三話 シーン4「フォビドゥン オブ アビス」
力を完全開放しているイツカの黒かった髪は金髪に染まり、黒い眼は母譲りの
翡翠色に。
その髪をサワサワと風が揺らす。
それにもイツカは動じずに、ただ魔王セシリアを睨みつけていた。
「きゃ・・・」
先にセシリアが口を開く。
「きゃ?」
「きゃわいいいいい♪」
「は?」
「はあ?」
突然のことにイツカとレルは反応しきることができず、ただ口を半開きにして
固まった。
あまりに衝撃が強かったのか、イツカの髪と目は黒く戻り、全力モード
完 全 終 了 していた。
「もうなんてきゃわいいのよイツカちゃん♪
犯罪だわ!犯罪的だわあんあんあん!
ああ、今の歯切れの良い啖呵にキリッとお母さんのことを睨みつける冷たい目!
たまらないわ!ついお父さんのことを思いだしちゃったぁ♪
さっすが、お母さんとお父さんの娘ねぇ♪
ああくそっ!失敗したわー!
こんなことなら、映像を記録する水晶も持ってくるんだった!
・・・・・あ、今から作ればなんとかなるか。
ちょっと待っててね、イツカちゃん♪
こうやって・・・・土をコネコネコネコネってして・・・・・
はい、力込めてギュウウウウウウウウウウウウウウ!!
最後に・・・・・・よし!完成したわ!
さあさあイツカちゃん♪
この水晶玉に向けてもう一回、さっきのあれ聞かせて♪」
「え・・・え?・・・あ、あれって・・・・」
「ほらぁ♪さっきのあれよあれ。
よく聞け私はって、ヤツ!」
「え、ええと・・・・えと・・・
わ私ぃ、は、ィッ、カ・・・ィツカ・カッ・・でしゅ。
い、いいい偉大、いだいな、りゅ・・しーしーのゅぅ・・きっど・か、かかか」
噛み噛みだった。恐ろしいほどの緊張感と羞恥心がイツカを襲う。
「だーめだめー!ほらほら、イツカちゃん!
お母さんも応援してるから!ほら最後まできちんと続ける!」
熟練のカメラマンも顔負けなほどに熱心に、セシリアは手に構えた作り立ての
水晶玉にイツカの姿を徹底的に余すことなく撮影していた。
セシリアの撮影はイツカには過酷だった。
センターから撮った 右斜めから撮った 左斜め後方よりから撮った
後頭部から表情の読み取れない角度からも撮った
しまいには足元からパンツと胸の下、アゴが同時に写せる角度からも
撮ろうとした。<さすがにそれはレルが必死の抵抗で止めた>
撮られるイツカは終始赤面しッぱなしで、開放された時には、
立ち上がるのも困難になるほどに疲労していた。
『え、ええと・・・・えと・・・わ私ぃ、は、ィッ、カ・・・ィツカ・カッ・・
でしゅ。
い、いいい偉大、いだいな、りゅ・・しーしーのゅぅ・・きっど・か、かかか』
撮れた後の映像チェックも欠かさない。
セシリアはすぐさま映像の再生をその場で始めてしまい、またまたイツカは
辱められてしまう。
「・・・もうい、や、この魔王・・・・イツ、カ、死に、たいぃ」
もうすっかり喋り方さえも普段のイツカに戻っている。
「・・・・」
レルはかける言葉も見つからないといった風で、ただ狼狽していた。
「もう、ダメねぇ。イツカちゃんたら♪
その程度の演技もできなくて、幻の演目『クリムゾンエンジェル』を
演じられると思ってるの!?」
まるで希代の大女優『千草・ムーンシャドウ』でも気取っているかの如く、娘を
叱咤するセシリア。
「そ、そんな、の・・・知らない。イツカ、別にマ、ヤに成りたいわけじゃ、ないぃぃ」
「あらあらウフフ♪
ノリが通じて良かったわ、イツカちゃん♪」
楽しんでいる。
この時、セシリアは悪魔的にイツカいじりを楽しんでいるのは明白だった。
ニコニコと微笑む背後には、彼女の頭と背中に黒い角とコウモリのような羽が
パタパタしている像が見えた。
「・・・さて、と。じゃあイツカちゃん。
そろそろ始めましょうか?」
セシリアの手がジメジメと縮こまっているイツカの肩に触れる。
「・・・始める?何を?」
わずかに顔を上げるイツカの視線とセシリアの視線が交わった。
「お遊びはこの辺にしておきましょ。
そろそろイツカちゃんの望みを一つ叶えて上げます。
このお母さんが相手になってあげるわ!」
セシリアはムンズと背を反らせて、胸を張ってみせた。
「ほんとに良いの、お母さ!・・・あっ」
感動のあまり、イツカの目が輝きを取り戻しかける。
だが、『お前はママじゃない!魔王だ!』と言った手前、バツが悪そうに
また顔を背けてしまうのだった。
少し間を置いて、漸くイツカの機嫌は治った。
キギクゴを倒した荒れ地の空白地帯を戦いの場として、
レルとイツカは肩を並べて、セシリアと向き合っている。
「じゃあ行くわよ?
