第八話:狂気波動・レベル1
「あ、プリンスだ」
「お早う、プリンス」
「プリンスさん、ちーす」
「プリンス君、お早う」
「……は?」
朝、とある男子生徒が寝ぼけ眼を擦りながら、ダリィダリィと心中で連呼し、いつもの様に学校に登校し、いつもの様に教室に入ると、明らかにいつもとは違う名前で呼ばれていた。
――これはあれか。俺の頭がまだ覚醒していないのか。それとも新手のイジメか。
等と思いながら、とりあえず事情を聞いてみることにした。
正直な話、誰が元凶かは薄々分かってはいたが。
思い浮かぶ、隣席のあの少女。
小柄で。
黒髪で。
大人しかった筈なのに何時の間にかキャラ崩壊していて。
滅茶苦茶強くて。
パンツが白い。
(……今のナシ)
ともかく。
「……なに、その呼び名」
「今日、湯久世さんが朝早く登校してきて、言ったんだよ。『あれ、プリンスまだ来てないの?』って」
「そんで、俺たちが『まだだよ、と言うか昨日から気になってたんだけど、何でプリンス?』って聞いたら」
「ドヤ顔で『プリンスはプリンスだよ!』ってさ。だからお前は今日からプリンス。良かったなプリンス」
「……湯久世! あいつはどこだ……!」
「校庭でお礼参りに来た不良連中をぶっ飛ばしてるけど。呼ぶか?」
「……人って飛ぶんだね。私、びっくりしちゃったよ」
「一番びっくりしてるのは、多分あの不良たちだけどな」
「私たちは昨日、机を真っ二つにしたのを見てるからね。まぁこんなもんか」
「……冷静に考えたらおかしいよな。机だぞ?」
「修行の成果だとさ。……気にしたら負けだ」
「どうする、プリンス。多分、文句を付けたらあいつらと同じ運命を辿るぞ」
「あれが二秒後のお前の姿、ってことにならなければいいけどな」
「……オッス! オラ、プリンス! よろしくな!」
少年の順応性は半端じゃなかった。
「身の程を知れっ!」
校庭で叫ぶ小柄な少女は、それはもうイタイタしかったが、それについて言及したら痛い目にあうこと受けあいである。そう、彼女の足元に転がるボロ雑巾的な人影のごとく。現代人に必要なスキルは流されることなのだ。
――昼休み。
(……ねむ)
少年は早速寝る体勢に入った。
三度の飯より寝るのが好きな彼は、隙があれば何時でも寝る。
授業中だって容赦なく寝るし、教室で一番後ろのこの席では、そうそう教師に注意もされない。『プリンス』だとか言う謎のあだ名を付けられても、彼の眠気は飛ばせないのだ。
「……おかしい、絶対おかしいよ。私、こんなに馬鹿じゃなかった筈なのに……。これはきっとあれだ。モエさんとダイキさんが私の頭を叩きまくったからだ。ちくしょう」
とかなんとか隣の席からそんな呪詛のような呟きが聞こえてきても、彼は眠るのだ。
しかし。
「おいっ、起きてくれ!」
そんな彼の睡眠を妨げる声が、頭上に響いた。
何事かと彼がその不機嫌な顔を隠さずに上げると、そこにはウザッたいくらいの爽やかな笑みを浮かべる男子生徒がいた。
「……何だよ、ヤナギ」
「起きたか、プリンス」
「……おやすみ」
「ぅおい! 起きろっ! 友達だろっ!?」
「友達は俺を変なあだ名で呼ばない」
「……クラス中がお前をそう呼んでいるけどな」
「……それじゃあ俺に友達がいない、ってことになりかねんな」
不承不承と言った様子で、体を持ち上げる少年。
彼としては貴重な睡眠時間を潰したくはないのだが、クラスで一番イケメンと評判のヤナギと友達なのは事実だし、その友達の彼が寝ている自分をわざわざ起こしたと言う事は、よっぽどの用があるのだろう、と彼は話を聞く姿勢をとった。
「んで、なんだ?」
「ああ、実は、俺の彼女のことなん」
「おやすみ」
「だけど、っておい! き、聞けよ!」
「うっさいボケ。リア充は爆発しろ」
「そ、そんなこと言うなよ……」
割と辛辣な少年の言葉に、ヤナギは少し落ち込んだ。
睡眠を何よりも愛す彼は、だけどそれなりに人がいい。別に睡眠の為なら友達なんて要らない、と言うほどのジャンキーではないのだ。
しかし、この話題は頂けない。
イケメンの友人からの、恋愛相談。しかも、もう恋人としての関係が成り立っている状態の話だ。
人並みにそう言う恋とか愛とかにだって興味がある、彼女いない歴=年齢の少年を苛付かせるのも仕方のないことだった。
と、そこで。
「っ! リ=アジュー!? どこ!?」
今まで唸っていた少女、ユリがそう言って、勢い良く椅子から立ち上がった。
その表情は先ほどまでの間抜けにブツブツ言っていたものとは変わり、真剣、と言うかどこか危機感が溢れたものだった。
少年とヤナギをじっと見つめて、右手を油断なく腹部に添えた。
