第二十三話:離別と終焉の冥土レイドヘブン(前編)
「うぅぅん、時が経つのは早いねぇ、あーんなに小っちゃかったミカンが、こんなに大きくなって……」
「そ、ソウダネおねぇちゃん!」
ミカンを膝の上に乗せながら、満足げに頷くサクラ。その目は焦点があってなかった。
座っている、否、座らせられているミカンは、なんとか笑顔を浮かべようとするが、結局は頬が歪にせりあがっただけだった。その目は焦点があってなかった。
「おい、あいつとうとう過去を捏造し始めたぞ」
「流石のミカンもこれはキツイか」
「拙者が言うのもアレでござるが、彼女はもうそう言う店に行った方が……」
「ホントお前が言うなよ」
「ここはSMプレイと姉妹なりきりイメージプレイが出来るケーキが美味いお店」
「そこらの風俗店とは格が違うな」
「メイド喫茶だよご主人様共ぉ!」
ツバキは至極正論をファイブキラーズとサムライにぶつけた。
今やこの店自体が巨大なボケの塊で、突っ込みどころ満載だったが、それでもツバキは諦めていなかった。
軽く店内を見渡す。
茶髪の少女とロリメイドはイメージプレイ中。まぁ今は大人しくしているからいいだろう。ツバキはあの不毛な擬似姉妹を見逃した。
件の電波メイドは、新しく来た客を相手していた。
「はぁい、ご主人様ぁ、紅茶のおかわりですにゃーん、じょぼぼぼぼぼー」
「ほう、良い太ももだ」
ツバキは目を逸らした。一応、ちゃんと接客出来ているので、とりあえずは良しとした。
そして、残るメイドと客を見る。
筋肉が好きなランと、胸に執着する少女、ユリ。
「……」
「んぅー、ユリちゃんの筋肉凄いなぁ……どうなってんだろ、これ」
おや、とツバキは軽く眉を潜めた。
ランは以前の様に遠慮なくベタベタと少女の二の腕を中心に弄っていたが、対する少女は為されるが儘で、ぼうっと視線を彷徨わせていた。以前は散々ランの胸を揉んでいたのに、だ。
――もしかして、先ほど店長が彼女を呼んだことと何か関係があるのだろうか。
ツバキは形の良い顎に手を当てて考える。どういう繋がりかは知らないが、店長のナデシコとあの少女は知り合いらしいし、もしかしたら、何か嗜める言葉を少女に向かって言ってくれたのかも知れない。
(どうせなら、この場の全員を嗜めて欲しかったけど)
尤もである。
ツバキは軽くため息を吐き、一旦思考を止めて、奉仕と接客と突っ込みの仕事に戻った。
彼女の仕事は多いのだ。
さて、ユリの筋肉を触りまくっているランは、ツバキと同じく疑問符を上げていた。
以前は筋肉を触らせて貰うことと引き換えに、己の胸部をユリに触らせていたのが、今日はランが一方的に触り、ユリは彼女に対し何もしなかった。
「……今日は、揉まないの?」
「まぁ、そう言う日もありますよ」
ユリの返しに、そうなんだ、とランは一つ頷いた。気分的なものなら仕方ない。そう思った。
しかし、ユリのことをもう少し知っている人間が彼女のこの発言を聞いたら、恐らく耳を疑うだろう。 だけれども、それが出来る人間は、今別のことに夢中だった。
おかしくなっているか、おかしくなっているか。様はおかしくなっているのだ。
だから、誰もこの異常事態について、何の疑問も抱かなかった。
それなら、と一旦筋肉を触るのを止め、ランは席を立ち、ユリの前にケーキが乗った皿を置く。
「あ、じゃあケーキ食べる? 当店イチオシのチョコレートケーキだよ!」
「……ん、じゃあせっかくなんで」
ユリは、薄く笑った。薄く、儚く、誰もが作り笑いだと見抜ける様なその笑顔は、だけどランは気付かなかった。
ランは優しく、気遣いも出来る人間ではあるのだが、他人の感情の機微は見れない、そんな人間だった。
そうして、今、ユリを見ている者は誰もいない。
少女は丁寧にケーキにフォークを刺し、欠片を拾って口に入れる。
ゆっくりと咀嚼し、飲み込む。それはケーキだけではなく、ユリに渦巻く感情ごと、彼女は飲み込んだ。
ランは笑顔でそれを見届けて、問う。
「どう?」
