1-3
次の日。僕は詩音との待ち合わせ場所へと向かっていた。
駅前はある程度は開けているものの、それほど大きな駅という訳でもないから、詩音が来ればすぐにわかるだろう。
まだ一時までには少し時間がある。早く来すぎたかもしれない。
なんだか楽しみで仕方ないみたいだったけれど、たぶん実際にそうなのだろう。
可愛い女の子と二人で出かけるって、そりゃあもうデートだよね。デート。正直僕はほとんど女の子と出かけたことなんてない。幼なじみの凪とであれば、何回は遊びにいったことはあるけれど、二人きりなんていうのはそれほどない。
七海と出かけたことならそれなりにあるけれど、さすがに姉はノーカウントだろう。
だからこれは僕の初デートなのだ。浮かれてしまっても不思議はないと思う。
七年前はどうだっただろうか。ふと考えがよぎる。
あの頃は男女であることなんて、そこまで意識していなかった。もちろん多少は考えたかもしれないけど、まだただの仲の良い友達であったと思う。
でもこうしてもういちど出会った今は、二人の関係は変わってしまっているとは思う。空白の時間があるだけに、どうしても成長が意識を変えてしまう。
そういう意味では凪とは長い付き合いで、ほとんど関係性は変わっていない。幼なじみとして長い間一緒にいただけに友達である意識は強いかもしれない。
夏休みだから凪と会う機会もしばらくないかもなとは思って、少しだけ寂しくなる。連絡先は知ってはいるけれど、凪は部活が忙しいだろう。野球部のマネージャーは、思っていたよりもやることが多いらしい。
「何が多いのかな」
「うわぁ!?」
耳元に響いた声に、思わず大きな声を漏らしてしまう。
「し、詩音」
いつの間にかすぐ隣に詩音が立っていた。昨日と少し違う白いワンピースが、夏らしい透明感を与えている。
「びっくりしたぁ。急に大きな声出さないでよね」
「びっくりしたのはこっちだよ。突然耳元で声がしたら、誰だって驚くよ」
まだ少し胸が強く鼓動しているのを、なんとか落ち着かせようと胸を押さえる。
「だって拓海くん、ぜんぜん私に気が付いてくれないんだもの。隣でしばらく立っていたけど、心ここにあらずって感じだったよ」
「え。ご、ごめん」
確かにいろいろと物思いにふけっていたから、周りはほとんど見ていなかった。そもそも待ち合わせ時間までまだかなりあるから、詩音がもう来ているなんて考えてもいない。
「拓海くん、ずいぶん早いんだね。そんなに私に会うのが楽しみだったのかな」
くすくすと口元で笑みを浮かべながら、詩音は僕はじっと見つめていた。どこかいたずらっ子のような目つきに、僕は思わず吸い込まれそうになる。
「まぁ、それなりにね。そういう君だって、こんなに早いだなんて、よっぽど楽しみだったんじゃないの」
「そうだよ。だってこの夏、私は君に会いにきたんだもの。楽しみに決まっているじゃない」
僕の鼻をつんと指先で突く。なんだかこども扱いされているような気がする。
でもどちらかというとこどものような体型なのは、詩音の方だけどなと思いつつも、僕は少し口元に苦笑を浮かべていた。
「こんなに早く会えるだなんて思っていなかったけど、奇跡って起きるものなんだね」
「いや、小さい町だからね。これくらいのことで奇跡扱いなら、奇跡のバーゲンセールじゃないか」
「えー。七年ぶりなんだよ。もう少し感慨深くいてくれてもいいと思うんだけどなぁ」
言いながら浮かべる屈託のない笑顔に、彼女は本当に今日のことを楽しみにしてくれていたんだなと思う。彼女の気持ちが伝播するかのように、僕も嬉しく感じていた。
七年ぶりというわりには、僕達は自然と会話していた。まるで何年もの長い付き合いがあるかのように、その笑顔の向こうから彼女の気持ちを僕に伝えてきていた。
それだけ七年前の夏は、僕達の関係を強く結びつけていたのかもしれない。
でもそのわりに僕は七年前のことをまるで覚えていない。
確かに詩音と出会ったことは覚えている。いや思い出した。詩音と再会するまでは、ずっと忘れていた。
それだけの関係を築いたはずの詩音のことを、どうして僕は忘れていたのだろう。やっぱり僕にとっての七年という歳月は、人生の半分近くを占める時間だから、時間が記憶を追いやってしまったのだろうか。
