三話 シーン3「ベベル」
イツカ・カッツという少女の人生は平凡だった。
いや正確には、『なんの特色もない長閑な村で暮らす平凡な少女』と
信じ込まされていた。
小さな一階建ての家で、優しいお母さんが居て、弟が二人と妹が一人。
お父さんは素晴らしい力を有した戦士だったが、戦いの中で命を落としたと聞かされていた。
家を出れば、いつも「おはよう」を言ってくれる近所のおじさんおばさんが居て、学校と呼んでいた小さな私塾に通っていて、皆がイツカの仲の良い友達だった。
そして中でも一番仲良しで大好きだったのが、下の方の弟だった、ベベル。
上の弟のカカオゥは何だか気難しくてちょっとへそ曲がりで手を焼いた。
なんせ何を考えてるのか分からない。
常に無表情でボーッとしている。話しかければ反応はするが、
分かったことは甘い物が好きなこと、明るい所よりも日陰の暗めの所が好きなことくらい。
妹のマーボルちゃんは反対で、高飛車というか、おしゃまさんで。
よく村人たちや隣人達に蹴ったりつついたりと、乱暴なイタズラをしていた。
それを注意するのは骨が折れた。
村の子供達とは仲が良く、女だてらにリーダーとなって一日中駆け回っていた。
全く姉のいう事に耳を傾けない。辛い物が好きで、明るいお天道様が出ている外を好んでいた。
そんなものだから、イツカは尚更ベベルとばかり遊んでいた。
村が見通せる丘の上で二人で寝そべり、ベベルは綺麗だと思う花を見つけては
イツカにプレゼントしてくれた。
「お姉ちゃん、おねえちゃん」
明るく、歯を見せながらニコニコと笑う良い子だった。
二人は何時もどこへ行くにも手を繋いで歩いていた。
どこに行っても、イツカは楽しかった。
そのぐらい、良い子だった、はず、と今も思う。イツカはそう信じていた。
その状況もいつしか終わりを迎えることになる。
それは五年前、イツカが13の誕生日を迎えた日の事である。
イツカの周囲にかけられていた全てのまやかしが解かれたのだ。
「・・え?・・なに・・これ・・・」
イツカの目の前で目に映る全てが唐突に溶け始めた。
木々が、家々が、周囲の隣人たちが、友人たちが、暮らしていた家さえも。
まるで熱でチョコレートが溶けるようにその形は崩れて失われ、タイルの溝を辿って何処かへ流れていく。
建物や生き物の姿が消えると、次には地面や空まで溶けてきた。
空はガラス細工が剥がれるようにバリバリと音を立てて割れ、その破片は風に乗って空の果てへと消えていく。
地面はドライアイスのようにシュワシュワと音を立て煙のようになって空気中へと溶け込んでいく。
地面から沸き立った煙は次第に辺りを包み、霧のようになって全ての風景を覆い隠し。
次期にそれが晴れた時、イツカはただ広い建物の中にいた。
「よく目覚めたわね、イツカ」
自分の頭上から聞き慣れた声がする。
その声に誘われるままイツカは顔を上げた。
そして、そこに待っていたあまりにおぞましい存在を目にし、
イツカは半狂乱することになる。
「おかあさ・・・・ヒッ・・・いやああああああああああああああああああ!!!!!」
イツカの目の前には巨大なドラゴンが立っていたのだ。
あまりに巨大であるが故に、目の前を向いていてそのドラゴンの腹部が視界に収まっても、そうであると認識できなかった。
しかし、声に釣られて顔を上げ、その巨大なドラゴンとなった実の母と目が合った時、初めてイツカはそうと認識した。
その周囲には三つの何かが飛んでいた。
目が慣れてくると、それは人型をしていることがわかった。
しかし奇妙なことにその人型にはコウモリのような羽が生えていた。
それはイツカの三人の兄弟たちだった。
「あ・・あの・・・おねえちゃん・・・」