「ええ、美味しいですよ……とっても」
ユリがランに見せた笑顔は、完璧なものだった。
そしてその笑顔は、かつて、ユリが最も浮かべるのが得意な笑顔だった。
無論、ランにその事がわかる筈もなく。
「いっぱいあるからね! サービスしちゃうよ!」
それは、ランにとっては『無欠の善意』だったが、ユリにとっては『無意識の悪意』だった。
「……ありがとう、ございます」
ユリは笑う。ただ笑う。瞳を漆黒に染め、それでも笑う。
その後。
いい加減夜も更け、とりあえず、中学生であるサクラとユリは帰宅することにした。
モエはもう少し仕事が残っているとのことなので、二人きりの帰路だった。
人通りが少ない道を、二人の少女が歩いている。会話らしい会話もなく、ただ歩いていた。
(……なんか、なんかヘン)
先ほどまではミカンに未練タラタラだったサクラであったが、歩いている内に妙な違和感を彼女を襲った。
まず、ユリが無言、と言うのも珍しい。だいたいにおいて、ユリは中身がなく意味もない話を自分勝手に展開するのが常なのだ。
だがしかし、それを差し引いても、まだ違和感が残った。ユリが無言である以上に、サクラは他に気になることがあった。
黒の少女を見る。何時も通り小柄で、何時も通りの黒髪。何時も通りの童顔。
だけど、その瞳は。
「あんた……なんかあったの?」
「ふふっ、どうしたの、急に」
サクラの、ある意味脈絡もない問いに、ユリは笑って聞き返した。
その笑みは、ただ笑顔でしかなく、サクラはそこから情報を得ることが出来なかった。
だけど。
「いや、なんつーかさ、上手く言えないんだけど……」
自分でも良くわからないけど、そう前置きして、サクラが言う。
何時も通りのユリ。変哲もない笑顔。
だけど、その笑顔には。その顔にある瞳は。
「凄く、冷たい目をしてる」
そうサクラは言った。
普段は爛々と黒い輝きを放っているユリの瞳は、だけど今は、どこまでも冷たく、凍えるような、そんな色に思えた。少なくとも、サクラはそう思った。
言ってから、サクラは己が突拍子もないことを言ったことに気付き、恥じらいを隠すように頬をかく。
「は、ははっ、何言ってんだろ、あたし。忘れて忘れて」
「……」
ユリは、何も言わなかった、
――パチン。
何も言わず、何の感情示さず、ただ指を一つならした。夜が覆うこの通りに、朗々と響く。
サクラはそれが何の意図を表していたのか分からなかった。
もしかしたら何か意味がある行動なのかも知れなければ、いや、いつもどおり特に意味のない、ただの気まぐれなのかも知れない。
なんとなく居心地を悪く感じ、サクラは口を開く。
「あ、そ、そう言えばさ、あんた、ケーキばっか食ってたみたいだけど、好きなの?」
その素朴な疑問は、だけど、特大の地雷だった。
そして、ユリはそれを踏むのを待っていた。
少女は笑う。笑う。笑う。
「……あははっ、まぁ、昔はね。今は、ふふっ、そんなに」
「……そうなの?」
「うん、だって」
ユリは軽くステップを踏んで、サクラの前に躍り出た。
二人の間に距離が出来る。
ユリは手を後ろに組んで、事も無げに、言う。
「私、味覚ないし」
ユリの顔には笑みだけがあった。
「……え?」
サクラは間抜けに口を開いた。
ユリが何を言っているのか、意味が分からなかった。
分からなかったが、それが冗談でもなんでもない、ということだけは、何故か理解出来た。
ユリは、そんなサクラの様子に、ただ笑みを深くする。その瞳は相変わらず、黒いまま。
「私って、ほら、『夜』だから。終わっちゃっているんだ。視覚、聴覚、触覚なんかは『夜』のスキルで補えるけど、嗅覚と味覚は駄目なんだよね。まぁ私そもそも物を食べる必要がないから、別になくたっていいんだけど」
「え、は? な、何言って……」
「夜は終わっている種族、終わらせる種族。だから、戦闘に関しない感覚はオミットされるんだ。その分、他が鋭くなるんだけどね」
「よ、夜……?」
「あれ? モエさんから聞いてないの?」
