第二十四話:離別と終焉の冥土レイドヘブン(中編)
ユリの独白を聞いたサクラは、碌に考えが纏まらなかった。
だが、それでも彼女は口を開かずには入られなかった。
「な、なんで……!」
「ん?」
「なんでっ、あんたは! そんな、そんな……!」
だが、サクラの口から出たのは意味のない言葉の羅列だけ。
言いたいことも、聞きたいことも一杯あった。
なぜ今になってユリがそんなことを言うのか、どうして、なんで。私に。
分からない。理解できなかった。
疑問は募るばかりで、他に何も考えられない。サクラは、ただ己の感情のままに、ただ疑問をぶつける。
「あんたは……あんたは! あのっ、あのケーキを美味しいと言っていた! この前一緒に食べたハンバーガーを、美味しいと言っていた! あれは……あれは、全部嘘だったの!?」
「そうだよ?」
「っ!」
サクラは絶句した。
それは、正真証明、拒絶の言葉だった。
彼女達の関係に一つのボーダーラインを引く、致命的な言葉だった。
ユリは、笑顔を崩さない。
「私だって、そこまで空気読めないわけじゃないよ。私のことをよく知らない人に、味も匂いも何にも分かりません、なんて言ったら、ドン引きされちゃうもんね」
「あんた……!」
そこまで言ったサクラではあるが、二の句を繋ぐことは出来なかった。
嘘だった。偽りだった。
じゃあ、もしかして、今浮かべている笑みも、今までの笑いも、一緒に笑ったことも、全部が全部――
「……怖い?」
そこまでサクラが思ったところで、ユリが首を傾げて尋ねた。
サクラは何も言わなかった。言えなかった。
それは間違いなく、ユリの問いに対する『肯定』だった。
「……私は、『私』が一番嫌いだった」
再び、ユリが語りだす。
辺りに人はいない。空には星もない。天には月もない。
周囲にある無機質な街灯だけが、二人を照らしていた。
「弱い私。泣き虫の私。役立たずの私。何も出来ない私。キロウに召喚されても、やっぱり私は変わらなかった」
思い出すように、懐かしむように、だけど忌々しげに――
夜の少女は笑いながら語る。
「結局、受身で待っているだけじゃ何も変わらないんだよ。キロウに召喚されて、役に立たないと分かった瞬間捨てられて……それでも何も変わらない。モエさんやダイキさんに迷惑を掛けても、それでも私は役立たずだった」
笑顔は変わらず。ただ、ユリは言う。
「だから、私は望んだ。弱い私は要らない。かつての私は要らない。マトモだった私が弱いのなら、マトモである必要もない。必要だったのは、必要なのは、強い私」
サクラに言葉を挟ませる隙を与えずに、ユリは両手を広げ、天を見上げる。
夜の全ては彼女のもので、全ての夜とは、つまり彼女そのもの。
ユリはサクラに視線を合わせた。
少女の瞳はいつも通り鋭く、いつも通り黒く、かつてなく寒々としていた。
「怖いと言うのなら怖がれよ、佐倉桜。お前の眼の前に居るのは、強い私なんだ」
ユリは息を深く吸った。
そして、浅く吐く。
吐く。
吐く。
吐く。
呟く。
「恐怖に溺れて、泣き叫べ」
少女の体から、恐怖と絶望の『黒』が、勢いよく放たれた。
――天鎧。其れは魂の鎧。
「ひっ!?」
その天鎧は、サクラが見た今までの物と違った。
かつて屋上で見たものとも、ニュクスを制裁したときに見たものとも違っていた。
それは、サクラの為に、サクラに向けて放つ、ユリの『敵意』だった。
ただただ圧倒的な恐怖。ともすれば、原初の本能、死への恐怖さえ連想させる、恐惶の黒。
極上の恐怖を身に受けて、サクラは体の震えが止まらなかった。
膝がガクガクと笑い、息苦しささせえ感じる。
だけど、サクラは。それでも。
「ぅ、ぁ……う、く、ぅ……く、そ」
「む」
踏み留まった。
サクラは屈さなかった。逃げなかった。その場に居続けていた。
屈したかった。逃げたかった。出来る事なら、意識を投げ出したかった。
だけど、サクラはその場から離れなかった。ユリの目の前から離れなかった。ユリから目を放さなかった。
理由を挙げるとすれば、それはただのちっぽけなプライドだった。
だって悔しいじゃないか。
突然よくわからないことをカミングアウトされて。
突然威嚇されて。
突然拒絶されて。
それなのに、どうして逃げることが出来るのか。
理由も意図も何もかも不明のまま、どうして目を逸らすことが出来るのか。
それは、あまりに稚拙。あまりにも無謀。あまりにも暴勇な行動だった。
圧倒的なレベル差。絶対的な力量の差。無常にある経験の差。ニンゲンとバケモノの差。
例えばここでユリが力を振るったとしたら、サクラはあっと言う間に肉壊へと成り下がるだろう。
バケモノとニンゲンが戦っても、それは最早戦いではない。ただの蹂躙だ。
サクラは、分かっていた。
自分の力では、この少女の足元に及ばない。
レベルを視れるサクラは、彼奴がの戦力差をきっちりと分かっていた。
分かった上で、それでも。
恐怖を感じて、だけど。
死ぬかもしれない。殺されるかもしれない。それでも、だけど。
サクラは逃げない。
夜に向けて、サクラは吼える。
「ちっくしょうッ、なめんなオラああああああああああああああああああ!」
佐倉桜は、逃げなかった。
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学生・サクラ
種族:人間
性別:女
年齢:14
レベル:20→30
通称:『さっちん』
備考:ただそこにある意地、あるいは信念。恐怖を突破。レベル+10。