「ふぅ、良かったよかった。これで姉さんの『子守り』から解放されたよ」
「アッハハ!まじ大変だったねー。
おねーちゃんたら私達と違って人間なもんだから、
わざわざあんな幻影まで使って人間として育てないといけないなんてー
もうマッジめんどくさかったんですけどーアハハ!」
「え?なに・・それ・・・なにいってるの?それに貴方たちのその姿って・・」
頭が混乱する。足元がふらつく。どこから説明を求めれば良いのか、
何を聞けば自分は冷静を取り戻せるのか、それさえ分からない程にイツカの頭は
真っ白だった。
「気にしないのよイツカ。安心なさい。貴女はもう十分に成長したわ。
だから、あの村から卒業させてあげたのよ」
頭上の竜がズズイと顔を寄せてくる。イツカはたまらずに尻もちをついた。
腰が抜けて、下半身に力が入らない。
手を自分の上でクロスさせ、必死で守りの姿勢をとる。
だが、実の母たるその竜が娘を害することなんてするわけがない。
落ち着かせるのにいくらか時間がかかりはしたが、
イツカは自分が置かれていた全てを知らされた。
自分が暮らしていた村は幻で、自分が人間らしく育てるように特別に作り出したもので。その住民の大半は幻影。
家族を含めて20人ばかりが人間に姿を変えていたバケモノ達だったということ。
そしてイツカが十分に育ったので、これから次のステップへと進めることにしたということ。
そしてその日の内にイツカは捨てられた。
セシリアとしては、ただ一時的にレルに預けたに過ぎないという認識かも知れないのだが、イツカ自身はそう信じ切ってしまっている。
『私は、捨てられた』と。
レルの元では鍛錬の日々が続いた。
まだ剣の握り方も知らない田舎娘でしかなかったイツカにとって、レルの元で
学んだ五年間は地獄のように辛かった。
レル自身も、「貴方のよく知る、とある人物の子孫です」という紹介だけで押し付けられた小娘一人を預かることは不満があったに違いない。
そうイツカは思っていた。寝る間も惜しんで辛い訓練が続くのは、
その不満をイツカはぶつけられているのだと感じた。
だがその辛さと比例して、イツカは才能を開花させ、伸ばし続けた。
体も良く動くし、五年の経験の間で、他者の三倍も四倍もイツカは成長した。
そうして、ついに勇者のパーティーに遅れての参戦。
他のメンバーとは半年も遅れて参入だというのに、イツカは想像していたよりも
あっさりと仲間として受け入れられた。
そしてついに迎えたのが『あの日』である。
それは初めて勇者パーティーが魔炎将軍たるベベルと遭遇した日だ。
その時の再会はイツカには強烈なものだった。
あんなにも仲のよかった弟が敵として自分達の前に姿を現し、殺す気で襲ってくる。
イツカには、ただ自分と悟られぬようにフードをギュッと被り、手の震えて鈍るのを抑え、膝をつかないように必死で立ち続けることしかできなかった。
結果、皆の善戦あってベベルを撤退させることができたのだが、
その後、イツカ達は三度ベベルと剣を交えることになる。
そしてつい一月前のこと。
ベベルとの決戦の時が来た。
ベベルは、六人のバルキリーを連れていた。
本来なら神獣よりも格下で、神の側の兵士として戦うそれらがどうして
魔王の配下と手を組んで戦っていたのかは今も不明である。
だがそれらを引き連れて、ベベルは強大な隠し玉をもって勇者達に最後の決戦を
挑んできた。
全長およそ200mは在ろうかという巨岩の空中要塞『ニーズヘッグ』
魔王城近くの海域の海底からその姿を現したそれは空を飛行し、真っすぐに北上を続けた。
その目的は、中世戦線の崩壊だったと言われている。
その要塞の移動と合わせて、地上では数万の魔族軍が進軍を開始していた。
