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第十五話:こんな騎士は嫌だ


「大体さ、数学なんて、それを使わない人間にとっては全くの無益だよね。いや、存在自体が無駄とか、そう言う意味じゃなくて、必要な人が必要な分だけ学べばいいんじゃないか、と私は思うんだよ」

「いいから手を動かせ」

「はい」

「あ、そこ間違ってる」

「はい……」


 夕暮れ時の教室に、二人の少女がいた。

 一人は机に向かいペンを握ってカリカリとプリントに数式を書き込んでおり、もう一人は面倒くさそうに椅子に座ってそんな少女の様子を見ていた。


 ユリとサクラ。

 

 ユリは数学の小テストがあまりにもボロクソだった為、こうして課題のプリントに勤しんでおり、サクラはそんなユリを手伝う為、(無理矢理)彼女たち以外誰もいない放課後の教室に残っていた。


 とは言っても。


 ユリは元々勉学においては優秀な部類であり、現状の惨状は、あくまで彼女に一年以上のブランクがあるからに過ぎない。つまるところ、「忘れているだけ」なのだ。

 事実、基本的な部分をサクラが教えただけで、比較的スラスラとユリは課題を進めて行くことが出来ていた。

 後のサクラの仕事は、思春期に陥りすい『勉強する意義』を考えようとする現象を止めることと、ケアレスミスを指摘するぐらいである。

 なので、正直な話、サクラが帰ったところで何も問題はない。

 だけど、サクラはそこにいた。椅子に座って、ぼんやりとユリを見ていた。


 何故、自分はここに残っているのだろうか、とサクラは思う。


 それは、ユリが怖いから、と言う訳ではなかった。

 この少女から全く恐怖を感じない、と言ったら嘘になるし、得体の知れない、ちょこちょこゲスで傲慢な振る舞いを見せる彼女に、多少なりとも嫌悪感を感じている。


 だけど。


「……あんた、さ」

「なに?」

「……いや、なんでもない」


 サクラは何かを問いかけようとして、しかし止めた。

 そっぱを向いて、頬杖を付きながら外を眺めるサクラ。

 ユリはそんなサクラに疑問符を上げるが、やがてはまた課題に取り組み始めた。




 目の前の少女は、『今』も『昔』も決してサクラの友達ではない。

 以前のユリを、正直サクラは覚えていない。

 流石に存在は知っていたが、それだけだ。

 どんな性格で、どんな喋り方で、どんな人間か、全く知らなかった。

 それくらい、以前のユリは儚く、薄い少女だった。


 だけど、今の少女は。


 『レベル』と言う、サクラは理解不能な概念を、しかし『視る』ことが出来る。

 周囲の人々は、5や6。自分は、強制的に限界を超えてしまい、15。

 15でさえも、サクラは絶対な力を得た気がしていた。

 コンクリートさえも砕けえる、この世界においては圧倒的な身体能力。

 だが、目の前の必死にペンを走らせている少女は。


 ――285。


 格が違う。次元が違う。

 全世界最高のそのレベルは、そしてその恐ろしさは、通常、そんな概念のないこの世界で、『視る』ことが出来るサクラこそが一番理解できていると言ってもいいだろう。


 だが。


