第四話:一人シリアスブレイカー
「制服とか、久しぶりだなぁ……」
朝、である。
それなりに広い一軒家の、それなりに広いリビング。
そこに、一人の少女が居た。
窓から漏れる朝日を浴びながら、感慨深い表情で、鏡の前で服に乱れがないかチェックしている彼女は、湯久世 由利。
内気で、臆病で、要領が良くない中学三年生。
……だったのは、もう遥か昔の事。
この『世界』ではともかく、彼女の中では一年以上も前の話。
今の彼女は――――
『せかい』『を』『やみ』『に』『そめる』『よる』『の』『ししゃ』『!』
「私は魔王か」
こう見えて勇者である。自称だが。
ユリは、げんなりした表情で、勝手に己の腹部から刀身を出した漆黒の剣、ニュクスに突っ込みを入れた。
にょきっと、小柄な少女の腹部から制服を持ち上げて黒い剣が出る様は、シュールと言うよりむしろ猟奇的である。おかげで彼女の白いお腹がその場に晒されている。何という残念な腹チラであろうか。まぁ今この家には彼女しかいないので、誰にも見せることはなかったが。
「……勝手に出てこないでよ、ニュクス」
『ごめん』『ちがう』『せかい』『に』『きた』『から』『てんしょん』『やばい』
「悪いけどそんなに面白いことはないよ」
『えー』
「はいはい、さっさと戻ってね」
『くっ』『しかし』『いずれ』『だいに』『だいさん』『の』『わたし』『が』
「魔王か」
結果、ズプズプと歪な音を立ててニュクスはユリの中に戻った。
そう言えば、本物の魔王の方も同じ様な台詞を言っていた気がする、とユリはふと思い出した。
そんなこと、ユリたちにとっては至極どうでもいいが。第二だろうが第三だろうが、勝手に出ればいい。
あくまで、ユリたちはあの魔王を腹いせと気紛れで倒したのだから。
それはともかく。
「……私、引篭もりだったんだけど、学校、大丈夫かなぁ。……暫く不登校だったし、確か」
誰に言うまでもなく、ポツリと一言。
端的に言えば、彼女はイジメられていた。
と言うと、少し過剰な表現かもしれないが、少なくとも『以前』の彼女はそう受け止めて、そして引篭もってしまった。
今思えば、そんな大げさなものじゃなかったな、と彼女は断じる。
ただ、ハブられて、クラスで孤立していただけだ。
何かされたりだとかはなく、むしろ何もされなかった。
「メンタル弱すぎだよ、私……。せめて、石を投げられるとか剣を投げられるとか炎を投げられるとかぐらいじゃないと」
それはイジメじゃない。迫害である。
まぁ彼女は処刑一歩手前まで経験した程だ。
今更レベル10以下の人間からハブられるぐらい、何だと言うのか。
彼女が不安に思っているのは、『登校する意味』である。
そもそも、彼女は学校に行けば、離れ離れになってしまったモエやダイキの居場所が解るかもしれないと考えたのだ。
佐倉 萌。
犬上 大樹。
実は、ユリは彼らの『地球』における実情を殆ど知らない。
三人同時に召喚され、そして三人同時に捨てられた時、とりあえず三人一緒に行動する事を決めた。
その時のユリはかなりの人見知りで自分のことを殆ど話さなかったし、話したくもなかった。それはモエやダイキも同様で、ユリと同じように、彼らもまた、なんとなく『地球』の生活にコンプレックスを少なからず感じていたらしい。
更に、彼ら三人が協力し合い、『仲間』となり、あの『世界』で生きていくことを決めたときから、もう『地球』の事が話題に出ることはなくなった。
いくらコンプレックスが多少あったからとは言え、いくら帰ることを諦めたからと言えど、生まれ故郷の事を吹っ切れるのはそう容易いことではない。
それは、その頃には既にその名を轟かせていた、彼らなりの精神的な防衛本能だったのかもしれない。
ここで重要なのは、彼らは地球における互いの事情を知らないと言うことだ。
つまり、住んでいるところも知らないし、学生、と言うことはなんとなく知っているが、どの学校に通っているかも知らない。ユリが記憶を辿るに、そう離れたところに住んでいる訳ではなかったとは思うのだが、それもせいぜいが『比較的近い地域内に居る』程度である。正直、ノーヒントだ。
よってユリは、その情報を手っ取り早く得るために、『学校』と言う場を選択したのだが……
ぶっちゃけ、ユリは絶賛ハブられ中である。
しかも、地球の時間では2週間、学校に行っていない。