さっきはイツカちゃんから襲ってきたんだから、今度はお母さんからね?」
レルとイツカは無言で頭を小さく振って返答する。
「集え、我が同胞よ」
セシリアが手を天高く上げ、呪文を唱え始めた。
(ん?無詠唱もできるはずなのに、あえて詠唱を?)
その初手の行動に、レルは違和感を覚えた。
「汝らよ思いだせ 忘れるな 忘れるな
この世は余す所なく汝らのもの 我らのもの
地の上を歩くものは全てが我らへの贄である
汝らのキバを持って全てをかみ砕き 食いちぎれ!」
(・・・思いだした!この呪文はまずい!)
レルは何かを察知した。それと時を同じくして、セシリアの詠唱が終わる。
セシリアの天に掲げていた手には、水玉がプカプカと浮かんでいた。
それをゆっくりとイツカとレルに向ける。
「イツカ!私に掴まれ!」
「えっ?」
「時間がない!早く!」
血相を変えるレルに戸惑いつつも、イツカはそれに従った。
イツカは素早く剣を鞘に納め、レルの首にしがみ付いた。
「離すんじゃありませんよ!フライン!!」
二人が空に飛びあがる。それと同時にそれは起こった。
「牙持つ魚たちの濁流〈グランデスウェーブ〉」
瞬間的だった。一秒の猶予もなかった。
セシリアの生み出した水玉が瞬時に広がり、大きな鏡面のような
輝く壁を生み出す。
そこから一気に大量の水が噴き出してきたのだ。
洪水だ濁流だ。土も木々もあらゆる物を飲み込みながら流れゆく。
その水の中には大量の水中生物が蠢いていた。
ピラニアやカンディルのような極小の肉食魚が所せましと泳いでいる。
特徴的な背ビラを水上にちらつかせて泳ぐ巨大鮫が見えた。
平たく横に広いカーペットのようなエイが見えた。
クジラのように規格外に大きい、しかし誰も見たことがないような
何かが居た。
ソイツは目が横に十個も並んでいて、口が十字に裂け、ミミズのように細長い。
ソイツはシュモクザメのような頭部をして居るがカバのような手足があり、
水かきがあった。
ソイツはカニのような硬い殻を持つが、イカの手足のような細長い触手を背中から無数に生やし、ハサミの代わりに斧のような鋭利な腕が付いている。
その触手の一本が上空のレル達を補足すると、そのカニのような何かが飛び上がって追いかけてきた。
「イツカ!」
「任せて」
咄嗟に飛び出していったイツカはそのまま敵の怪物に向かって剣を振るう。
そうして自分達に襲い来る触手を全て切り落とすと、その頭部に向けて思いっきり剣を振り下ろす。
ゴオオオオン
まるでハンマーで重金属でも叩いたかのように音高く衝撃音が響き渡る。
切れはしなかったが、その怪物は意識を失ったのか、固まったままの姿勢で流れの中に落ちて行った。
イツカも素早くレルの元に戻りしがみ付いた。
そうして周囲の様子を見守っていると、次第に水の流れは弱まり、流れ出した水と共に魚たちもゆっくりと消滅して消えていったのだ。
「・・・やっぱり、相性が悪い魔法じゃダメねえ。詠唱しないと使えないし、
オリジナルと比べたら大きく威力が落ちるわ。
この程度しかできないんだものねぇ」
セシリアはグランデスウェーブによる破壊の爪痕を眺めていた。
何百本も木々が押し流され、岩も土も砕かれ削られ、地形が大きく抉られ歪められている。
それでも、その魔法は原点たる古の魔王が発動させた時とは雲泥の差があった。
セシリアが撃った今回の場合は、せいぜい200mほどの範囲に被害を出した程度であった。
だが過去の記録によれば、古の魔王ンガベヴがこの魔法を使った際は、一つの
海沿いの国が海に沈んだというのだから。
「じゃあ気を取り直して次の試練いくわよ、イツカちゃん!
