第二十二話:メイド・レイド・ヘブン(後編)
「な、なに、して、んの……」
サクラは声を震わせながら、ゆっくりと言った。
妹(妄想)に会いにメイド喫茶を訪れたら、姉(現実)がメイドだった。
前半部分からして常人には理解不能だったが、本人である佐倉サクラにとっても正しく意味不明だった。
言われた姉であるモエは顔にある表情筋を全力で操り、何とか笑顔を作ろうとする。
だが結局、その笑顔の様なモノは、歯痛を我慢しているとしか思えないぐらいに歪んだものだった。
「ひ、人違いですぅ。えへ、えへへへへ、にゃん、にゃん……」
「いや、無理があるでしょ……」
にゃんにゃんもすっかり意気消沈だ。
サクラがげんなりした表情でモエを見つめており、サクラの隣にいた少女――湯久世ユリはモエの瞳でも顔でも服装でもなく、ただひたすらに胸部を凝視していた。
「このおっぱい……間違いないね、モエさんだ」
「あたしはどっちに恐怖を覚えればいいの? 似合わない事やってる姉? それとも胸で人を識別するこいつ?」
これ以上訳分かんない展開は御免被りたいサクラだったが、そうは問屋が降ろさない様だ。
しかし、いい加減ユリの奇行にも慣れた彼女は、とりあえず、この場で最も度し難い存在である実姉モエに話を聞こうとする。
「……」
しかし、目の前の姉は、何故か黙したままで、更に言うなら顔も歪な笑顔を浮かべたままだった。
いや、もっと言えば、心なしか姿がぶれている様な――
「あっ、これ残像!? もう誤魔化す気もないじゃねーか!」
サクラがそう叫んだ時点で、既に残像は薄れていて、その後のモエの姿を確認することは出来なかった。
それは店員たちも、客も、皆そうだった。
勿論、とある少女、一人だけ除いてだが。
(アサルトステップ発動! とりあえず、一旦ここは引いて……)
一方モエは、殆ど反射的に逃げ出したことに若干後悔しながらも、当座はこの場を離れようと決意していた。
逃げてどうなる訳ではない。特にモエとサクラは姉妹で、一緒の家に住んでいるのだから。
しかしそれでも、考える時間が必要だった。言い訳を練る時間が、姉、もしくは姉貴分の威厳を保つための言い訳を思い浮かべる時間が欲しかった。
なお、そんな時間は彼女に与えられる訳がなかった。
「遅い」
「ぅあ!?」
この店にいる『ほとんど全員』に視認出来ない速度で、この場を離脱しようとしたモエは、この場で唯一視認出来る者に捕まってしまった。
その人物であるユリは、両腕の肘に位置する部分から『黒い触手』を出していた。
彼女から出でる二本の黒い触手が、モエを超えるスピードで猛追した後、まるで縄で縛るが如く彼女の半身をぐるぐると巻き、捕らえたのだ。
空中に居る状態で簀巻きにされたモエは、無論、あっさりと床に墜落した。
身動きが取れなくなったモエではあるが、この触手程度ならば、彼女になら楽に突破は出来る。出来るのだが。
「……アサルトステップは、最高速度への到達と残像数の増加に時間がかかります。初速だったら、黒夜展開の方が何よりも早い」
無様に転がるモエを睥睨しながら、ユリはにっこりと笑った。
「抵抗は、無意味ですよ?」
「ううううう!」
モエは、抵抗の意思を捨てた。上げたうめき声は、彼女の断末魔だ。
こうなった以上、もう何をしても不毛なだけである。
仮にこの触手を抜けても、それでもユリは追ってくるだろう。
そうしたら、如何に『世界最速』のモエでも全力で逃げなければならない。それこそ、考えている暇もない程に。
考える為に逃げ出すのに、考えられない。之ほど無駄な行為はないだろう。それが解るぐらいにはモエはまだマトモだった。
モエはがっくりと頭を垂れ、ユリは勝ち誇った様に右手を上げた。