これでどうやって情報を集めればいいのか。
「……いや、普通にしていれば、大丈夫、大丈夫。……大丈夫、だよね……?」
自身に言い聞かせるように呟くユリ。
そう、ここで大事なのは、普通で居ること。
ハブられようが、なんだろうが、普通で居ることなのだ。
以前の様にオドオドとしているのは駄目だし、とか言ってレベル285、人類最高の実力を見せ付けるのも駄目。
ある程度社交的に振舞って、『かつて』を見せず、そして『今』もなるべく見せない。
それが最善手。
そうでなくては、一番の目的の二人に会うことも、素敵な彼氏も見つけることも夢のまた夢だ。
「……そう言えば」
改めて鏡を見る。
制服姿の自分。
肩まで掛かる長さの黒髪、黒目。小柄な体系。ちょっと悪い目つき。
以前とまるで変わってない自分。
一年と半年の時間経過を、何も感じさせない今の自分。
終わってしまった、自分。
「……こればっかりは、私は有利だよね。モエさんとか、昔金髪だったのに、今は色落ちしてるし。あとおっぱいがちょっと大きくなってるし。ダイキさんは背が伸びたとか言ってたし。どうやって誤魔化すんだろ」
『よる』『に』『かんしゃ』『するん』『だな』
「だーかーらー、勝手に出てこないでって。それに、私はどうでもいいけど、モエさんもダイキさんも凄い気にしているんだよ、私の体」
『にんげん』『は』『よく』『わからない』『よる』『に』『なる』『のは』『べんり』『じゃね』『?』
「いいから戻る」
『はい』
ズブズブ。
「普通、か」
もう、何もかも彼女は普通じゃない。
その身に宿している力も。体も。それを持つ精神も。
ユリは普通とは程遠い。
だけど。
それでも。
「普通でいなければ、いけないんだよね」
それくらいは、知っていた。
異端は爪弾きにされるのは、どの世界でも同じだ。
スタンダードに。フラットに。
それが、世渡りの秘訣。
玄関に出て、ドアを開ける。
びっくりする程重さを感じなくなった学生鞄を引っ提げて、外の景色を見る。
――この世界は何も、変わってない。
天気は快晴。その太陽の輝きに、ユリは目を細めた。
「……行って来ます」
返事がない事は解かっていたが、ユリはなんとなく、そう言った。
もう、唯一の肉親である父親の顔も、よく覚えていない。
普段から家にあまり帰らない父親を、正直ユリはその存在さえ意識の埒外に送っていた。
これは『普通』とは言えないな、と彼女は自嘲の笑みを浮かべた。
それでも、彼女は『普通』で居なければならないのだ。己が目的の為に。
ならないのだ。
ならないのに。
そう都合良くは。
ならなかったりする。
「イイダ君がやられたぁー!? な、なんなんだあいつはー!?」
「さっきヤマダもやられたぞ! しかも、100mぐらい吹っ飛んで行った!」
「タナカ君なんか、さっきからピクリともしない!」
「だ、大丈夫だ! 脈はある! ……多分!」
「に、人間じゃねー!」
「……どうしてこうなるかな」
学校に着いたら、何故か今、校門前が阿鼻叫喚。
とりあえず、ユリは頭を抱えながら『どうしてこうなったか』を考えた。
この道懐かしいな、と思いながらゆっくりと学校へと向かう。
迷う。
焦る。
走る。勿論手加減して。
誰かとぶつかる。
盛大に吹き飛ぶ相手。明らかに不良。しかも複数人。
喧嘩売ってんかゴラァ! となる。ノリが古い。
殴り掛かってくる。相手は仮にも女の子だぞ。
だが特に何もしてないのに、吹き飛ぶ相手。
地獄絵図。
まぁ解かりやすい。
(……そう言えば、この学校、不良だとかが多かったなぁ)
胡乱気な思考で、ぼんやりと思うユリ。
かつての学校の事を思い出す。
常に何枚か割れている窓ガラス。
常にタバコ臭いトイレ。
常に聞こえてくる怒声。
常に切られているメンチ。
こんな中学に居るから、内気だった私は益々引っ込み思案になってしまったんだなぁ……と、ユリは遠い目で空を見た。
――……ああ、青いなぁ。
――モエさんとダイキさん、大丈夫かなぁ。
――こんな目に、会ってないかなぁ。
――でも、私は何もしてないよね、普通に通学したら、この有様でした。
――この人達を『視た』ら、レベル5とか6だからなぁ……。『天鎧』を纏ってなくて良かったぁ……。死人を出すとこだったよ。
――これはアレだよ。世界が悪いんだよ。何時だって。何処だって。