 その絶対的な筈の存在は、時には笑って、時には不機嫌になり、課題のプリントを渡されたりしている。

 手に持つ全能なる力とは程遠い、その余りにも普通な行動にサクラは違和感を覚えた。


 そして、サクラは気づいた。

 眠たげにしていた少年を、ユリは『家の手伝いがあるなら』と言う理由で見逃した。

 あのユリが。

 レベル285の少女が。

 普通に人を気遣ったのだ。



 もしかしたら、それはただの気まぐれだったのかもしれない。

 だけど、何故だかサクラは、己が本気で嫌がったら、多分この少女は同じように見逃したのではないのか、と思うのだ。


 根拠も理由もないただの直感だが、それでもなんとなく、サクラはそう思った。

 そして、その『なんとなく』が、放課後をこうして少女と共に過ごす、と言う結論に至らせたのだ。


 なんとなく。

 はっきりしない、あやふやで不透明な感情。

 だけど、サクラは悪い気はしなかった。それを、サクラは受け入れていた。



 その理由は、やはり誰にも解からない。




「我が勝利、夜と共に!」

「……終わったんなら終わったと言え」

「いいの! キメ台詞なんだから!」

「そしてまだ夕方よ」

「いいの! キメ台詞なんだから!」

「あと、イタイ」



 いいんだよ、キメ台詞なんだから。





「あー、ちょっと遅くなっちゃったねー。もう他の生徒もいないや」

「そーね」

「あ、今の、ちょっとモエさんに似てた」


 太陽が沈み、薄暗くなる廊下にサクラとユリはいた。

 課題であるプリントは先ほど教員に提出していて、あとは帰るだけである。

 二人は歩調を合わせて、他愛のない会話をしながらその歩を進めていた。


「そういや、姉さんとあんた、どっちが強いの? やっぱあんた?」

「いやいや、確かにレベルは私の方が高いけど、万が一モエさんと私が戦ったら、モエさんが勝つんじゃない? あのスピードは捉えきれないよ。残像を利用した分身とか出来るし」

「すごっ」

「まぁ私も出来るんだけど」

「出来んのかいっ! ……ってあれ?」

「さっちん、それ、残像」

「ここで!?」


 ――ユリが急にぼやけて二人になったり、色々とおかしい会話だった。

 明らかに普通ではなかった。

 明らかに異常としか言えないものだった。

 だが、それでも二人は並んでいた。

 並んで、歩いていた。


「いやー、憧れるよねー。かっこいいよねー。戦闘中、相手の攻撃が当たるその瞬間っ! 『それは残像だっ!』とか」

「そんな無駄にキリッとした顔で言うんじゃないわよ……」

「ここだとそんなにカッコいい台詞を言う機会はないんだよねー」

「カッコ、いい……?」

「カッコいいの!」


 レベル、性格、価値観、何もかもぶっ壊れているユリと、だけどサクラは普通に、ごく普通に話していた。


 ふと、サクラは思う。思ってしまう。

 

 もしかしたら、本当は、自分もとっくに壊れていて。

 とてもマトモなんかじゃない、そんな存在なのかもしれない。

 だって、この狂気の塊の少女と過ごす時間に、悪い気はしていないのだから。


 だけどやっぱり、そんな思いでさえも、サクラは悪いとは微塵も感じなかった。

 




