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麦わら帽子とさよならの地図  作者: 香澄翔
三.思い出の記憶の中に

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3-7

 家に帰ってきていた。


 詩音と出会えたことは一歩前に進んだといえるかもしれない。でも状況は何も良くなってはいない。

 詩音は意識を失っている。そして今のままなら、いずれは命を失ってしまうという。


 詩音を救う方法は何かないのだろうか。奇跡を起こすしかないのだろうか。

 もっとも普通の方法で救えるのならば、とっくに医師が実行しているだろう。それならばやっぱり奇跡を起こすしか方法はない。


「どうしたら奇跡を起こせるんだろう」


 ほとんど無意識のうちにつぶやいていた。


「うん、拓海。どうしたの」


 いつの間にか七海がすぐ近くにやってきていた。僕の独り言を聞いていたのだろう。


「いや何でもないよ」

「うそ。何でもない顔していないよ。そりゃあお姉ちゃんには綺麗くらいしか取り柄はないかもしれないけど、相談してほしいな」


「……七海はいつでも絶対的な自信を持っているよな」

「あれ。おかしいな。いま謙遜したつもりだったんだけど」


 本気なのか、それとも冗談のつもりなのか、七海はにこやかな顔をしながら答えると、僕の頭に手を置いていた。


「よしよし」


 声に出しながら僕の頭をなでる。


「もう。やめろよ。こどもじゃないんだから」

「まだまだ拓海はこどもだよ」


 どこかでつい最近も同じようなやりとりをした気がする。

 よっぽど僕は思い詰めた顔をしていたのだろうか。それとも姉の眼力で見抜かれてしまっていたのだろうか。


 僕は七海の手を振り払うでもなく、七海が頭をなでるのを受け入れていた。


「なぁ、七海」

「ん。拓海、どうしたの。お姉ちゃんが綺麗すぎて惚れちゃった?」


「七海は綺麗だけど、姉には惚れないよ。そうじゃなくて」


 いちど言葉を止めて、それからゆっくりと姉に尋ねて尋ねてみる。

 たぶん僕が欲しい答えは七海だって知り得ないだろう。それでも誰かに尋ねずにはいられなかった。


「奇跡ってどうしたら起こせるんだろう」

「奇跡?」

「うん。奇跡」


 尋ね返してくる七海に、そのまま言葉を返していた。


 七海は少しだけ首をかしげていた。

 馬鹿な質問をしているなって思う。七海だって、奇跡の起こし方なんて知っているはずもない。


「うんとね。お姉ちゃんは、奇跡を起こす方法なんて知らないけど。でもね。奇跡はいつだってすぐ近くにあると思うの」


 七海は何か言葉を選ぶかのように、静かな声で答え始めていた。


「私と拓海がこうして姉弟でいることだって、奇跡なのだって思う。何がほんの少し違っていたら、私はお姉ちゃんじゃなくてお兄ちゃんだったかもしれないし、生まれてきてもいなかったかもしれない。拓海だって生まれてきていなかったかもしれない。いまこうして二人でいられることだって、奇跡だと思うんだ」


 七海は僕の頭をなでながら、どこか諭すように告げていた。


「だから奇跡を起こす方法なんてわからないし、知らないけど。奇跡は、きっとすごく近くにあって、気がつかないうちに起きているものだと思う」


 七海はちょっとぎこちない笑顔を見せながら、それからまた声を漏らした。


「ごめんね。役に立たないお姉ちゃんで。拓海が何をしようとしているのかわからないけど、きっと何か方法があるって思うな」


 七海の言葉に僕の胸の奥にちくりとした痛みを残した。

 何かに気づきそうな気もするけれど、それが何なのかわからない。


「いや、いいよ。ありがとう。変な話してごめん」


 七海に礼を告げると、胸の前を押さえる。


 奇跡は近くにある、か。確かに意識がないはずの詩音が僕の前に現れたことも、その光景を歌音が見ていたことも、間違いなく奇跡だ。きっと人から聞いたなら信じられないけれど、僕は確かに彼女と一緒にいた。


