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詩音としばらく話し込んでいた。
やっぱり彼女はひさしぶりにこの町にやってきたらしい。僕と出会ったのが七年ぶりなのは、詩音がこの町にきたのが七年ぶりだったからと、大した理由は特になかった。
「どうして七年ぶりにこの町に」
「うーん。これ覚えているかな」
詩音が取り出したのは古ぼけて黄色く変色した紙のようだった。何やら絵や文字が描かれている。けっこう年月が経っているのだろう。縁は不規則に波打ち、ところどころがすり切れていた。
詩音が広げた紙の中には、何やら宝物の絵と共にいくつかの言葉が描かれていた。どこかで見たような気もするけれど、あまり覚えがない。
「ごめん。あんまり」
「そっかぁ。残念」
さほど残念そうでもなく告げると、彼女は微笑みながら、その紙を広げる。
「これね。宝の地図だよ。拓海くんと私の二人で隠した宝物の地図」
「……ああ!」
詩音の言葉を聴いて、急速に自分の中の記憶が思い起こされる。
そうだ。確かに僕達はあのとき、宝探しごっこにはまっていた。いろんなものをあちこちに隠しては、宝物の地図を作りあげていた。たぶんこの地図は、僕達が隠した宝物のうちの一つを示しているはずだ。
とはいえこどもの頃の宝物だから、そんなに大したものを隠していた訳ではなかった。ガチャガチャのカプセルだったり、詩音のヘアゴムだったり。いろんなものを隠したことは覚えているけれど、実際にどこに何を隠したのかまでは覚えていない。
この地図はそんな宝物の一つのはずだ。
地図の中には山だか、魚だか、よくわからないものが多数書き込まれていた。それが宝物を隠した場所を示すヒントのはずだ。
「私はこの宝物を探しに来たんだ」
詩音は空を見上げながら告げる。
夏の日差しがぎらぎらときらめきながら、麦わら帽子のつばの間から影を落としていた。
あの時の二人にとっては宝物だったかもしれない。でもいまの僕達に必要なものなんて、何もないはずだ。実際に僕はあの時隠した宝物のことなんて、もう何一つ覚えてはいない。
それでも詩音は大切にこの地図を持ち続けていたのだろうか。僕との大切な思い出として、ずっと保管し続けていたのかもしれない。
七年間。こうして思えば一言ですむ時間だけれど、当時小学生だった僕はもう高校一年生だ。小学生時代の友達もいない訳ではないけれど、多くはあまり会うことは無くなった。今でも付き合いがあるのは、幼なじみの凪くらいのものだ。
高校に入ってからは高校の友達と一緒にいる時間の方が長くなった。中学までと違ってみんなバラバラになってしまったから、それも仕方ないことだろう。
もちろんこの町はそれほど大きな町ではないから、顔を合わせたりすることはそれなりにはある。でもどうしても時間は合わなくなってしまったし、わざわざ予定を合わせたりまではしていない。
詩音はそんな長い時間が経ったにも関わらず、あの夏一緒に過ごしただけの僕との思い出をずっと大切に残していた。宝物の地図。こどもが書いたただのお遊びの地図。僕はもう忘れてしまっていた、ただ遠い過去の記憶。
正直こうして詩音と再会したというのに、僕はあの時のことをほとんど覚えていない。こうして言われて始めて思い出しただけだ。
「やっぱり覚えていないかな」
不安げに上目遣いで僕を見つめる詩音に僕はゆっくりと口を開く。
「少しだけ思い出したよ。詩音と一緒に宝物を隠しては地図を作っていたことは」
正直に答えると、それでも詩音はほっとした様子で息を吐き出していた。
「良かった。私だけが覚えているのかなって、ちょっとだけ悲しくなったところだったから、忘れられていなくて、本当に良かった」
詩音は嬉しそうに地図を持ったまま、胸元に手を当てていた。
少しだけ地図がよって折れそうになる。
「あ、わわわっ。折れちゃう折れちゃう」
慌てた様子で手を離して、同時に地図が風で吹き飛ばされていく。
「わ、わ、わーーーー。ま、まって」
追いかけようとして、そのまま詩音は思い切り足をもつらせていた。
そのまま思い切り地面へと倒れる。ばたんと大きな音が響いていた。
ちなみに地図は僕がキャッチしておいたから、飛んで行ったりはしていない。
詩音の様子を見るが、ぴくりともしない。大丈夫だろうか。
かけよろうかと少し思ったが、すぐに詩音は何事もなかったかのように立ち上がっていた。
「まぁ、今は何事もなかったわけですけど」
「いや、無理だから。思い切り見てたから」
「うううう。大人可愛く決めたかったのにっ」
「君はたぶんその路線は難しいと思うよ」
どうしても口元に漏れる笑みを、なんとか抑えながらも、僕は彼女へと地図を手渡す。
どこかなつかしい感じがした。考えてみると、あの頃からよく転ぶ子だったようにも思う。
「あー、もう。ひさしぶりに拓海くんに会えたっていうのに、まったく格好つかない。はぁ。綺麗になった姿を見せたかったのになぁ」