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また一つ、サクラは壁を越えた。
それは、矮小な障害だった。
問題も疑問も何も解決しない、小さいな小さな壁だった。
本気の夜と合間見えるには、深淵に近づく為には、まだまだ奥に巨大な壁が聳え立っている。
サクラは、未だユリの想いに近づくことは出来ない。
出来ないけども。
「い、言ったでしょ!? あんたが何を言おうがっ、どうしようが! あ、あたしは屈さない! なめんな、なめてんじゃ、ねぇッ!」
それでも、サクラは此処に居た。
正面からユリを見据えていた。
サクラは瞳をぎらつかせて、そしてどこまでも真っ直ぐ、ユリをその目に捉えていた。
彼女は夜に吼える。
未だ遠くても、届かなくても、それでも、サクラは叫ぶ。
「あたしはッ、あたしはなぁッ! あんたがナニモンだろうが、バケモンだろうがヨルだとか終わっているとかなンとか、ンなもんどーでもいいんだよっ、クソがッ! なめんな見くびんなふざけんなぁあああああああ!」
他に誰もいない夜の通りで、少女の絶叫が迸った。
その響きには決意が乗っていた。意地があった。信念があった。
サクラ自身、自分が何をしたいか、ユリに何をして欲しいか、自分と彼女の間に何があるのか、それは何もかも分かっていない。
分からないけども、それでも、サクラは逃げたくないのだ。夜から目を逸らしたくないのである。
その叫びを受けて、ユリは顔から笑みを消した。
「……そう。でも、私から言う事は、もうない」
表情を読まれない為に、抱いている感情を悟られない為に、ユリは無表情でサクラに向け手を翳す。
「だから、ちょっと眠って貰うよ」
「っ!」
その行動の意図を問えば、結論だけ言えば、それは『逃げ』である。
サクラの真正面からの咆哮を受け、己の『恐怖』に屈しない彼女を見て、ユリの方が『恐怖』を感じてしまったのだ。だから、逃げた。
サクラそのものに恐怖を感じたのではない。蛮勇を発揮している『彼女の未来』に恐怖を抱いてしまったのである。
自分に対して無謀な行動をするのなら、まだいい。
しかし、それが自分ではなく、だけど自分の様な『バケモノ』に対して向けたのなら――
だから、ユリは恐怖による制圧ではなく、ただ純粋な能力の差を見せ付けることにしたのだ。
この場であっさりとサクラを無効化すれば、彼女は『キロウの異常性』を認識出来るだろう。
――いや、認識して欲しい。分かって欲しい。
彼女の行動が、その感情が、どれだけの危険を孕んでいるか。
もっと言えば、『最悪の夜の近くにいる』ことが、それだけでどれだけ命を脅かすことになるのか。
ユリは誰とも言えない何かに祈った。
願うならば、サクラが諦める様、何者かに祈りながら、彼女は『一つの終わり』を起動しようとする。
しかし。
「ヒュプノス、起ど」
「エーテルドライブ・アクセラレーション」
その瞬間、風が吹いた。
「臆病風・呪い封じ」
気だるげな感情が乗ったその言葉と共に、この場に緩い風が流れた。
すると、ユリが今起動しようとした『ヒュプノス』、先に発動していた『レーテー』も、その風に打ち消されてしまった。
「これは……まさか」
ユリは、辺りを見渡しながら呟いた。
彼女は、この『魔法』に覚えがある。
それは、かつて、レベル差がありながらもしつこく自分達を追い掛けて来た、ある男がよく使っていたものだ。
これによりニュクスの起動能力を封じられ、しかし力づくで排除しようとすれば全力で逃げに入る、そんな何をしたいのか最後まで分からなかった、正しく風の様に捉えどころのない、とある国の王子。
最終的には魔力が尽きた所を突き、ユリがヒュプノスをぶち当てたのだが……
だけれども、風は、再び夜の前に姿を現したのだ。
一人の少年がふらりと、二人の少女の前に姿を現す。
少年は眠たげな瞳で、右手に青白く輝く槍を持っていた。彼の身の丈ほどの、細身の槍だ。
そうして、彼は対面する二人を見て、深くため息を吐く。
「はぁー、もう! なにやってんだよ俺は……」
『まぁ君も男を見せるべきだと思うよ、たまには』
「キャラじゃないことはしたくないんだよ、あー、くそっ……だるい眠い帰りたい」
少年が愚痴を零せば、持っている槍が彼と同じ声で返す。
彼は、二人の少女にとって見覚えがある少年だった。と言うか、つい何時間か前まで、同じ場所で授業を受けていた少年だった。
「……あ、あんた」
「……よう、佐倉。お前も難儀だな」
震える声でサクラが目を向けると、少年は頭をガシガシと掻いて彼女を労った。
一方、驚愕しているサクラを他所に、ユリは特に驚いた素振りは見せず、少年に、否、少年の槍に向けて声を掛ける。
「やっぱり、『入っていた』んですね、王子サマ」
『ふふ、久しぶりだね、勇者。ま、今の私はただの神器だけどね』
「……死んだんですか? やっぱり」
『死んだよ。きっぱり』
「じゃ大人しく成仏して下さいよ。なんで此処まで来るんですか」
『君に会いに来た……と言えば?』
「……しつこいったら有りゃしない。あなた、何なんですか?」
『ふふふふ』
苦々しさを隠さない勇者と、飄々と笑う青白い槍。
ユリは、埒が明かないと、今度は槍ではなく少年に向かって言う。
「さて、何の用? ……プリンス」
「今更だけどお前俺の名前知ってる?」
「興味ない」
「おお、ばっさり……」
少年の切ない疑問は夜には届かなかった。
届かなかったが、風は吹いていた。ただ自由に吹いていた。