もしもニーズペッグが最前線まで到達すると、人防軍側の戦力は大打撃を受けることになる。
それを阻止するために、勇者パーティーは出動したのだ。
それは辛い辛い戦闘の連続だった。
命を賭けて自分達を運んでくれたのは、ワイバーンを操る竜騎兵隊であった。
だがイツカ達を届けるまでに、200在った竜騎兵の9割が戦死し、
残りの一割もイツカ達の援護を行っている最中で命を落とし、全滅してしまった。
そうまでして届けられたイツカ達は、ニーズヘッグが中世戦線の最前線へ設けられた前線基地周辺へ到着するまでに停止させることを目標に俊足での勝利を目指して戦った。
結果は既にご存知の通りだが、この戦いで、勇者達は勝利を収めた。
墜落したニーズヘッグは前線基地の直前で横倒しで墜落し、むしろ人防軍の新しい防壁となってくれる形として残り、新しい防衛拠点として陣地の再構築が進んでいるらしい。
そうして人類の平和は守られました。めでたしめでたしパチパチパチ
となっているのだが。
イツカとしてはそれだけで終わる話ではなかった。
それは決戦直後、ニーズヘッグが落ちて激しい地揺れが収まり、
全員の安全確認が済んでいない時のことだ。
イツカは偶然にも、息も絶え絶えで瀕死のベベルの傍にいたのだ。
「・・はぁ・・はぁ・・・お姉ちゃん?」
ベベルはそこにいるのが姉であることに気づく。
「!・・・ベベルくん!」
浅くはない傷を受けながらも、その傷つき重い体を引きずってイツカはベベルの傍に駆け寄る。
そしてたまらずその手を握った。
「・・・お姉ちゃん、痛いよ・・・それに、寒い」
五年経ってもなお、ベベルの見た目は変わらず幼く、イツカと別れた時そのままの喋り方をしていた。
「うん・・寒いね・・・あとちょっとだけ待ってね・・・」
イツカは素早くベベルの手をこする様に撫で、その手にハアハアと息を吹きかける。
「・・・お姉ちゃん、ごめんね・・・・」
「はあ・・はあああ・・・ごめんて、何が?」
「・・・・あの日、お姉ちゃんが居なくなっちゃった日ね、僕ね、
お母さんにお願いしたかったの。お姉ちゃんを連れて行かないでって。
ボク、お姉ちゃんの傍に居たかったって・・・」
「・・・・それは」
イツカは言葉を詰まらせる。イツカにとって、確かにあの日までベベルは大切な弟であった。
しかし、あのままあちら側にいたとしたら、イツカが勇者の側に在るなんてとてもあり得ないことだ。
180度、今と違う自分になっていたかも知れない。
「・・・お姉ちゃん、ボク、嫌だったんだ」
「はああ・・・何が?」
「ホントはね、お母さんのいうこと聞いて皆をイジメるの、嫌だった・・・」
「!?」
「だけど、僕・・・魔物だから、人間のお姉ちゃんと違うから、
暴れなくちゃいけないんだって、お母さんも皆言ってた、の」
「・・・・・」
「だけど、ね。ボク、嫌だった、よ?もっとみんなとなかよく・・・
ごはんたべて・・」
言いきらない内に、ベベルの体から全ての力が抜け落ちる。
それでもイツカはベベルの手をこすり続けるようとするのだが、間もなくベベルの体は崩壊を初めて、足先から頭部にかけて灰となって崩れ、空気中に霧散していく。
必死で握っていた手だけでも維持しようと力を込めて握るのだが、その手の隙間からさえ、灰となったベベルは風に乗ってどこかへと吹き飛ばされていく。
それをイツカは止めることができなかった。
気付けば彼女の周囲には、弟の生きた痕跡が残る物は何もなくなっていた。
「ぐっ・・・ぐぅぅ・・・ごめんね、ベベルくん・・・・
お姉ちゃんのこと、許してね」
溜まらずにイツカの瞳から涙を溢れさせ、固い岩の地面に一滴二滴と零れ落ちていた。
「ベベルくんは・・・もしも母さんが手を貸してくれていたら、
死なずに連れ帰れた。違う!?