 詩音を目覚めさせる方法はきっと何かある。どこかに隠されているはずだ。

 だからきっと詩音は僕の目の前に現れた。僕に助けを求めているのだと思う。


 僕は今度こそ詩音を救いたい。

 そう願った。







 またいつもの海辺の公園にきていた。


 相も変わらず、大道芸の練習をしている少年がいて、彼も頑張っているなと思う。

 僕も頑張らないといけないなと、心に誓う。


 奇跡を探していた。でもどこかに落ちているようなものでもなくて、ただ歩き回っているだけだ。それで見つかるはずもなくて、思わず溜め息を漏らす。


「何溜め息ついてるの」


 掛けられた声に振り返る。彼女の三つ編みが僕の目の中に入ってくる。


「ああ、凪か。ちょっと考え事していてね。凪は今日は部活じゃないのか」


「うん。今日はお休み。みんな練習試合にいってるんだけど、連れて行くのはマネージャーは一人までしかダメなんだって。先輩が一緒にいってるから、私はお休み」


「そうか。残念だったな」

「ううん。そうでもないよ。だっておかげでこうして拓海に会えたもの」


 凪は楽しそうに笑っていた。いつもの三つ編みが少しだけ揺れる。


「太陽は凪がいなくて残念がっていると思うけどな」

「木村くんは私がいてもいなくても、大して変わらないと思うよ」


 そっけない言い方に、僕はもういちど溜め息を漏らす。ああ、太陽。わかっちゃいたけど、お前の気持ちは全く凪に通じていないよ、と心の中でつぶやいていた。


「そんなことより、拓海はさ、やっぱりもう野球をするつもりはないの?」


 凪はまた僕に野球をする意志がないのかと訊ねてくる。


 野球をするつもりはもうあまりなかった。僕はそれほど上手い訳でもないし、太陽と違って一年からスタメンをとれるような実力は持ち合わせていない。中学の時の部活で十分に楽しんだと思う。


 そして今は何よりも、詩音を救うための奇跡を探したかった。だから部活をするつもりはもうすでにない。


「悪いけど、もう部活に入るつもりはないよ。他にやりたいことがあるんだ」

「やりたいことって?」


 凪が少しかぶせるように聞き返してくる。

 やりたいことは、奇跡の起こし方を探すこと。だけどそんなことを言ったとしても、何かごまされているとか思われるのが関の山だろう。何と答えればいいかわからなかった。


「探している人がいるんだ」


 だから少しだけ曖昧に答えることにしていた。


「それって、この間言っていた詩音さんって人のこと?」

「ああ、そうだ」


 僕は凪の言葉を肯定すると、それから詩音のことを思って少しだけ目をつむる。


「その人のこと好きなの?」


 凪はどこかさみしそうな顔をして、僕へと問いかけてくる。

 以前にも同じことを聞かれたような気がするけれど、その時は曖昧にしか答えられなかった。


 だけど今は違う。僕の答えは決まっていた。


「ああ。好きだ」


 詩音を救いたい。詩音と一緒にいたい。だから僕はあるかどうかもわからない詩音を救う方法を探していた。それは好きだという気持ちに違いないと思う。


「そっか。そうなんだ。いつの間にそんな人が出来たの」

「……たぶん、七年前かな」


 凪の言葉にゆっくりと答える。

 好きだとはっきりと意識したのは、最近のことかもしれない。でも僕は七年前に詩音と出会った時に、もう惹かれていたのだと思う。


「七年前。それって、七年前の事故と関係ある?」

「ああ。その時に一緒にいたのが、詩音なんだ」


 僕は詩音を救おうとして崖から落ちてしまった。忘れてしまっていた記憶は、今はもうはっきりと自分の中にある。


「……あの夏、旅行になんて行かなきゃ良かった」


 だけど凪の言葉は、思ってもみなかったものだった。

 七年前の夏。僕は事故にあった。


 いつもの夏であれば、僕は凪と一緒に遊んでいたかもしれない。

 だけど凪は旅行にでかけていて、この街にはいなかった。


 他の友達もいない訳では無いけれど、何となく気乗りしなくて一人で遊んでいた。そんな時に出会ったのが詩音だった。


「旅行に行かなければ、拓海はまだ私を見てくれていた?」

「え?」


 突然の凪の言葉に僕は意味がわからなかった。


「あの夏、事故にあってから拓海の私への接し方が変わったの。ずっと仲良しだったはずなのに、どこか一歩距離を開けられちゃった。それでわかったの。拓海には好きな人が出来たんだって。だから女の子である私は避けられているんだって」


 凪の言葉に僕は何も言えなかった。

 意識して凪を避けたことなんてなかった。でも凪はそう感じていたのかもしれない。


 事故にあって、中学にあがって、周りの態度も変わってきて、凪と一緒にいることは少なくなっていったのは確かだ。でも決して凪が嫌いになった訳でも無ければ、なんだかんだで一緒にいることも多かったと思う。


 それでも凪は僕からの距離を感じていたのだろうか。


「そんなに、ずっと七年も好きな人がいるのなら、もう私の出る幕はないんだろうね」


 凪は静かな声でつぶやくと、僕をじっと見つめていた。


「それなら、最後に言っておくね。私ね。拓海が好き。ずっとずっと、小さい頃から拓海のことが好きだった」


 凪の告白に僕は言葉を失っていた。何を答えていいのかわからなかった。

 凪が僕に好意を持っているなんて知らなかったし、気が付かなかった。


「野球部だって、拓海がいると思ったから入ったの。でも拓海は全く私の気持ちなんて気が付いてくれなかったね。それどころか、木村くんのことを意識させようとしてたよね」


 僕が太陽の後押しをしようとしていたことには気が付いていたらしい。

 太陽が凪に好意をもっていることは知っていたから、太陽の力になりたかった。だけどそれは凪にとっての負担になっていたのだろうか。


「でも、それでもよかった。拓海は他の子にも興味はなさそうだったし、私にもまだチャンスがあるって思ってた。でも違った。拓海は七年前から、ずっとその子のことが好きだったんだね」