「は?」
「へ?」
それで困惑したのは二人である。
キョトン、とした顔でユリを見た。
何故、ヤナギがリア充でどうのこうのと話していたのに、ユリがぶっこんできたのか意味が解からなかった。
とりあえず、彼女は『リア充はどこだ』と聞いているので、少年がヤナギを指で差した。
「いや、こいつ、だけど……」
「……え?」
今度はユリがキョトンとした。
「どこが? どこが、リ=アジュー?」
「……ちなみに聞いておくけど、お前の考えているリア充を教えてくれ」
これは何か情報に差異があるに違いない、と少年がユリを促す。
すると、ユリは顎に手を当てて、考えながら、思い出しながら、言う。
「虎っぽい見た目で、やたら速くて、人を嬲り殺すのが好きな、別名・黄金の牙のことじゃないの?」
「なんだそれ!?」
「こえーよ!」
最早人間ではなかった。
―――――――――――――
獣王・リ=アジュー
種族:魔獣
性別:雄
レベル:187
通称:黄金の牙
備考:めっちゃ速い。ユリの『タナトス』を受け、死亡。
―――――――――――――
とりあえず明らかに間違ったユリの『リア充観』を正しくさせようと、少年が口を開く。
「いいか、リア充っつーのは、『リアル生活が充実している』の略だ。ま、大体は彼女持ちか彼氏持ちを指す言葉だな」
「へー、そうなんだ。……じゃあ、ヤナギ君、だっけ? 君が、そのリア充?」
感心した様にユリが頷くと、視線をヤナギに移した。
不意に振られた彼は、噂の少女の目線に少しビビりながらも、言葉を返す。
「あ、ああ。そう言うことになる、かな?」
「……貴様に地獄を見せてやる!」
「ええええええええええ!?」
「うおおおおおおおおい!?」
ユリの突然の発言に思わず叫び声を上げてしまう二人。
その訳の解からない言葉を言ったユリは、しかし、瞬間、項垂れた。
「うう」
と呻き声を出すユリ。
二人のみならず、クラス全体が彼女の注目すると、ポツリ、と様々な感情を乗せて、ユリが呟く。
「いいなぁ……私、私だって、優しくてカッコ良くてお金持ちで、私を守ってくれる彼氏が欲しいんだよ……」
(こいつ理想が恐ろしく高ぇえええええええ!)
とあくまで心中で叫ぶ少年。
そしてその思いは、クラスメート全員に共通していたが、やはり声に出すことはなかった。
みんな、未だに教室の端に転がっている二つになった机の様にはなりたくないのである
と言うより、彼女は誰かに守られる必要があるのだろうか、とも勿論思った。
ユリがふと目線を少年に向けた。
「……プリンスは?」
その問いは、自分がリア充、つまり付き合っている女性がいるかどうかのものだろう、と少年は思い、認めるのもどこか癪だったが、一先ずは正直に言うことにする。
「……いねーし、いたこともねー」
「……そっか」
「おいその優しい顔はやめろ親指立てるんじゃねええええええええ!」
妙に目が同情している少女に、少年は声を荒げた。
教室がまたざわめく。
少年が目を向けると、クラスメートが今度は自分に注目していた。
――少女と同じ、優しい目で。
「いや、プリンスは頑張ればモテるんじゃないか?」
「そうだぜ、もう少し、こう、あれすれば……」
「そうそう、あれ、あれだよ、あれ」
「と、とにかく、頑張ってプリンス君!」
『プーリンス! プーリンス!』
「頼むから黙ってお前ら……」
今にも少年を胴上げしかねない『プリンスコール』が巻き起こるなか、何だこの盛り上がりは、と少年は不信に思った。
このクラスはそんなワイワイ賑やかなものじゃなくて、もう少し個人主義的なとこがあった筈だ。
無駄な干渉はしない。自分がよければそれでいい。
そんな、正しく今時の少年少女。
それなのに、このトチ狂った様な騒ぎ。
なにこれ、と胡乱気な瞳で更に教室を見渡すと、自分と同じような表情をしている少女を見付けた。
(あいつは……)
佐倉桜。
彼女もまた、クラスメートの訳解からないテンションにげんなりした表情をしていた。
―――――――――――――
特に意味があった訳ではない。
ただ、なんとなく。
なんとなく、面白そうだからやった。それだけの話。
あの世界の住人は、全体的に高レベルで、『伝説』と呼ばれた『彼女』でさえも中々干渉することが出来なかった。
暇。退屈。
そんな悠久なる時を無意味に過ごしていた『彼女』に訪れた、一人の少女との出会い。
そして別世界の訪問。
――ここは、いい。
かなりの低レベルの世界。
ここは。ここなら。
自分の『性能』を発揮できる。
意味なんてない。
理由なんてどうでもいい。
ただ、己の快楽の為に。
――『きょうき』『はどう』『れべる』『いち』