「ん。まぁ以前と変わらず可愛いとは思うよ」
背は前とあんまり変わっていない気もするしね、と声には出さずに続ける。たぶん言わない方かいいだろう。
「お世辞ありがとう。あー、もう。もうもうもうっ。どうして私ってばこうかな。はぁ」
思い切り溜め息を漏らしていた。
まぁ別にお世辞というつもりはなかったし、すごく可愛くなっているとは思う。正直この再会でどきどきしているくらいだ。
まぁ姉のおかげで女子のことは褒める癖がついているせいか、周りからは本心とは思われていないようではある。僕がつい女子に可愛いだの綺麗だの言って褒めてしまうのは、間違いなく姉のせいだ。姉は毎日顔を合わせるたびに僕に褒めるのを要求してくるから、ついそれが他にもでてしまう。
おかげでほとんど交際経験もないのに、クラスでは軽い人扱いされている。まぁ別に誰か特定の思い人がいる訳でもないから、特に困りはしなかったけれど。
「あ、いけない。もうこんな時間だ」
詩音はいつの間にか懐中時計を手にして、時間を気にしていたようだった。
「懐中時計なんて珍しいね」
いまどきは腕時計すら持っている人は少ないように思う。だいたいスマホがあれば事足りるから、僕も時計なんて目覚ましくらいしか持っていない。ましてや懐中時計なんて初めてみたと思う。
「うん。昔ね。おばあちゃんからもらったんだ。今日はそのおばあちゃんの家にいく途中」
詩音の言葉に、心の中で一人で納得していた。詩音はやはりこの辺に住んでいる訳ではなくて、あの時も祖母の家に遊びにきていたのだろう。だから詩音とあのとき以来会うことが無かったのだ。
「手巻きだから、こうしてときどきネジを巻いてあげないと時間は止まってしまうんだけどね」
詩音は言いながら懐中時計のネジを回していた。手巻きの時計だなんて初めてみたし、本当に珍しいなと思う。
「おばあちゃん待っているだろうし、そろそろ行かないと。せっかく会えたのに残念だけど」
「そうか。それなら仕方ないね。あ、せっかく会えたんだし、連絡先教えてよ。ライムとか、インシタのアカウントでもいいけど」
「ごめん。私ね。スマホ持っていないんだ」
思い切り断られていた。あれだけ親しげに話しかけてきたというのに、まさかの拒否にショックは隠せない。なんかいつの間にかナンパして失敗した男みたいになっているんですけど。心が痛む。
「いや、まぁ。気軽に女の子の連絡先きいた僕も悪いのかもしれない」
思わず心の声が外に出ていた。
「え。あー、いや。そうじゃないよ。私、ほんとにスマホ持っていないんだ」
詩音はぱたぱたと手を振る。
「スマホはさ、ママがまだ早いからダメっていうんだよね。うちのママ、厳しくって」
両手を広げてみせる。どうやら本当にスマホを持っていないらしい。
いまどき高校生にもなってスマホをもっていないというのは本当に珍しいとは思う。いや、年齢は確認していないけど高校生でいいよねと思い直す。同じ歳だったような気がしていたけど、もしかしたら一つくらい下だったりするのだろうか。中学生のうちはダメとか言われているのかもしれない。
「いや、いってももう高校生だよね。さすがにみんなだいたい持ってない?」
とりあえず高校生だという前提で話しかけてみる。違ったら否定するだろう。
「よそはよそ。うちはうちってさ」
どこかのお母さんが言いそうな言葉が返ってくる。否定されなかったということは、やっぱり高校生ということでいいのだろう。
「ほんと考えが古いよね。いまどきみんな持っていると思うんだけど、私はそんな訳で持ってないんだ。でもさ」
詩音はじっと僕の方を見つめていた。
「拓海くんとはもういちど会いたいな。また会ってくれる?」
「そう言ってくれるなら、嬉しいよ。僕も会いたいと思う」
七年ぶりに会えた友達なのだから、このままもう会えないのはやっぱり寂しいとは思う。
それに綺麗な女の子と会えるのを嬉しく思わない男はいないだろう。
「じゃあ待ち合わせしようよ。明日ひまなら、明日のお昼。一時に駅前にて待ち合わせでどうかな」
「わかった。一時に駅前だね」
詩音と約束を交わすと、 僕はもっていたノートに電話番号を書き込んで、ページをやぶって詩音へと手渡す。
「じゃあ、これ僕の連絡先。気が向いたらかけてよ」
「うん。ありがとう」
詩音は僕の連絡先を受け取ると、ポシェットにしまっていた。
「会えて嬉しかった。もういちどこの夏を一緒に過ごせたら、いいな」
詩音はとびきりの笑顔を僕に振りまいていた。
少しだけ胸がきゅっと締まる。
思ってもいなかった再会は、僕のこの夏休みを何か変えてしまいそうな予感がして、どきどきと胸を鳴らす。
風が吹いていた。どこか熱気を含んだ潮風は、僕の頬を染めるようになでていく。
詩音はまた風で飛ばないように、麦わら帽子を手で押さえ込んでいた。
少しだけ傾いた太陽が、少しずつ空を茜に染めていく。
このほんの小さな出会いが、僕の人生を大きく変えてしまうことになるなんて、この時の僕はまるで知らなかった。