「凪……」


 僕は凪の言葉に何も応えられなかった。

 たぶん凪の言う通りなんだろう。詩音のことを忘れていても、深層意識の中では僕はまだ詩音のことを気に掛けていた。だから他の女の子には興味がなかったのかもしれない。


「拓海は私のことみてくれる? 私のこと好きになってくれるかな?」

「僕は」


 凪の問いかけに僕は言葉を詰まらせていた。

 もしも詩音と出会う前だったなら、凪の想いに応えたのかもしれない。もしくは凪のことを好きになっていたかもしれない。


 でも僕は詩音と出会ってしまった。思い出してしまった。

 だから僕は凪の想いに応えることは出来なかった。


 けどそれを伝えれば、きっと凪は傷ついてしまうのだろう。傷つけずにいられる言葉が見つからなかった。

 凪は口元を少しだけゆがませて、ゆっくりと首を振るう。


「いいよ。答えなくって。拓海の気持ちが私に無いことなんて知ってるもの。だから言ってみただけ。いいかげん私だって、区切りをつけなきゃいけないかなって。いつまでも拓海のことばかり見ていられないから」


「ごめん」


「いいよ。私が馬鹿だっただけ。結局さ、気持ちなんてちゃんと伝えなきゃわからないんだよ。私はもっと早く拓海にアプローチするべきだったんだ。そうしたら奇跡的に拓海が私を見てくれたかもしれないのに」


 凪の言葉は僕の中に染みるように溶け込んでくる。

 伝えなきゃわからない。たぶんそれはそうだ。


 もしも詩音のことを思い出す前に、凪の告白を受けていたら、僕はどうしただろうか。太陽に遠慮して断っていただろうか。それとも受け止めていただろうか。


 意識したことはなかったけれど、凪は十分に可愛い。詩音のことがなければ受け入れていたかもしれない。想いは伝えなければ、伝わらないんだ。


「間に合わなかったけど、気持ちだけは伝えておきたかったの。後悔する前に」

「後悔する前に」


「うん。私はいま言わなきゃ後悔すると思ったから」


 凪は妙にさっぱりとした顔をして、僕をじっと見つめていた。


「拓海は詩音さんって人を探しているんだよね」

「ああ」


「わからないけど、たぶん詩音さんは拓海を待っていると思う」

「そうかな。そうだといいけど」


「間に合わなくなる前に、きっと伝えた方がいいと思うよ。……私は間に合わなかったから」

「ごめん」


 凪の気持ちには応えられない。それなのに凪は僕のために励まそうとしてくれたのだろうか。


「もっと早く告白しておけば良かった」


 凪はどこか寂しげな瞳を浮かべながら、僕へと背を向ける。


「詩音さん、はやくみつかるといいね」


 凪の言葉に無言のままうなずく。僕には答える言葉がみつけられなかった。

 凪が実際にどう想っているかはわからない。僕が他の人へ目を向けているから、諦めてしまっているのかもしれない。あるいは僕を好きだからこそ、僕の気持ちを尊重してくれているのかもしれない。


 でも平気そうに振る舞う凪だけれど、きっと本当は様々な気持ちを隠しているに違いなかった。だからこそ僕に背を向けているのだと思う。


 気持ちに応えられないことが申し訳なかった。凪を傷つけてしまったのかもしれない。それでも僕は詩音を探し続けていた。人を好きになることは、誰かを傷つけることでもあるのだと初めて気が付いた。


 ずっと凪の想いに気が付かなかったのは、僕の落ち度だ。だけど表面は忘れていても、どこかで僕はまだ詩音のことを想い続けていたのかもしれない。だから凪の気持ちから目を背けていたのかもしれない。


 凪はそれでも僕の背中を押そうとしてくれている。自分の気持ちを押し殺しているのかもしれない。

 僕はその気持ちを受け取らないわけにはいかなかった。


「ありがとう」


 凪にお礼の言葉だけを返す。それ以上には声をだせなかった。

 背を向けたまま、凪はゆっくりとつぶやく。


「うん。じゃあね。ばいばい、拓海」


 凪は僕へと別れの言葉を漏らした。

 たぶん、その言葉はいまこの瞬間の別れだけでなくて、僕との長い幼なじみだった関係を終わらせる言葉でもあったのだろう。


 想いを聞いてしまったからには、もう今まで通りではいられない。僕の凪への接し方も変われば、凪からの触れ方も変わってしまうはずだ。


 そのことを寂しく感じる気持ちもあるけれど、それでも凪の気持ちを受け止められない以上は仕方が無いことだろう。


 胸の中を針で刺されたような気持ちを残しながらも、僕は凪が去って行くのを見つめていることしか出来なかった。


 凪を失った喪失感を覚えながらも、僕はそれでも詩音を、奇跡を探そうと歩き出していた。

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