来たれ、バーミリオン!!」
(バーミリオンだって!?)
空中からその言葉を聞いていたレルは震えた。
次の魔法は驚くほど詠唱が短かった。
セシリアの呼びかけに答えて次元が避け、そこから2mは在ろうかという巨大な
刃が現れた。
「さあ、行きなさいバーミリオン!汝の敵を滅せよ!」
セシリアは空に浮かぶレル達を指さした。その指示に従うように、その巨大剣
バーミリオンは一人でに飛び上がると、その切っ先をレルに向けて飛んできた。
「くっ!」
間一髪のところでレルは躱す。
だがいくら回避してもバーミリオンは繰り返しレルの方へ向けて飛んでくる。
切りかかってくるのだ。何度も何度も疲れなど知らぬというように、己に考える
能力などない只の鉄塊であるのだから、主の命令は絶対というように、
バーミリオンはひたすらにレルを追いかけ続けた。
「レルさん!レルおじいちゃん!離して!わた、し、あのぐらいの剣、なら、さっき
みた、いに、叩き落とせ、ると思う!」
イツカは手足をバタつかせてレルに抗議を始めていた。
「バカ言うな!イツカ、君はあれが何なのか知らないからそんなことが
言えるんです!
あれが本当に、本物のバーミリオンだとしたら、けっして受け止めようとしたり
立ち向かってはいけないんです!」
想像以上の怒声に押され、イツカは黙った。
こんなに必死なレルをイツカでさえ見たことが無かった。
「よく聞きなさいイツカ。あれは、聖呪剣バーミリオンはとても危険なんです!」
レルは手短に語った。あのバーミリオンという剣は、元は剣聖の勇者エックス・
カルバードが所持していた。
神によって託されたその武器は、絶大な力を有していた聖剣であったが、
そんな彼が魔王デランダールとなったことで、その力は反転して呪いとなった。
その剣に込められた力には段階があり、最初の一段階目は只の黒い鉄大剣であるらしいのだが、持主の能力や心に影響されて二段階目になると、「殲滅」という
モードに切り替わり、あらゆる物をあらゆる物理または魔法障壁を無効にして切断する効果が付与され、赤い光を放ったという。
そして更に成長して『絶対正義/絶対悪』モードに切り替わった時、
その刀身は白か黒の光を放ち、世界さえ滅ぼす力を持つと言われた伝説の状態になるというのだ。今のバーミリオンは赤く輝いていた。
「つまり、あの剣が本物だとしたら、殲滅モードになっているということです!
まともにぶつかってはいけません!逃げ続けて、勝機を待つのです!!」
それだけ言い聞かせるとレルはイツカから視線を離し、また必死に斬撃を
よけ続ける。
その様を地上からセシリアはバーミリオンをコントロールしながら眺めていた。
まるでオーケストラの指揮者がタクトを振るうように指先を踊らせる。
時に苛烈に、時に鈍重に、緩急をつけてバーミリオンは振るわれる。
〈くそっ・・・どうしたら良い?今の私ではイツカを守り切るのは難しい。
やはり、『薬』を使うしかないのか?
だが今回使ってしまえば、残りは一つに・・・〉
セシリアにしてみればこれは児戯のようで、ただレルを使って遊んでいるように
しかみえなかった。
暫くはその上空の追いかけっこを楽しんでいたが、それも飽きてきた頃、
セシリアは自分の人差し指をチョンチョンと揺らした。
それに反応するかのように、バーミリオンの動きは一旦止まり、チョンチョンと
縦に二度揺れる。
すると、その切っ先が次元を切り裂いて穴を開けた。
殲滅モードはあらゆる物を切断する。次元の壁も安々だ。
バーミリオンは急ぐようにその次元に開けた穴に侵入し、
その穴は時間と共に塞がった。
「あれ・・・レル、さん。あの剣、消え、た?」
「なんですって・・・いったい、何処へ?」
レルもイツカも二人して、キョロキョロと上下左右360度見渡した。
しかし、バーミリオンの姿は何処にも見えない。
効果が切れていなくなったか?と思い気が緩みかけた、まさにその時である。
レルの背後に突然次元の裂け目が現れ、中からバーミリオンが再び姿を現した。
「レルさん!後ろ!!」
「なっ、ぐぅ!?」
振り向きざまに避けようと試みるも、駄目だ。間に合わなかった。
レルの横腹に、バーミリオンの持ち手の先端が衝突する。
ミシミシミシィィィィ!