などと、普段は黒い輝きを放っている目を、ドブ沼の様に濁らせて、都合よくはいかない世界に思いを馳せていると。
「ちっ、何モンなんだよアイツはぁ!」
「しらねーよ!見たこともない!」
「おいおい、すげーよ、これ。どうなってんの?」
「あの子、誰?」
「知らん」
ざわざわ、と周囲が色めき立っているのを感じて、ユリは一先ず現実逃避を止めた。
視線を降ろすと、襲い掛かってきた不良だけではなく、他の生徒たちからの注目を浴びているのに気付いた。
(……まずった)
そうユリが思っても、時既に遅し。
今は登校時間。そしてここは校門。
そして倒れるガラの悪い男たちに、それを一瞬で蹴散らした小柄な少女。
そりゃ、注目して下さいと言っている様なものである。
しかも。
「……あれ、湯久世じゃね?」
「は、え? ……あ、マジだ!」
「……え、マジであの湯久世?」
「……しばらく来てなかったよな、学校」
「なにあいつ、修行の旅にでも出てきたのか?」
「修行て」
自分を知っている人達に見られていた。
恐らくは、クラスメート。
彼女は彼らの顔を覚えてはいなかったが、彼らがお世辞にも有名とは言えない「自分」を知っていると言うことは、同クラス、もしくは同クラスだった、と言うこと。
ユリは冷や汗をたらりと垂らした。
心なしか、頬も引き攣っている様な気さえもする。
(あ、終わったー。私の普通、しゅーりょー)
普通の学校生活終了のお報せ。
そんな言葉が、ユリの脳裏に過ぎる。
学校に入る前なのに早くも『日常』に詰んでしまい、流石のユリもがっくしと、肩を落としてしまう。
私が何をしたの、と、慣れ親しんだ理不尽を感じるユリ。
しかし、理不尽はただ感じて受け入れるだけのものではない。
大切なのは、事後。
起こってしまった理不尽に、どう対処するかが重要なのだ。
それを踏まえて、ユリは周囲を見渡す。
自分を見る、人、人、人。
恐怖や好奇と言うこれまた慣れ親しんだ視線が突き刺さる。
(ど、どうしたらいいんだろう……)
理不尽な目にも、好意的ではない視線にも慣れていたユリだが、ここは『キロウ』ではなく、地球である。しかも、何時も一緒に居た二人も、今はいない。
途端、どうしたらいいか解からなくなる。かつて、受動的で内気だった彼女が顔を出してくる。
別に、一人では何も判断が出来ない、と言う訳ではない。
むしろ、三人の中で、最終決定はいつも彼女がしていた。
だが、専ら最初に意見を出すのはダイキの役目で、それをモエが纏めつつ、最後にユリが決める、と言うのが彼らのスタンスだった。
何もない状態からするべきことを自分で見つけるのは、正直苦手だった。彼女は二択を躊躇いなく選ぶのは得意だったが、選択肢を作ることが不得手なのだ。
そこで。
『ユリ』
(ダイキさん……)
ユリの頭に、頼れる兄貴分、ダイキの顔が浮かぶ。
何時も自分達を引っ張ってくれた、切り込み隊長。
そうだ、ならば、自分は彼の考えをトレースすればいい、ユリは考える。
――こんな時、あの人は――
『全部、ぶっ壊してしまえ! 主に世界観とか!』
(……はいっ! 解かりました!)
誤解なき様に記すが、ダイキはこんな物騒でメタな事は言わない。あくまでユリの考えである。
本人はもう少し理知的な人間である。多少のネジは吹き飛んではいるが。
ともかく、ユリは脳内ダイキのアドバイスをしっかりと心に刻んだ。刻んでしまった。
と、更に。
『ユリ』
(モエさん……)
『アタシのおっぱいを揉む権利をあげる』
(ああああ、ありがとうございますぅ! え、えへ、えへへへへ……)
最早アドバイスでも何でもない。脈絡もない。
もう記すまでもないが、モエは絶対この様なことは言わない。ユリの願望と言うか、空想と言うか、妄想である。
ユリは何時の間にか口から垂れていた涎を裾でぬぐい、そのまま、倒れている不良たちに指を突きつけた。
こんな時、言うべきことは、成すべきことは――――
「……我が勝利、夜と共に!」
そう、勝利の言葉と勝利のポーズ。
彼女は、なんというか、色々残念な子だった。
場に気持ち悪い程の静寂が奔る。
(キメ台詞入ったー!?)
周囲の人たちは、謎の少女の謎の奇行に言葉を出さず心中で思う。
無論、『今は朝だ』と言う至極最もな意見を言える猛者は、この場には居なかった。
そう、いまや彼女を止められるものは、近くにはいないのだ。
まさしく、世界は理不尽である。