――『……』『きいて』『ない』『にんげん』『が』『ふたり』『いる』『な』
――『これ』『いじょう』『は』『まずい』『か』『せいしん』『が』『こわれる』
――『……』『まぁ』『いい』
――『ふふふ』
――『ふははははははは』『!』
世界を闇に染める夜の使者、夜剣ニュクスはただ笑う。
その半身たる少女は、だけど何にも気づかない。
(ニュクス、私の『中』で笑わないでよ。くすぐったい)
『あ』『ごめん』
―――――――――――――
「……んで、結局何のようだ?」
あれから。
クラスメート達から暖かい慰めの言葉を頂戴した少年は、心にある大切な何かをごっそりと持ってかれて、だけど気丈にも再び己の友人、ヤナギに話を振った。
「……実は」
ヤナギが言うには。
付き合って三ヶ月の彼女に、日曜家に食事に来て、と誘われた。
が、彼女を知る別の人物が言うには、彼女の父親はとても厳格で、彼女を溺愛しているらしい。
その彼女は昔付き合っていた男性が居たのだが、その彼女の父親の気迫と怒声に、情けない姿を晒してしまい、結局別れてしまった。
このままでは、その人と同じ目に合いかねない。
と、纏めるとこう言うことである。
「……なんで俺に相談するんだよ」
「いや、お前、授業中に怖い先生に注意されても全然動じないじゃん。その秘訣を教えて貰おうと思って」
「……秘訣ってもなぁ。俺、ただ鈍いだけだぜ?」
確かに彼は教師に寝ているのを注意されても何処吹く風だが、それを他人に教えることなんて出来るはずもない。
ただ彼の睡眠欲が恐怖心だとかを上回っているだけなのだ。
だけれども、彼はこう見えてそこそこ友達想いな男でもある。
いくら無理難題を吹っかけられても、ヤナギがイケメンでリア充だったとしても、一応は友人の相談にのって上げる彼は間違いなく『良い人』に分類されるであろう。
「……うーん」
と唸る少年。何とかしてやりたい気持ちはあるが、いかんせん何も妙案が浮かばなかった。
どうしたもんか、と彼が思案すると。
「ここは、私の出番のようだねっ!」
と、無駄にキメ顔で隣席の小女、ユリがそう言い放った。
カッコいい、とい言えば確かに決まってはいたが、彼女の机に広げられている数学の教科書にデカデカと『ぎぶあっぷ』と書いてあるのが全てを台無しにした。
要は、彼女が二人に声を掛けたのはただの現実逃避である。
が、そんなことはもう彼女の頭にはなかった。
「つまり、ヤナギンはその彼女さんのお父さんにビビりたくないんでしょ」
「ヤナギンて」
「そうでしょ、ヤナギン」
「ああ、そうだ」
「おい、いいのか。お前このままだと『ヤナギン』になっちまうぞ」
「え? 別に構わないけど」
「いいのかよ……」
変なあだ名を付けられても全然堪えてないヤナギを見て、少年は「おかしいのは俺なのか?」と戦慄を覚えた。
まぁでも『プリンス』よりはマシである。
そんな少年を置いて、ユリが声を張り上げる。
「ならばっ! 私が貴方を鍛えて上げるっ! 師匠と呼びなさいっ!」
「お、おいおい。鍛えるって……」
「師匠……!」
「ヤナギっ!?」
明らかにおかしくなっている友人の肩を掴んで、少年はガタガタと揺らした。
「お、おいっ! お前どうしちまったんだよ!」
「止めないでくれプリンス……俺は、俺はナズナに相応しい男になりたいんだ……!」
「お前そんなヤツだっけ!?」
思えばヤナギは顔のみならず性格もイケメンだったが、こんな熱い台詞を言う様な男じゃなかった筈だ。
しかし、彼のそんな思いは届かず、話は進んでいく。
「その意気や良しっ! 放課後、屋上に来るがよいっ!」
「はいっ、師匠!」
「もう勝手にしてくれよ……」
「あ、プリンスも来てね。さっちんも」
「俺もっ!?」
「あ、あたしは全然関係ないじゃん!」
「来て、ね!」
「……はい」
「お、お姉ちゃーん……」
なし崩しに巻き込まれた二人は、だけど抵抗できない規定事項だと言うのを薄々感じていた。
世界は今日も理不尽である。
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リア充・ヤナギ
種族:人間
性別:男
年齢:15
レベル:6
通称:『ヤナギン』
備考:イケメン。狂気耐性なし。
学生・プリンス
種族:人間
性別:男
年齢:14
レベル:5
通称:『プリンス』
備考:趣味は寝ること。狂気耐性レベル1。
学生・サクラ
種族:人間
性別:女
年齢:14
レベル:5
通称:『さっちん』
備考:モエの妹。狂気耐性レベル1。
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