「我が勝利、夜と共に」
「やっぱりこいつが一番こえーわ」
サクラを悩ます謎は日々増える一方ではあるが、今日、この場で一つの謎が解けた。
ユリは怖い。まぁ今更ではある。
「スゲェな。最近のメイドは残像が出せて、最近の女子中学生は触手が生えるのか」
「時代は変わったのでござるな……」
こんな時代が来て堪るか。
ユリとサクラ、及びモエは、話し合うために店のバックヤードに居た。店長は苦笑いを浮かべていた。
他の者たちはと言うと、ランは『ほへー、凄いですねぇ』と呑気に良い、ミカンは『やっぱり、あいつらはおかしいんだ』と納得した様に頷き、ファイブキラーズとサムライは『日本の未来は明るいな』とよく分からない話をしていた。ツバキの目は死んでいた。
さて置き。
「……と、言う訳よ」
場所を借りて、モエは二人に事情を話した。
何かを考える暇もなかったので、店長に話した、有りの侭の理由だ。
それを聞いて、ユリは。
「馬鹿ですか」
一蹴した。冷たい声だった。
かつて見たことも聞いたこともない妹分の暴言に、モエは狼狽を隠し切れずに言う。
「なっ、何を言うの!? アンタ、アタシに向かってよくも――」
「姉さん」
「……な、何、サクラ、怖い顔して」
モエの発言を遮り、サクラは己の姉と向かい合った。
サクラの声は、奇しくもユリと同じく、絶対零度の冷たさを放っていた。
「脳みそに蛆でも沸いてんの?」
「ぐふぅ!」
これが俗に言う『クリティカル』である。
妹分と実妹に見放されたモエは、いじけた。
「だって、だってダイキが萌えないゴミとかなんとか言うから……」
そこまでは言ってない。
ここにはいないダイキ、とんだとばっちりである。
その様子を見かねてか、ユリとサクラは互いにため息を吐きながら、モエに言う。
「……まぁ、別にいいんじゃないですかね。モエさんがそう決めたのなら」
「……納得はしてないけど、あたしがどうこう言う話じゃないし……」
「そ、そーね! そーよね! 萌えを追求するアタシは、正しい!」
中学生二人組は、『間違っている』とは言わなかった。
言っても聞かないだろうし、最早何が正しいのかも分からなかったから。
モエ本人がそう思っている以上、それは正しいのだ。少なくとも彼女にとっては。
こうして、モエは再び立派なメイドになるべく、歩み始めたのだった。
「お帰りなさいませぇご主人様ぁ! にゃんにゃん!」
「お、新人さん?」
「そうにゃん! モエって言うワン! よろしくお願いしますヒヒィン! さ、こちらへどうぞ、にゃんにゃん!」
「馬を挟む意味は分からないが、良い太ももだ」
「ありがとうですぐわぁぐわぁー!」
「ほう、アヒルまで……」
メイドがおかしければ、客もおかしい。この店こそ間違いの権化だった。
しかし、それでも新人電波メイド、モエはそれなりに『メイド』としてやれている様だ。
茶髪と黒髪の二人は、そんなモエの狂ったメイドっぷりを胡乱な瞳で見ている。
「なにあれぇ……あたし、腕に鳥肌出てきた」
「私も、腕にニュクスの欠片が」
『うぐぅ』『はやく』『なおして』『よぉ』『!』
「しまえしまえ。ってか、まだそのままなのかよ」
一体全体、マトモは何処へ行ってしまったのだろうか。
それは誰にも分からないし、きっと、帰っても来ないだろう。
「……ところでさ」
「なに、さっちん」
「姉さん、はっきり言って、頭吹っ飛んでいるよね?」
「まぁね」
「この店も、正直アレだよね。店員も、客も」
「……つまり?」
「じゃ、じゃあ、あたしも、ちょっと、ちょーっとだけ、羽目を外してもいいと思わない?」
「……いいんじゃないかな」
――どうでも。
と言う語尾は、ユリは付けなかった。あくまで心の中に閉まって置いた。