 と、そこで。



「……あれ」


 とユリが呟いた。

 その歩みを止め、薄暗い道を凝視する。


「どうしたの?」

「あそこに、誰かいる……?」


 とユリが廊下の奥を指差す。

 丁度曲がり角になっているそこは、しかし誰の姿も見えない。


「いないじゃん」

「いや……いるよ。その角の先に」


 とそこまでユリが言ったとき。






「どう思う?」





 低い声が彼女たちの耳に届いた。

 同時に、ゆらり、と奥の角から一人の男が彼女達に姿を見せる。




「君たちは、どう思う?」



 年は20代の前半だろうか。

 スラッとした体型で、高身長。

 廊下に朗々とした、しかし低い声が響く。


 その姿を見て、サクラとユリは絶句していた。

 何故なら――――




「パンティについて、君たちはどう思う?」



 その男は、女物の下着を頭にかぶっていたのだから。

 下着の間から漏れ見えている瞳をカッと見開いて、男が語る。



「パンティと言う言葉は、今時あまり使われない。日本でも1990年代の前半頃までは普通にパンティと呼称されていたが、下着業界が販売戦略のためショーツという言葉を普及させてしまい、近年は特に若年層の女性の会話などにおいてはショーツまたはパンツという呼称が一般的になっているが、口語においてパンティという語が使用されることは比較的少ない。恐らくだが、パンティと言うのはどこか下品さを感じさせてしまうのだろうな。だが、俺はあえてパンティと呼んでいる。何故なら、パンティはパンティであってパンティ以外の何物でもないからだ。パンティがパンティである限り、俺はパンティをパンティと呼び続ける。だから俺はパンティを頭にかぶるのだ。それがパンティであるが故に。そして神が。パンティの神が俺に囁くのだ。『全てのパンティを愛せよ』、と。だから俺はここに居るのだ。元々本来のスゥトゥルァイクゾォーンヌから言うと、この様な場に居るのは俺にとって不本意なものである。だがしかし、神が言うのなら仕方ない。いや、むしろこれは試練なのだ。神が俺の、俺のパンティへの揺ぎ無い愛を試しているのだ。ならば、愛そうじゃないか。OLのパンティだろうが、染みが付いたパンティだろうが、しわくちゃの婆さんのパンティだろうが、――――女子中学生のパンティだろうが」


 ――ゾクッ、と。

 サクラは怖気を感じた。ユリの天鎧とはまた違う、嫌悪感を伴う怖気だった。

 不快な汗が、背筋に垂れるのを感じる。

 男は笑っていた。狂気に満ち溢れた眼で、ユリとサクラを見ていた。


「ふはははははは! 何という全能感! 己にある衝動に身を任せるのが、こんなにも心地よいものだったとは! ならばこそ! 女子生徒よ! 穿いているパンティを渡すのだ! それが、俺を更なる高みへと誘うだろう!」


 サクラは男が何を言っているか解らなかったし、また解りたくもなかった。

 ただ、この男が狂っている、と言うことは解った。

 そして、もう一つ。

 解ったところでどうしようもないことがこの世にはある、と言うことが解った。


 男は鼻息を荒くし、両腕を前にだし、手を開閉し、叫ぶ。


「パンティぱんてぃパンティパンティぃいいいいいいいいいい! パンティが俺の全てを! 俺の存在をおおお! 上に上に上にぃ、どこまでも! 高く高く引き上げるのだぁ! よってぇ! パンティを! 寄越せえええええええええええええええええ!」


 そう言って、男はサクラに向かって走り出した。

 その尋常ではないスピード、そして言動に、サクラは。


「く、来るなっ!」

 

 向かってくる男に右脚を振りぬいた。全力で。

 刹那、しまった、とサクラは思った。

 今の自分の力で、人間を全力で蹴ってしまったら。

 考える迄もなかった。

 しかし、もう脚は止められなかった。

 恐ろしいほどの速度を持って放たれたそれは、突っ込んでくる男の顔面に直撃しようとしていた。


 しかし、


「ぐっ……!」

「……え?」


 サクラは呆けた声を出した。

 常人ならば首がねじ切れても仕方のない程の威力の蹴りを、男は驚異的な反応を見せ、腕で防いだのだから。

 多少苦悶の色を見せたが、男の腕には何の異常もない。

 男は即座にサクラから距離を取り、腕を二、三、ふるふると振った。


「な、中々良い蹴りだ。……少し肝を冷やしたぞ」

(っ! こ、こいつ!)


 男のその様子を見て、サクラは直ちに男を『視た』。

 この世界において規格外である自分の蹴りを、ほぼノーダメージで防いだ男のレベルを確かめるためである。

 通常ならば、この世界の住人は5か6。

 幾人か例外が居るが、それは言わば『この世界のものではない何か』に関わったからだ。

 しかし、何の接点のない筈のこの男は。


(れ、レベル16!?)


 おかしい、とサクラは思ったが、事態はそれどころではない。

 何故この男が通常のレベルより10以上高いのかは気になったが、そんなことを考えている場合ではない。

 今確かなことは、この男は狂っていて、自分よりレベルが高く、そしてパンティを狙っている、と言う事だ。


(そうだっ! レベルと言うならっ!)


