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黒穽の翊祈

作者: 猩々飛蝗

 あるひとを待ってるんだ。そのひとはそう言って、ティーポットはこぽぽぽぽ、と啼いた。分厚い窓ガラス越しの大坑は暗く雨に濡れて、擂り鉢状の街も風に涙声を漏らしていた。そういうふうに吹くビル風とそういうふうに叩きつける雨音から、そのひとのことばとわたしたちのたてるおとは混ざり合いながらもわたしの頭蓋のうちで遠心分離されているらしかった。


 風がひときわおおきく泣いて、そのひともティーカップを置いた。あなたと一緒にどこまでも、という言葉の欺瞞と倫理的瑕疵に、耐えられなかったものだから。ここで待つことにしたんだ。


 滑らかに縁取られた分厚い椅子の、背凭れがどうにも硬く、気になる。大坑を降る巡礼の群れはその名を不当に冠していると、わたしは常々憤慨していた。その巡礼には終わりがない。巡礼は持ち帰る旅だ。旅の過程で得たものを、旅をする以前から生きていた人生に加えて、よりよく生き、よりよく信じるための旅だ。だのにあの坑は、誰も還らせようとはしない。そんなところを聖地とした教義の顛倒も気に入らなかった。わたしはいずれこうやって世界を憎むようになることができるのだろうと、わたしの才能を面白がってもいた。わたしはわたしに対してあまりにも無責任だった。


 一緒に行くべきではないと思える、その場所までは確かに着いて往こう。律儀にそう言って、律儀さをまた守るべき場所がここだった。そのひとはそう言って少し、組んだ左手の薬指を、右手の小指でくりかえしなぞる。

 あなたが還るならここで待つ。あなたが還らないならここに弔う。人が受け入れなければならないのは死そのものではなく、むしろ単に別れの方だから。冷たく聞こえそうな言葉の持つ意味を、あなたは汲んでくれたし、その上で待っていてと、微笑んでくれたのだとわかっている。


 俟ち齊の問翊が、また窓を揺らす。ならなぜわたしを泊めたりするのです。明かりは黄色くねばっこく、わたしたちを照らす。


 わたしたちはともに、まだ齊りではないからです。床に落ちた翳は淡く、幽遠な薫りだった。

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