他者には届かないが、レルの耳にだけははっきりと己のあばらが砕ける音が響いていた。
あまりの激痛に顔を歪ませ、だが抱えているイツカのことだけは必死に離すまいとギュッと抱きしめて、レルは地面に向けて落下していった。
地面擦れ擦れの地点まで落ちた所で、セシリアが助け舟を出す。
セシリアの浮遊魔術によって二人の体は浮き、ゆっくりと地面に降ろされた。
「アタタ・・・」
「ぐっ・・・ほ、骨が・・ぎぎぃ」
「おかえりなさい♪」
着地の衝撃で悶える二人をセシリアは暖かな笑顔で迎えた。
だが、彼女のターンは未だ終わってはいない。
「________________【私は貴方を求める】」
「その呪文は・・・まさか」
一切の隙を挟まずに、セシリアが唱え始めたその呪文は
『既にこの世から消された古代言語の呪文』だった。
「_______________________ ____________【貴方の腕に抱かれるように 貴方の傍で】」
それは共通語ではなく、古代エルフ語でもなく、神代獣人文明の言葉とも違う。
その呪文の内容は今を持って解明されてはいない。
ただその呪文に、レルははっきりとした覚えが有った。
忘れる筈もない。
それは先代魔王ドラコーが得意とし、レルやキッド達を散々に苦しめた
凶悪で強烈な威力を誇った『極大殲滅魔法』である。
その詠唱は歌うようで、奏でるようで、魔王ドラコーがこの呪文を発動させた時も
消滅させられた街の人々は只その美声に聞き惚れ、何の苦痛も苦悶もなく
この世から消えた。
後に残された残骸もなく、只の大穴と化したその街を見下ろすその頃のレルは
ただ止められなかったことを悔いた。
「やめてください!実の娘に対して、そこまでするのかセシリア!」
骨折の痛みも忘れて、レルは叫んだ。
しかしそれも聞き入れず、彼女の耳にレルの言葉が届いていないとでもいうように、その詠唱は止まらない。
「___! ______! ________!!【その願い 届かぬなら 私の想いもこの世全て
消えてしまえ!】」
そして詠唱の最終節までたどり着いた。
セシリアの声がひとしきり声高になり、高揚し、彼女の指先に米粒程の大きさの黒い球体が浮かび上がっていた。
〈だめだ!あのデタラメな魔法が発動してしまう!
動かなくてはならないのに、くそっ!体がついてこない・・・〉
レルはただ、その身に刻みつけられた痛みに耐え、立ち上がることもできない。
膝立ちの姿勢で、レルはイツカを見た。
イツカもまた、腰を抜かせて呆然と魔王を見つめている。
〈だめだ・・・あれが発動してしまったら。どっちにしても、この体では・・・
やはり、出し惜しみせずに薬を使っていたら、こんなことには・・・〉
レルは自分のローブの内側に手を入れ、そこに隠し持つ遺物を指でなぞる。
そこには小さな小瓶が二つ収まっている。
替えが効くものではない、レルにとってはそれを使い切るということは『死』と
同異議であり、安々と使える代物ではなかった。
その出し惜しみが、今回の危機を呼び込んだことをレルは悔いた。
その黒い粒を生み出す呪文には名前がない。
だから、人々はその呪文に名前を付けた。その名は
「来たれ、『フォビドゥン オブ アビス』」
セシリアの手に出現した黒い粒がゆっくりとその手から離れ、レル達とセシリアの間で静止する。
ぐるぐると回転を始めながら、その粒は急速に大きくなり、バスケットボールほどの大きさになった時、その黒球は暗黒の光を放って飛散した。
巨大なドーム状の暗黒が辺りを覆う。
その内部であらゆる物が分解されて消滅し、ゼロへと帰るのだ。
「・・・嘘だろ・・・・てめえ、知ってやがったのかビシュメルガ!?
あんな隠し玉があるなんて聞いてねえぞ!」
離れた位置からも観測が可能なその暗黒のドームを神々たちは目撃していた。
そのドームの内側は例え神であろうが覗き見ることは叶わない。
だが、神々は知っている。
その暗黒は人間には到底理解が及ばないほどの悪しきモノから生まれ出でている。
それは人にとっても神々にとっても、けして存在を許してはならない汚染された
悪意と不浄が交じり合い、この世を滅ぼしかねないほどの「何か」がこの世界を
浸食することで引き起こされる現象であり、神々さえも恐怖させた。
ただ、一柱を除いては。
__ フフフフ・・・面白い。面白いぞ___
まるでそれを待ち望んでいたとでもいうように、主神は声に出して笑っていた。