 サクラは今まで何も動きがない、隣に居る少女を見た。

 湯久世由里。規格外中の規格外、レベル285。

 この少女なら、たかが16の変態ごとき、容易く蹴散らすであろう。

 そう、サクラは期待を寄せたが、当のユリは。


「さ、さっちん、この人、へ、変態だよぉ……」


 ドン引きした顔をして、ビクビクと体を震わせていた。


「は?」


 サクラは、その、少女としては相応しいが、この少女にはとても相応しくない怯えた様子に、口をポカンと空けてしまった。


「おいコラ」

「な、なに?」

「なんであんたビビッてんの?」


 サクラが柄悪くそう尋ねると、ユリは両腕で自分を抱きしめるようにし、言う。


「だ、だって! 変態だよ、この人! ううう、気持ち悪い……」


 そこでサクラはユリの胸倉を掴んだ。

 もう限界だった。

 突然の出来事にユリは目を白黒させていたが、そんなこと、サクラにとってはどうでも良かった。どころか、この瞬間、あの変態の存在すらどうでも良かった。そんなことより、少女に一言物申したかったのだから。


「あんたが言うなああああああああああああああ!」

「えええええ!?」


 何故か事態の不可解さを理解していないユリに、サクラが更に声を荒げる。


「あんたが、あんたがそれ言う!? 人の胸揉みまくるあんたが!」

「わ、私はここまでじゃないもん! 大きいおっぱいが好きなだけだもん! こんなのと、い、一緒にしないでよっ!」

「え、ええええ……」


 どっちがより変態か、と言うと確かにあの男の方に軍配が上がるのかもしれないが、自分の胸に執着しまくるこの少女が、自分以上にあの変態に怯えている理由が、サクラには解らなかった。


 これはサクラの知らないことだが。

 ユリは、今まで様々なトチ狂った奴らと接触して来た。

 しかし、その中で、ここまで性的に狂ってる奴らは彼女は見たことがなかったのだ。

 近づくやつらは、異様にテンションが高かったり、異常に戦闘狂だったりで、少なくとも表向きには、彼女は性的な目線を向けられなかったのである。

 詰まる所、慣れてないのだ。ここまでの変態に。

 それに関しては、かつての臆病な彼女が顔を出してしまうのだ。


「……美しい」


 ぽつり、と声がした。

 サクラがユリの胸倉を離し、二人がその声がした方向を見ると、黙っていた変態が、恍惚とした表情で(顔半分は下着で隠れていたが、瞳が明らかにイッちゃっていた)、ユリを見ていた。


