情がぱっと明るくなり、次いでその目つきが真剣になる。真っ直ぐに見つめられると逃げ出したくなってしまうのは、どうしてなんだろう。

「マジ? 今の、都合がいいように解釈するけど?」

 ずいっと、先輩が体ごと近づいてくる。思わず一歩後退りながら、それでも私はこっくりと頷いた。

「いよっしゃあーっ!」

 突然先輩が両手の拳を握り締め、大声を上げた。男女バド部は当然の事ながら、体育館にいた他の部の人たちまで、何事かとこちらを見ている。

 にやりと楽しげに笑う道高先輩に、なんだかいやな予感がした。背筋がひやりと冷たいのは気のせいだろうか。

「聞けよー! 俺、道高安紘は、岩浅茜とつきあう事になった! 文句のある奴は彼女じゃなく俺に言いに来い! 以上!」

 体育館中に響き渡る先輩の声。その場に居合わせている人たちはみんな、呆気に取られて言葉も出ない。

 公衆の面前でなんて事を宣言してくれるのだろう、この人は。まさか先輩がこんな性格をしていたなんて。顔が真っ赤になっているのは、鏡を見なくても分かる。何か言ってやろうと思って開いた口からは、けれど言葉は出てこなくて。ただぱくぱくと無駄に空気を吐いているだけで。

「て事で、よろしくな。茜」

 いきなり名前を呼び捨てにされ、顔だけではなく体中が熱くなる。

「せ、先輩の」

「ん?」

「先輩の、バカーっ!」

 恥ずかしさのあまりそう叫んだ私は、一目散に体育館の出口に走った。




 後から追いかけて来た先輩は、私の怒りを鎮めるためにひたすら頭を下げ続けた。でも本当は本気で怒ってなんかいなくて、ただ恥ずかしかっただけだとは、口惜しいから教えてあげないけれど。

「ああやって言っておけば、余計な口とかちょっかいを出してくる奴への牽制になると思ってさ」

 ほんのり頬を赤く染めて困ったように言う先輩に、ぷいっと顔を背けてしまう。溜息を吐きながら天を仰ぐ先輩を横目でちらりと見て、私はこっそりと笑った。

 本当は分かっていた。先輩と両思いになった事で私が受けるであろうやっかみや嫌がらせから私を守るために、わざとあんな事を言ったのであろう事を。

「とりあえず。一緒に帰る事から始めませんか?」

 言い終わってから振り向くと、そこには満面の笑顔を浮かべた先輩がいた。

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