言ったところで、サクラも姉同様、聞かないに決まっているのだから。
「ミッカンちゃぁあああああああああああああん!」
その証拠に、ユリの台詞の直後、サクラは咆哮を上げた。
サクラの問いは別に答えを求めていたわけじゃなく、ただ自分に言い訳しているだけなのだ。
サクラの叫びに、ミカンが決意溢れる、それでも可愛らしい笑顔を浮かべながら反応する。
「わー! おねぇちゃんだー! わーいわーい」
「みみみみみみミカンちゃん、げ、げげげげげ元気してたぁー!?」
「うん、ミカン元気ぃー!」
「ふへへ、ふひひへへへへへへ」
サクラは笑顔だった。
笑顔で、鼻から血液を垂れ流しながら、ミカンを持ち上げて、その場でぐるぐると回転し出した。
ミカンは笑顔だった。
笑顔で、歯を食いしばり、彼女に降りかかる重力を耐えに耐えていた。
普段はメイド失格のミカンではあるが、『メイドは笑顔を絶やさない』と言う条件は、完璧にクリアしていた。
「ああ、ミカン殿、おいたわしい……」
「まぁ、アレも仕事と言うことだろうよ……」
「やっぱり、いい加減に見えてもプロなんだなぁ」
「ぐるんぐるん回されてんのに、笑顔を崩さないからな」
「俺なめてたわ、ミカンのこと」
「ああ見えて二十三歳だしな」
サムライは己の女神の奮闘に涙し、ファイブキラーズ達は少しミカンを見直した。
と、会話する彼らのところに、もう一人の問題児、ユリが近づく。
「お、五人戦隊!」
ユリがそう言うと、五人は一糸乱れず立ち上がり、即座にポーズを取った。
『そう、俺たちは不良戦隊ファイブキラーズ!』
「かっけぇ!」
サービスを忘れない精神とその完璧なハモリに、ユリは拍手を送った。
「よっ! えーと、湯久世、だったか?」
「湯久世ユリ。ユリでいいですよ」
「学校の帰りか?」
「にしては遅い気もするが」
「ええ、ちょっと職員室に呼び出しくらってました」
「またなんでだよ……」
「英語の小テスト、五十点満点で脅威の一点を叩き出したから、ですかね」
「そりゃあもうとんでもないダンクを決めたな……」
相も変わらず、彼女は学業が疎かなままだった。
次いで、ハラハラとミカンを見守っている男に声を掛ける。
「サムライさん、だっけ」
「おお、左様でござる。その節は、ユリ殿にもご迷惑を……」
「いいですよ、別に。おかげで良いおっぱいに出会えましたし」
「ランさんと同じこと言ってるぞ、こいつ」
似た物通しは惹かれあう、と言うことなのだろう。
「ってか、あの茶髪の子、電波メイドの妹だったんだな……」
「全米も納得の姉妹だわ」
メイドを勘違いしている電波ゆんゆんな金髪。
鼻血を撒き散らしながらメイドを振り回している茶髪。
なるほど。確かに血の繋がりを得心させる組み合わせだ。
ファイブキラーズがうんうんと頷いていると、そこでユリが辺りを見渡しながら問う。
「ところでおっぱいさん……じゃなくて、おっぱいメイドさんは?」
「言い直す意味あったのか?」
「ランさんなら今裏に居るぞ。あとツバキさんも」
「客が増えてきたし、軽食とか準備してくるってさ」
「料理担当の店長が用事があるとかなんとか」
「へー……」
そう返し、ユリは再び店内を見渡す。
「たかーいたかーい、ふへへへ、ひひひひへへ」
「ぅぐっむっ……え、えへ、えへへへへ」
同級生は、変わらず妹(妄想)と触れ合いを続けていた。
「ご主人様はぁ、何のお仕事なされているんですかぁ?」
「太ももの研究かな」
「やだぁーすごーい、あげあげぇー!」
姉貴分は、変わらず電波を散らして接客をしている。
そして。
「……」
店長、ナデシコが彼女に向かい手招きしていた。
「……じゃあこちらも済ませてしまいますかね」
ユリは表情を消し、呟いた。