「美しい美しい美しいいいいいいいいいい! 何ですか貴女は! 女神ですか! おパンティ見せてください! むしろおパンティ下さい!」

「ひっ……!」


 近づく変態。離れる少女。

 その中で、サクラは冷静だった。

 「お」を付ければ丁寧になるもんじゃない、と言いたかったが、そんなことより。

 この男は変態で、ユリは何故か怯えている。

 だが、ユリは世界最高レベルなのだ。

 この男がユリにどうこう出来る所以など有りはしない。

 だから、サクラは言う。


「……蹴散らしなさい! あんたなら出来る!」


 それを聞いたユリは、ハッとした顔になり、怯えていた表情を引っ込めた。

 手を腹部に沿え、サクラに返す。



「わ、解ったよ、さっちん! でも直接触りたくないから……」



 そしてユリは腹部に手を入れた。



「夜に染めろっ、ニュクス!」



 ずにゅ、と言う歪な音を立てて少女の腹部から取り出されたのは、一振りの剣。

 存在する何物よりも黒い、両刃の剣、ニュクスである。



「お、おおお!?」

「こ、これが……!」


 男は少女の腹部から引き抜かれた漆黒の剣に驚き、サクラは話には聞いていた、ユリの持つ神器、ニュクスが放つ威圧感にわずかに声を震わせた。


 ニュクスを両手持ちし、ユリが言う。


「ニュクス、ヒュプノスの準備を! 軽く2、3年くらい眠らせて……!」

『だが』『ことわる』

「……へ?」


 ユリが呆けた声を出した。

 出会ってからずっと自分と共に戦ってきた愛剣に、突然裏切られたのだから。

 困惑するユリを他所に、ニュクスはカタカタと、少女にしか聞こえない声で言う。嬉しそうに。狂気を込めて。


『……みつけた』

『いる』『もの』『なの』『だな』

『やはり』『この』『せかい』『は』『いい』


「ニュ、ニュクス!? 何を言って……!」


 ユリが戸惑った声を出すと、ニュクスは未だ嬉しそうにカタカタと揺れた。


『めんどう』『だ』

『せつめい』『して』『やる』

『こい』


 途端、ユリの思考は黒に塗りつぶされた。




―――――――――――――――



「こ、ここは……?」


 ユリが辺りを見渡すと、そこはひたすらに黒いだけの空間だった。周りには、誰もいなかった。

 学校の廊下から、突如移動したその現象は、だけどユリには覚えがあった。

 一年以上前、ユリがニュクスと契約した際に訪れたここは――――


「ニュクスの、中……?」

『……最弱の世界。キロウのやつらはそう呼んでいるが』


 ユリがそう言った途端、どこからか声が聞こえて来た。

 いつもの様に途切れ途切れのものではなく、しっかりと言ったそれは正しくニュクスのものだった。


『とんだ見当違いだ。ここは「可能性の世界」と言うのが相応しい。今持つ力こそ矮小なものかも知れないが、その内に秘める才能はキロウの比ではない』


 声が響く。

 だが、姿は見えない。

 黒い空間に、ニュクスの朗々とした言葉がただ宙に舞う。


『まさか、お前以外に「マッドネスレセプション」を持っていたやつが居るとは、な。そして、「餌」を撒いたとは言え、こんなに早く会えるとは。ふふふふ、私は運がいい』

「マッドネス、レセプション……? っ! ニュクス、もしかして、あいつを!」


 それには聞き覚えがあった。

 かつて、『夜』になる前に自分が持っていたと言うスキルだ。

 そして、それを感じ取ったニュクスが、自身のそれを『夜』に引き上げたのだ。


 ――と言う事は。



『夜を迎える為に必要なのは、強さや覚悟なんてちゃちなものじゃない。狂気を取り入れ、呑み込み自分のものにする壊れた感性だ。かつてのお前の様にな』

「や、やっぱり……!」


 ニュクスが今から何をするか気付いたユリは、声を震わせた。 

 満足したように、とても嬉しそうに、ニュクスが言う。


『ああ、そうだ』






『あいつを夜騎士にする』




―――――――――――――――





「駄目ぇ!」


 ユリがそう叫んだとき、意識は元の廊下に戻っていた。

 時間の経過はしておらず、突然叫んだユリにサクラと男は目を丸くした。


 ユリの悲痛な叫びは華麗にスルーし、カタカタと、ニュクスは揺れる。


『もう』『おそい』


 瞬間、ニュクスの切っ先から黒い光が放たれる。

 音もなく放たれたそれは、寸分違わず男の眉間に吸い込まれた。




 ――ブラック・クラック・コントラクト。




「あ、ああ、あああああああああああああああああああああああああ!」


 男が絶叫した。音が廊下に反響し、ビリビリと窓ガラスが揺れる。

 そして、男から黒い靄の様なものが噴出した。

 放たれた得体の知れない黒は、しかしサクラはその正体が何か理解できた。