それとも綺麗になった彼女に、僕が浮かれているだけで、本当はそこまで強い結びつきはなかったのかもしれない。
七年前に一夏を一緒に過ごしただけの僕達は、実際にはどれくらいの関係性だったのだろうか。少なくとも男女の仲を意識したことはなかったと思うけれど、それでも気の合う二人だったのは間違いないだろう。
「それなりに感動はしているよ」
「うっそだー。拓海くん、ぜったい私のこと忘れてたでしょ。私は一日たりとも忘れたことなかったのにな。あのときのこと忘れちゃったの」
ぎくりとした。実際ほとんど忘れてしまっている。だけど忘れたとは素直に言えなくて、少し曖昧に答えていた。
「え、いや。そんなことないけど」
「じゃあ、私とキスしたこと覚えてる?」
「え!? えええ!?」
詩音の言葉に僕は驚きを隠せない。
え、いや。本当に覚えていない。さすがの僕でもキスしたことを忘れてしまうことはないと思うのだけど、いやでも実際に詩音のことは再会するまで思い出すこともなかった。
もしかして僕は詩音とキスしていたのに忘れてしまっていたのだろうか。
詩音は少し目を伏せながら、少し視線をそらす。
なにか物憂げな表情は、何かを思い出しているかのようで、僕の鼓動をひときわ早くすることに成功していた。
「え、いや。その。いや」
何を言えばいいのかわからなくなって、僕はとたんにしどろもどろになる。
キスどころか、手をつないだことすらほとんど無い。そのはずなのに僕はキスしておいて忘れてしまっただけの、いい加減な男だったのだろうか。
さすがそれが本当だとすれば忘れたとは言いづらい。
しかし詩音は少しうつむいたまま、少しだけ頬を赤らめていた。
いや、本当に? 僕はキスしたのか。いや、でも。覚えていない。
頭の中が混乱して、何が本当かわからなくなる。
詩音をじっと見つめてみると、詩音は僕の方へと向き直って、それから口元に小さな笑みを浮かべていた。
「まぁ、嘘だけどね」
さらっと告げる詩音に、思わず僕は腰砕けになる。
「嘘かよっ」
「うん。嘘でーす」
笑っている彼女に、僕は溜め息をもらす。
そういえば七年前もこんな感じに振り回されていたような気もする。
少しずつ彼女との思い出が僕の脳裏に浮かんできていた。
とりあえずキスしたけれど、忘れてしまっていたわけでなくて良かった。
「でも、もしかしたらこんどは本当になっちゃうのかも?」
「いや、付き合ってもいない相手とはキスしないよ」
「えー。ほんとかなぁ」
「本当です」
「そうなんだ。じゃあ、キスするために私と付き合ってみる?」
突然の言葉に僕はまた息を飲み込む。でもすぐにまた僕をからかってみているんだと思い直して、溜め息をもらす。
「いや、キスするために付き合うのはおかしいだろ」
「拓海くん、まっじめー」
「僕が真面目なんじゃなくて、君が不真面目なんだよ」
「昨日は遊び人みたいだったのに、今日は真面目くんだ。どの拓海くんが、本当の拓海くんなのかな」
「いや、昨日も今日も変わっていません。僕は僕です」
「哲学的だね。我思う故に我在りってやつだ」
「そうも言ってない」
ばたばたと流れるように会話をしていた。
彼女がいろいろと話しかけてくるからなのか、それとも二人の波長が合うからなのか。いつもよりもぽんぽんと言葉が出てくるような気がする。
「難しいこと言うね。拓海くんは。将来は哲学者だ」
「哲学者じゃ食べて行けそうにないから遠慮しておくよ」
「それなら理系がおすすめ。手に職つけられる工学部とかに進むといいかも」
「いつから進路相談になったんだ」
「そんな細かいこと気にしているとはげるよ」
「細かいかなぁ。そうだとすると、君がおおらか過ぎるのだと思う」
「一度きりの人生だもの。好きに生きよう」
「だめだ。会話にならない」
「こんなに話しているのに。そう二人の間はまるでロミオとジュリエットのよう。引き裂かれる運命なのね」
いつの間にか軽口をたたき合っていた。
七年ぶりだという緊張もほとんどなくて、まるで長年の付き合いかのように、僕達はくだらない会話で盛り上がっていた。
そんな言葉の応酬に、僕はたまらないほどに楽しさを覚えていた。
二人で話していると楽しい。ぜんぜん気を遣わずに話せるし、言葉もまったくとまらなった。詩音もそう感じているのか、それとも生来のおしゃべりなのか。とにかく僕達はただ話し続けていた。