――こいつは何を言っているんだ。
サクラは少女が紡ぐ言葉を、飲み込むことが出来なかった。
味覚がない。嗅覚がない。物を食べる必要がない。終わり。夜。
『あの子は終わっている』
ふと、以前姉であるモエが言った言葉が、サクラの脳裏を過ぎった。
あの時は何の意味も分からなかったが、つまり、『終わっている』と言うのは――
「私、ほとんど人間じゃないの。ちなみに不老なんだ」
それが、『夜』なのだ。
終焉と孤独の存在。
廻る世界で、終わりを齎す終わっている存在。
「は……?」
「あっちでは、ユウシャと名乗っていたけどさ」
サクラの困惑をした様子をまるで無視し、ユリが言った。
どうしようもなく笑顔で、どうしようもなく終わっていて、ほとほと手が付けられない、そんな存在の『夜』は、ただ、語る。
「さっちんが言ってた通り、ヒトと敵対していた魔王と同じくらいには、私は恐れられていたね」
楽しそうに、もしくは苦しそうに。
嬉しそうに、もしくは悲しそうに。
ただありのままの言葉を、ユリは口から出した。
「ぶっちゃけ、ユウシャって言われるよりかは、バケモノって言われた数の方が多かったよ」
――まぁ、キロウには『勇者』なんて言葉はないんだけどね。
そう笑って言うユリ。顔はどこまでも笑顔があって、瞳はどこまでも黒かった。
朗々と、淡々と、ただ語る。誰に聞かせる訳でもないように、只管語る。
「別に、死なないわけじゃないんだけどさ。殺せば死ぬし、傷も負えば、疲れもする。血だってちゃんと流れているし。まぁ真っ黒い血なんだけど」
『終わっている存在』は、だけど終わらせることが出来る。
他人の手で、彼女は『終わり』を迎えることが出来る。
だけど、そんな彼女は、それでも、『人間』ではないのだ。
そう――
「だけど、だから、それでも。私はもうほぼ人間じゃない。バケモノ、それで大体あってる。さっきも言ったけど、食事だとか、そんな『人間らしい』行為は要らないんだ」
――彼女は夜。どこまでも黒い、闇の化身。
「肉体を構成する要素や物質は、夜になれば自動的にチャージされる。便利だよ、これ」
――キロウにおける正式名称は『終焉存在・蓋棺の夜』
世界最悪で、忌み嫌われ、終わりを与える終わり。
「つっても、その代わり成長とかしないんだけどね。死ぬまでこのまま。一生ペチャパイなのが心残りかなー。なんつって」
そんな彼女は、ただしくバケモノなのだ。
それが、それこそが、湯久世ユリと言う少女だった。
解説。
前々から「これシリアスになんの?」「コメディーでいいじゃん」「おっぱい」
などと、色々なご意見を頂いていました。
これに対し、一つだけ。
この話はコメディーです。この物語におけるシリアス的な要素は、コメディーを底上げする付属品でしかありません。
理由はと言うと、僕自身が正統なコメディーを書くことが出来ないからです。
最初から最後まで愉快痛快なお話が、どうしても書けない。途中で勢いがなくなってしまう。
それを防ぐために、重い設定や暗い話展開を混ぜることでメリハリを付ける様にしているのです。
更にもう一つ、これは僕個人の嗜好なのですが。
僕は、過去に何か苦しい目にあったり、悩んだり、傷ついたり、そう言った人が、現在は(もしくは未来で)明るく、前向きに、楽しく愉快に痛快に笑い笑わせる、そう言う展開が好きなのです。
あるいはそれはキャラクターの崩壊に繋がり、言ってしまえば中途半端、どっちつかず、そうとも捉えることが出来るでしょう。
それでも、僕は、この小説おいては、この書き方を止めるつもりはありません。
感想はなんでも受け付けます。「つまらん」「ぼけ」「かす」「おっぱい」なんでもどうぞ。甘んじて受け入れます。
しかし、この『シリアスを踏み台にするコメディー』は、止めません。最後まで貫きます。
らしくなく長々と書いてしまいましたが、これがこの話の本質です。出来るのならば、終わりまでお付き合いしていただければ幸いです。どうぞ、よろしく。