「こ、これ、もしかして……!」


 それは、天鎧。

 『レベル50以上』の者しか纏えない、魂の鎧。

 その意味をサクラが認識する前に、男が哂った。



「あ、ああああははははははははははははははー! 何だこれは、何だこれはああああ! 滾る、力が、滾るぞぉおおおおおおおおおお!」



 男は両手を広げ、高らかに笑った。

 先ほども全能感に満ちていたが、それが矮小に思える程、圧倒的に高まった自分。

 言いようのない異様な高揚感に男が感じ入っていると、何処からか声が聞こえてきた。


『ふむ』『せいこう』『だな』

「こ、この声は……! あなたは、一体!?」


 ニュクスの声に、男は反応した。

 剣が喋る、と言った現象に男は何の疑問も持たなかった。

 それがまるで当たり前のことのように男は捉えていた。


 満足げにニュクスが揺れる。


『わたし』『は』『かみ』『だ』

『おまえ』『に』『とって』『の』『な』

『わたし』『の』『いちぶ』『、』『もうけん』『あーてー』『を』『やった』

『せいぜい』『わたし』『を』『たのしま』『せる』『が』『よい』


「おおおおおお……!」


 男は感嘆の呻きを上げた。

 まるで、己はこの為に存在していたのだ、とでも言う様に。


『これ』『から』『は』

『こう』『なのれ』

『よるきし』『ぱんてぃ』『と』『!』


「夜騎士、パンティ……!」



―――――――――――――――




 夜騎士・パンティ

 種族:変態

 性別:男

 年齢:21

 レベル16→66

 武器:妄剣『アーテー』

 通称:『変態』

 備考:夜騎士が壱の剣。ニュクスの加護を受け、妄剣『アーテー』を授けられる。レベル+50。先天技能『マッドネスレセプション』が後天技能『夜騎士』に昇華。レベル50の壁を突破。技能『天鎧』が限定解除。変態。




―――――――――――――――




「…………終わった。ははは……」


 ユリがペタン、と床に尻を着いた。

 カランと音を立ててニュクスが手から離れたが、ユリはただ虚ろな表情で視線を彷徨わせていた。

 サクラはその様子に何も言えなかった。

 と言うか、状況が理解できなかった。彼女にニュクスの声は聞こえないのだ。


 男、――パンティが言う。


「我が神よ! 俺は、どうすればいいのですか!?」


『いま』『は』『そのまま』『で』『いい』

『きょうき』『に』『み』『を』『まかせ』『て』『いろ』

『なにか』『あった』『ら』『よぶ』


「有難き幸せ……!」


 そう言うと、パンティは廊下の窓ガラスを開け、縁に足をかけた。


「では、我が神と我が女神よ! 何れまた!」


『うむ』

『ぞんぶん』『に』『くるえ』


「ふぅーははははははははははー!」


 そういい残し、無駄にドップラー効果を発現させながら、パンティは窓から飛び出し、やがては見えなくなっていった。



「なにこれ……」


 今までに起きた全ての現象に関するサクラの感想がそれだった。

 訳が解らなかった。


「ふふ、ふふふふふふふふ……」


 そこで、妙に哀愁漂う笑い声がサクラの耳に届いた。

 その方向を見ると、もう姿も見たくないと言わんばかりにニュクスを素早く腹部に戻し、そして未だ放心状態で居るユリの姿があった。


 蚊が鳴くようなか細い声でユリが言う。


「夜騎士って言うのはね、さっちん……」


 夜騎士。それは、先ほど男が言った言葉だ。

 ――夜騎士、パンティ。

 あの男は、どうやらそう言うらしい。 


 最早泣き出しそうな顔で、ユリが言葉を紡いだ。


「私の部下、と言うより一部みたいなものなんだよ。私を、夜を守る為の、騎士。……だから、私の感覚とかが、あいつと繋がっちゃうんだ。いざと言うとき、私を守れる様に」

「そ、それは……」


 またも、サクラは何にも言えなかった。

 こう言う時、なんて言えばいいのか彼女は解らなかった。


「……嫌だよぅ、あいつが、……モエさんやダイキさんじゃなくて、あいつが私と一番近いなんて、嫌だよぉ……!」


 震える声。震える体。

 それを見たサクラに、何か説明できない感情が生まれた。

 同情だろうか。憐憫だろうか。

 その理由は、彼女には解らなかった。

 解らなかったが。


 ぽん、とサクラはユリの肩に手を置いた。

 思っていた以上に細いそれに、サクラは少し驚きながらも、言う。


「……あたし、お腹減ったな」

「さっちん……?」

「ハンバーガー、奢ってあげる。……いこ?」

「さっちん……!」


 理由なんて考えるのを止めた。

 人に優しくするのに、理由なんて要らないのだ。




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