母さんだって、見てたんならベベルくんが私達に敗れて、
死にかけていたことぐらい感知してた筈!そうでしょ!?
なのになんで、ベベルくんを見捨てたのよ!!」
イツカは精いっぱいの恩讐を込めて、セシリアを睨みつけた。
それを向けられても、セシリアはあくまでも平静を保ち、怒りもせず悲しみもせず、イツカのことを見ていた。
「なるほどね・・・もしかしたらと思っていたけど、そういうことなのね」
何かが合点がいったと、セシリアはウンウンと頷いた。
「いいこと?よく聞いてねイツカちゃん。まず勘違いしないで欲しいんだけど、
私の子供は貴女だけなのよ?」
「え・・・何を・・・言って」
イツカは明らかに驚愕し、声を震わせていた。
「ベベルもカカオゥもマーボルさえも、確かに作ったのは私よ?
でもね、私の身の一部を使って生み出したといってもね。
あの子達の製造者だからって、母親とは限らないのよ」
「そんな」
「それはあまりに暴言すぎるのではありませんか!セシリア!!」
あまりの発言を前に、親子の間で水を差さないようにしていたレルさえも
踏み入ってきた。
「だってー本当のことだものー。イツカちゃんはー確かに私とキッドが愛し合って
授かった大切な我が子よ?
だけどあの三人や他の魔族は私の魔王としての権能で生み出した
ただの兵隊だもの。その上、あのベベルったら。
自我が目覚めちゃったらしくて、命令無視してニーズヘッグを勝手に動かすは、
どうやったのか知らないけど、神の配下と通じ合って無断で手を組むわ。
もうどうしようもない不良品だったんだから。
廃棄する手間が省けて良かったわ。ありがとねぇ、イツカちゃん」
セシリアはそうするのが礼儀とばかりに、イツカにペコリと頭を下げた。
それは詫びというより、お礼としての態度だということは直ぐに分かった。
「なに・・・それ・・・それじゃもしかして」
イツカは言われた事を咀嚼して、一つの答えに辿り着いてしまった。
〈つまり、ベベルは・・・自我を持ったが故に、母親から見捨てられた?〉
「くっ・・なんという・・」
それにはレルさえを頭を抱えてうめき声を漏らす。
「あらあら?イツカちゃん、泣きそうなの?
そんな悲しそうな顔をして、どうしたの?誰かに悪口でも言われた?
具合が悪いなら、お母さんが治癒を・・・」
場の空気が上手くつかめていないというように、セシリアはあわててイツカに駆け寄った。
そしてその肩に手を触れ、頭を撫でようとして瞬間、
イツカによって払いのけられた。
「・・・よく、分かった。お母さん・・・いや、魔王!」
「ん?何言ってるのー母さんは母さんよ?魔王とか悪者扱いなんて、
イツカちゃん不良になっちゃ・・・」
「違う!!」
今まで発したこともないほどの怒声が魔王の言葉を遮った。
「やっと分かったわ!私の母、セシリア・ウェルカーは魔王に食われて死んでる!
貴女はただ、その食い殺した私の母の魂を弄び、模倣してるだけなんだ!!
あんたはやっぱり、魔王ドラコー!私の母、セシリアじゃない!!」
イツカはアギナヴィーを握りなおし、その切っ先を魔王に向けた。
「良く聞け!私はイツカ!イツカ・カッツ!
偉大なる獅子の勇者キッド・カッツの娘!!
その名と血とこの胸に宿りし誇りに誓って、
魔王セシリア・ドラコー!貴様を討つ!」
レルとイツカはそれぞれが武器と杖をしっかりと構え、魔王を睨みつけた。
その二人を魔王は何を考えているか読み取れない表情で、無言で眺めている。




